『きみに一番見せたかったもの』

  


 

 昼間の陽光が地平線に隠れると,街の広場に明かりが灯る。
 待降節には,フィガロの街のあちこちに市が立つ。街の広場には,カンテラが吊るされて,空の星が下りてきたかのように辺りを明るく照らす。
 一年で最も昼間の時間が短いこの時期に 広場は,遠くナルシェから切り出されたもみの木や,木の枝を飾る小物,蝋燭やさまざまな意匠の燭台,神の再臨を祝うカード,チョコレートやキャラメルの菓子や,アイシングで飾られたリープクーヘン,ヴルストとビール,グリューワインを売る露店が軒を連ねていた。
仕事を終えて帰宅の途中に立ち寄る人,一度帰宅してから子供を連れて広場に集まる人々,夕食後の散歩がてらグリューワインを楽しむ老夫婦,さまざまな人で,広場は賑わう。
待降節の市は,降神前夜祭の日まで,約ひと月の間広場を賑わす,それがフィガロの待降節の光景だった。
 この年マッシュは,フィガロが最も美しい季節だから,と,かつての仲間達に降神祭の祭礼への招待状を認めた。エドガーは後から聞かされて,迎える準備にあわてたのだったが,久しぶりの再会に淡い喜びを感じていたことも事実で,降神祭の準備に追われながらも,幼い子供がアドヴェントカレンダーを捲るような気持ちで,彼らの到着を待ちわびていたのだった。
 そしてこの日,最後の客人が到着したのだった。
「あの市はいつまで続くんだ?」
 城下の聖堂での降神前夜祭の祭礼の打ち合わせを終えて城へ戻る途中,最後の「賓客」の到着の知らせを受けたエドガーは,城門まで国王の「賓客」を迎えに出向き,しばらくぶりの再会を喜んだのだった。そして,到着した彼は,共に城へと続く階段を登りながら,眼下に見える賑わいについて尋ねた。
「明日まで。降神前夜祭の聖祭が終わって,日付が変わるまでやっているよ」
 エドガーは立ち止まって振り返り,眼下の明るく照らされた広場に視線を遣って,目を細める。ほんの少し懐かしそうな表情が笑顔に混じる。
「ふぅん」
 あの戦いの後,エドガーは国内と近隣諸国に対し,フィガロ城の潜航システムの運転を凍結する布告を行った。もともとフィガロ城は近隣諸国からもたらされた政情不安から,自衛のために止む無く武装を進めた城だった。世界崩壊の後,帝国の脅威が消え去り,移動要塞であることによって自国が技術大国であることを喧伝することを止めても平和は保たれると判断したことや,地上の地形の変化に伴い地下の潜航ルートにも支障が生じていたことから,システムを継続するよりも運用停止を決断したほうが国益にかなうと判断したのだった。
 潜航システムを凍結したことで,城下町の形成が一気に進み,今では城を取り巻くように石造りの街並みが広がっていた。
「今晩あたり,皆とでも行ってきたらどうだい?」
 既に数日前に到着して街中の待降節の市を巡り歩いている女性陣ならば,案内に適役だろうと勧める。
「押し花で飾られた蝋燭とか,童話の本,リース,そういうものを売る露店がたくさんあってね。彼女たちには好評だったよ」
 再び階段を登りながら,エドガーは楽しそうにそう勧めた。が,案内をセリスやティナに振ったのを聞いて,セッツァーは怪訝そうな顔をする。
「お前は行かないのか?」
「私が行くのはね。・・・衛士を引き連れて行くのは野暮というものだし,街のいたるところに市が立っているから,どこかひとつだけに行くというのも何だしね」
 質問への答えの代わりに,行かない理由を口にする。少しだけ諦めの混じった声だと判るのは,ごく一部の人間だろう。
「行ったことはあるのか?」
 表情だけでなく,声色まで怪訝そうに,彼は問う。
