─ Tepa〜Full Moon Tower ─

約八日もの時を掛けて、二度とは御免な密林越えに挑んだのは夢か何かだったのだろうか、と思えたくらい、ルーラのお陰でまことに呆気無く、船をも伴い、三人はベラヌールとテパの往復を終えた。

「本当に、有り難いな、ルーラは」

四半刻も掛けずにベラヌールの港からテパの船着き場へ戻れたことを、アレンは、しみじみとした声で、しみじみと呟き、

「も、盛大に感謝したいです、精霊達とルビス様に」

「あんなに苦労して、テパを目指したのが嘘みたいよねえ……」

思わずと言った風に、アーサーは天に向かって祈り始めて、ローザも、改めて感嘆の息を吐く。

「さて、一仕事するか」

「ええ、そうですね」

「頑張って、二人共」

そうして暫くの間、魔術の恩恵に身を浸した彼等は、水夫達の手も借りて船より下ろした聖なる織り機を引っ掴んで、今度は村に飛んだ。

村の入り口からドン・モハメの隠居宅までを辿るだけでも、重たい機を担いで行くのは想像通りの重労働だったけれども、汗塗れになったアレンとアーサーが、流石にしんどい……、と倒れ込みそうになった頃、何とか、『偏屈ジジイ』の家前に機を下ろすことは叶えられ、

「聖なる織り機と、雨露の糸です。……如何? 水の羽衣を織って貰えますかしら?」

ぜーはー言いながら、道端に引っ繰り返って屍と化し始めた少年達をチロリと見遣り、聖なる織り機を運ぶ仕事には応援部隊としてだけ参加した為、一人『無事』だったローザは、にっこり、何の騒ぎだと顔覗かせた『偏屈ジジイ』に笑み掛ける。

「……道具を揃えて来たか。儂の負けじゃ。──良し! 水の羽衣を織ってやろう。しかし、時間が掛かる。日を改めて取りに来い」

かつては世界中に名を馳せた羽衣作り名人としての血が騒いだのか、それとも、端から彼等が道具を持ち込んでくるだろうと見越していたのか、聖なる織り機と雨露の糸を披露された途端、ドン・モハメはニヤリと笑い、しれっと仕事を引き受けた。

「では、又後日に。宜しくお願い致します」

故に、にっこり笑顔は絶やさなかったローザの脳裏にも、道端に引っ繰り返ったままの少年達の脳裏にも、ロト三国の王子王女殿下には真に相応しくない、「この、狸ジジイ……」との率直な思いが過ったが、ドン・モハメは、情け容赦無く屍二名を叩き起こし、隠居宅の中へ聖なる織り機を運ばせると、バタン、と彼等の鼻先で玄関の扉を閉めてくれて。

「惨い……。モハメさん、仕打ちが惨いです…………」

「…………すまない、満月の塔へ行くのは、明日でもいいか……」

「勿論よ。もう直ぐ日も暮れてしまうし、二人共疲れたでしょうから、休まないと」

水の羽衣の為とは言え、『偏屈ジジイ』の態度に我慢し切れるだろうか……と、ちょっぴりだけ悩みつつ、三人は今宵も厄介になる宿へ帰った。

冬よりも夏の方が長い、ローレシア大陸の中では最も過ごし易い地方に位置するローレシア王都でも、そろそろ寒さが厳しくなってくる季節なのに、翌日のテパは蒸し暑かった。

気候風土の所為だと判っていても、それは、やはり嫌な暑さで、せめて、もう少しだけ涼しくなってくれればやり易いが……、と思いながら、テパの村を訪れて五日目、三人は、船着き場から船を出し、テパの南の島に聳える満月の塔へ向かった。

海の何処かにある、浅瀬に囲まれた洞窟に入る為に必要な品との触れ込みはあるが、『月の欠片』の正体は謎のままで、月の欠片を用いれば立ち入れる洞窟に果たして何が眠っているのかも判らぬが、己達の旅に役立つ物かも知れぬ以上、手に入れてみる他ないと、一度、七階建ての高い塔を見上げてから、アレン達は満月の塔に踏み込む。

「んー……。……やっぱりか」

「まあ、だと思ったけど」

「はいはい。地図描きますねー」

立ち入り、ほんの僅か進んだだけで、満月の塔は、以前に挑んだ大灯台以来の迷宮だと気付け、素直な塔造りをする建築家は、この世界には皆無なのか? とブチブチ洩らしつつ、彼等は毎度の手順で地図を描きながら奥へと進んだ。

