待降節最終日の朝,エドガーの姿は,早くから神殿と神宮にあった。
そして国王の「賓客」は律儀にも祭礼の全ての傍観者を決め込んでいた。
「夜明けの祈り,朝の祈り,午前の祈り,正午の祈り,午後の祈り・・・,気違い沙汰だな。俺には務まらん」
エドガーは神殿と神宮とで一日中続く祈りを終えて,それまでの正装から聖祭のための衣装へ着替える必要があって城へと戻っていた。
退屈なだけの祈りにも律儀に付き合い,早朝から神殿と神宮で行われた祭礼を眺めていたセッツァーは,共に城へと戻り,王の私室へと通されて,ソファーに身を投げ出すようにして腰を下ろした。
そして,彼が苦虫を数匹まとめて噛み潰したような表情で前髪をかき上げてから,くしゃくしゃと掻きまわす,そんな姿を見て,マッシュが屈託なく笑う。
「はははっ!俺にもだ。だいたい夜明けの祈りから付き合う必要なんかなかったのに。意外に律儀なんだな,セッツァー」
午前中は他の仲間を引き連れて城下へ観光に赴き,夕刻になって彼らに聖祭を見せるために帰城した王弟は,ひとごとのように笑い飛ばした。
「彼は律儀な男だよ。あの困難な状況の中で飛空艇を提供してくれたのは,他ならぬ彼なのだから」
清めの沐浴と着替えのために隣の部屋に姿を消したエドガーが,マッシュの言葉を聞いて部屋を仕切るカーテン越しに笑い声をあげる。そして,望外なほめ言葉に,元空賊は照れを隠すように悪態をつく。
「それにしても,朝からずっと正装じゃあ,窮屈にもほどがあるってもんだ」
セッツァーは襟元のスカーフを緩めるようなしぐさをして,言葉を返す。
「正装ってことについては,聖祭の正装のほうが,朝からのよりももっと重厚なんだ。皆が見たら驚くと思うぜ。な? 兄貴」
話題を変えたセッツァーに苦笑しながら,マッシュが言う。
通常の国王の正装は,一般の正装に比べれば装飾に富んだつくりになっているが,それでもまだ機能性を置き去りにしたようなものではない。が,年に一度の,神からの王権の委譲を象徴する儀式には,荘厳さは求められても機能性は求められていない。
「フィガロ『伝統』の,第一級礼装だ。これを着るのは,この聖祭の時だけ」
部屋と部屋とを隔てていたカーテンを恭しく開いた女官の脇を通って,エドガーが姿を現すのを見た仲間たちは息を呑み,ついで女性陣の歓声が上がる。
「きれーぃ・・・」
「白も似合うのね」
「花嫁さんみたい」
女性陣が次々と感想を口にする。リルムは頬を上気させて,絵を描くと言い画帳を取り出す。
聖祭のために設えた第一級礼装に身を固めた彼は,それまで見た彼と全く違った空気を纏っていた。いつもは緩やかに首の後ろで一つに纏めている髪を,この日はしっかりと,いつもより少し高い位置で一つに纏めていた。髪を留めるリボンはいつもの青色ではなく真っ白で,一目で最上級のものとわかる光沢を放ち,鮮やかに金髪を彩る。
そして白金の王冠には研磨された宝石が白金の鎖で留められて長く垂れ,彼が動くたびにしゃらしゃらと遠くで聞こえる鈴のような音をたてる。
白を基調にした第一級礼装は,純白の絹糸と淡く光る銀糸とで刺繍が施され,白と銀とで彩られただけの衣装が,極彩色のものよりもなお一層鮮やかな印象を与えて,幾重にも重ねられた,絹の衣が重厚感を醸し出していた。
「・・・雪が降ったみたいな白だな」
行儀悪くソファーに凭れ掛かっていたセッツァーですら,一瞬呆然とエドガーを眺めてから,そう評する。
「それにしても,この礼装,重くねえのか?」
一番上に重ねられた絹の裾をつまんで持ち上げて問いかける。
「少しね」
仕方ない,そんな感情が折り交ざった笑顔で,エドガーは答えてみせる。
「王冠ってのも,重そうなもんだな・・・」
「そうだね。でも,なかなか豪華なものだろう?」
袖を掌に掛けて,両腕を上げてみせると,衣装には刺繍の他に小さな貴石がいくつも縫いつけられていて,光を反射してきらきらと輝く。
「神話に出てくる王のようだ」
「初子を捧げる? それは御免だね」
仕度を整えた花嫁を迎える花婿のような瞳で自分を見るセッツァーに,苦笑を返す。
「でも,綺麗だ」
「セッツァー,エドガーを口説くなよー」