「もちろん。私だって子供だった時代がある。いいものだよ。街の至る所に市が立つようになったのはごく最近のことだけれど・・・,ヴルストの焼ける匂いや,グリューワインの香り,リープクーヘンのスパイス・・・,待降節の記憶は,香りの記憶かもしれないね。父が健在だったころは,私が聖祭に出る必要は無かったし,じいやとばあやが,それはそれは嬉しそうに連れて行ってくれたよ」
 エドガーは綺麗な横顔で,思い出を語る。言葉を重ねるごとに,笑みに深みが増して,風になびく髪に,城下の明かりが重なって,その笑顔そのものが輝いているようにすら見える。
「明日の夜がクライマックスだ。まず,日没と同時に神殿で聖祭が始まって,聖堂の鐘が鳴る。神との和解の日が来たことを知らせる鐘だ。神は王を許し,再び祝福を与える。そして,昼間のうちに陽の光から取って聖堂に納められてた炎が,聖堂から持ち出されて民に分けられて,蝋燭の火が街中で灯されていく。広場では神との和解を祝う歌や音楽を奏でて,夜半すぎまで賑やかなんだ。楽しんでくるといい」
 フィガロは,神とフィガロの民の契約をなぞらえる暦を持っている。
 聖典が伝える一年は,春分に始まる。この日神が世界を創った。
 その日から数えて最初の満月の日が,神が人を創り,フィガロの始祖が形作られた日とされる。
 神の祝福を受けたフィガロの民は,しばらくの間神と共に平和に暮らし,神の仕業を讃える。が,いつしか増長し神の怒りに触れ,神は天に帰ってしまい,民は沃野を追われて砂漠に至る。その苦難の流浪を記念するのが夏至祭となっている。そして,苦難の旅路の末,砂漠に追われたフィガロの王に初子が生まれたことを秋分に重ねている。
 立冬から冬至の時期が待降節と降神祭にあたる。待ちに待った国を継ぐ者が誕生したにもかかわらず,王はその「初子」を神に捧げることで寛恕を願い,神への従順を表明する。神はフィガロを許し,再びフィガロを祝福し,人の目に見えずとも地へと降り人々と共に在ることを約束し,いつか彼らの罪を許し,再び風の馨る沃野を与えることを約束するというものだ。
「ところで,『捧げられた初子』はどうなっちまうんだ?」
「神のものになったのち,この地へ戻されて,長じて王位に就くよ。とって食われるわけじゃない」
 言葉尻をとる「賓客」に,柔らかな笑みと共に答える。
「神との和解のために,自分のガキを神殿に捧げるっていうのは,どうも好きになれる話しじゃないな」
 銀色の長い髪をかき上げて,セッツァーは顔を顰める。
「なあ,なんで自分じゃないんだ?」
 思いもよらない質問に,エドガーは一瞬答えを探す。
「・・・解釈はいろいろある」
 オアシスの水面に映る空の色をした瞳を伏せて,言葉を繋いだ。
「まずは『子供』が,自分自身よりも大切なものだったから,というもの。自分が八つ裂きにされることよりも,子供を取り上げられることの方が辛いことだったという文字どおりの解釈。それから・・・,明日の聖祭の中でね,王は,王権の象徴を神に返すんだ。王冠と王錫,それと水晶の宝珠。それらを『子供』に例えたという解釈。自分の従属物だと思っていたものが,実は自分より高い者から,自分に預けられただけに過ぎないという象徴としてね・・・。まあ,まずは,明日の祭礼をその目で見てみるといい」
 世界が崩壊し,地形がすっかり変わってしまった今日,フィガロは荒涼とした砂漠の国ではない。元々フィガロ砂漠は灼熱の太陽がもたらしたものではなく,周囲の高山に雨雲が遮られて雨が降らないことによって形成された砂漠である。地形が変わり,地下深くに姿を潜めていた水は地上に溢れ出で,天からは雨が降り注ぐようになった今日,砂の海のようだった砂漠は,いつしか沃野へと姿を変えつつあった。
「今夜は冷えるね。中へ入ろう。もう皆が食堂で待っているに違いない」
 エドガーは友に手を差し延べて,微笑んだ。

 


 

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