ロックが苦笑いして,見惚れた様子の仲間の背中を叩いた。
「陛下,そろそろお時間です」
「ああ,もう時間だから行かなくちゃ。聖祭が終わったら,そのまま城下へ出掛けてくるといい。賑やかで,華やかな雰囲気だよ。ただ,陽が落ちると急に冷えるから,暖かいコートを持って出掛けて」
結局,落ち着いて座る暇もないまま,神官から聖祭の始まりを案内されて,エドガーは立ち上がる。衣擦れの音と,冠の装飾が触れ合う音が鼓膜をくすぐる。窓から射し込む斜陽を浴びてまばゆいばかりの光を放つ。
仲間たちは,エドガーとは別の通路を使い先に城の外へ出て,聖堂近くの関係者のために区切られた場所から,王の姿を見遣る。
城の扉の真正面に地平線へ消えようとする太陽が照り,その直線上に聖堂と城の中央の階段にある。しばらくして,祭司と神官の列が,王を迎えるために聖堂を出て城の正面の扉に着くと城の正面の扉が開かれて,祭司が旋律をつけた祈りの言葉を朗々と詠い,王に初子を捧げて神へ和解を願い出るようにと説く。
「兄貴が・・・,王が城から外へ出る瞬間がすごいんだ」
マッシュのささやくような声に促されて城に視線を遣れば,祭司の詠唱が終わり,王が姿を現す。残照に包まれて,金色の空気を纏ったかのような姿に,城下からどよめきと歓声が漏れる。
通路に敷かれた紺色の絨毯の両脇を,大祭司と神官長とが,王の前を歩き,他の祭司と神官とが王の後に続く。王が城の階段を降りきり,聖堂へと続く通路に差し掛かると,城下に集まった人々から神との和解を求める歌が捧げられる。
人々の歌声が響く中,列はゆっくりと進む。
「聖堂」とフィガロの民が呼ぶ場所には建物があるわけではない。東に王宮,北に神殿,南に神宮が建ち,西に冬至の太陽が沈むように建物が配されていて,中央にそれらを繋ぐように設けられた広場が「聖堂」と呼ばれている。中央の一番低い部分には石造りの祭壇があり,円形劇場のように聖祭に参列する人々の席が幾重にも取り囲む構造になっている。
それらを,この日は昼のうちに太陽の光から採火された松明が辺りを照らしていた。
国王を祭壇の前に残し,神殿側に祭司たちが,神宮側に神官たちが祭壇を囲むように立つと,王は宝珠と王錫を,最後に王冠を自らの頭上より取り去り,祭壇へと捧げた後,祭壇の前に跪いて頭を垂れる。
祭司が,神とフィガロの民の新たな契約に至る過程を記した聖典を朗読する。集まった民も,しんとして言葉に耳を傾ける。そして,王が神へ初子を捧げて神との和解を求める箇所を朗読した後に,祭司は聖典に記されているとおりの言葉を読み上げて,王に問いかける。
『お前はフィガロの王か』
跪き,頭を垂れていた王は,聖典のとおりに顔を上げて答える。
『神よ,それはあなたが言われたこと』
神は再び問いかける。
『では,なぜ,自ら冠を外す』
『この冠はあなたから与えられたもの,あなたが私に授けたもの。私が王であるならば,今一度,あなたが私に授けるもの』
『お前は私の僕,私はお前の主。今一度,お前はこの冠を戴く』
この言葉を合図に,神殿と神宮の鐘が響き,幾重にも重なり,木霊して,空気を振るわせる。
神官の手によって王権の象徴物は再び王の手に戻される。
そして再び王冠を戴き,王は立ち上がり,両の手を開き,願う。
『神よ,再び我らに祝福を与え給え』
祭司の声が応える。
『我は祝福す。そして約束する。いつしか沃野に導かん』
その言葉で聖祭は終わりを告げる。祭壇の松明から蝋燭に火が移され,聖堂に詰めかけた人々の間で,人から人へと灯火を伝えてゆく。いつしか降りた夜の帳のなか,蝋燭の炎がほんのりと辺りを照らす。そして,再び神殿と神宮の鐘が打たれ,人々は神とフィガロの和解を祝う歌を歌い歓声を上げる。その歓声の中,祭司は神殿へ,神官は神宮へ,王は侍従と共に王宮へと,列を成し,聖堂を後にした。
エドガーは,城の正面の扉の前まで歩みを進め,扉をくぐる前に一度,振り向き民へと向き直る。歓声はひときわ大きくなり,神と王の契約の更新を祝う声が混じる。白い衣装は宵闇に映えて,たいした灯りがなくとも王の姿を民に示す。エドガーはその声に一度だけ手を挙げて応えると,向きを変えて扉をくぐったのだった。