────迷路の如き構造の建築物には、いっそ親しみを感じるまでに慣れてきたので、その辺りは想像よりは楽にやり過ごせ、この塔内にも存在していた精霊の為の物らしい小祭壇とも幾度か巡り合えて、その内の一つからは、『祈りの指輪』と呼ばれている、魔術を使役する者達には重宝な道具も失敬出来たけれども、満月の塔は、蔓延っていた魔物達の質が悪く、その意味では厄介だった。

悪い意味で種類豊富だったのも厄介だったが、何よりも厄介だったのは、悪魔族や冥界に属する魔物の多さで。

マミーやグールや腐った死体のような、膿み爛れた腐肉や死肉を撒き散らしながら襲い来る、生と死の境を永遠に彷徨い続ける者達や、ブラッドハンドや悪魔の目玉やガーゴイルと言った、地獄の底こそを本来の領分としている者達と、幾度もやり合わなければならかった。

更には、『地獄の使い』と名乗る、邪神教団の下位神官の地位にある魔物まで姿を現し、恐らく、こいつらが悪魔族や冥界の魔物達を満月の塔に招き寄せたのだろう、と想像した三人は、ならば地獄の使い達を一掃してしまえば、少なくとも彼等が召喚した魔物は消える筈と、ベギラマをも使役する地獄の使いを片端から倒しつつ塔内を彷徨い、漸く、何とかなりそうな目処を立てたのに。

その時を見計らったかの如く、どうやってか、四方を河に囲まれた島に建つ塔内にまで忍び込んで来ていた首狩り族に、又もや追い掛け回される羽目になり、駆けつつも、「首狩り族に食べられるのは絶対に嫌!」と叫びまくるアーサーとローザと、二人を宥めながらのアレンが漸う辿り着いた最上階には、これ見よがしに置かれていた、されど中身は空だった箱しかなくて、

「これは一体、何の試練なんだろう……」

と項垂れつつ、三人は、別の階段を探し始める。

「アーサー、ローザ、走れ!」

「あああ、又、毒矢がーー!!」

「アーサー、キアリーを!」

──昇り切った塔を、今度は一階目指して下っていた最中、幾つもの毒矢を飛ばしながら、手斧や鉄の槍を構えつつ襲い来た首狩り族達より逃げ惑って。

「きゃああああ!! 嫌! 離してっっ!」

「ローザ!!」

「アレン、落ち着いて! さっきの一撃で倒れましたから、悪魔の目玉!」

──地獄の使い達を倒しまくっても未だ出没した悪魔の目玉が伸ばしてきた、酷く粘付いている幾本もの触手に絡み付かれて悲鳴を上げたローザを目にした途端、アレンが我を忘れたり、見事なまでに一瞬で激怒し、一刀のみで魔物を真っ二つに断っても怒りを鎮めなかった彼を、焦り顔になったアーサーが宥めたり、としつつ。

塔内の通路よりも尚狭かった、連なる幾つもの小部屋を繋いでいた数多の階段を辿った彼等は、やっと、満月の塔一階の、扉も窓も無い部屋に辿り着いた。

……その部屋は、中央に設えてある簡易の祭壇のような台と、台の上に据え置かれた小さな箱以外には何も無く、祭壇状の台の傍らには、老人が一人立っていた。

「月満ちて欠け、潮満ちて引く。全ては、定めじゃて……」

「…………ご老人?」

「その箱を開けなされ。何も彼も、全て、運命さだめじゃ」

部屋唯一の出入り口に当たる階段を下りて来た三人へと瞳廻らせるなり、青色した大きなマントに身を包んでいた老人は、幾度か微かに頷いて、アレンを見詰めながら、箱を、と促す。

「これは……月の欠片か?」

「そうなんじゃないでしょうか」

「石……かしら」

──言われるまま台に歩み寄った彼が開け放った箱の中にあったのは、丸くて白っぽい石だった。

稀な程に球状の石だったので、「これが『月の欠片』です」と言われれば、ああ、満月を思い浮かべられなくもないかな、とは思える、が、それ以外は何の変哲も無い、唯の石にしか見えない『石』。

「ご老──。……消えた…………?」

だから、取り上げたそれを片手に、月の欠片か否かを確かめるべく、アレンは老人を振り返ったが、聖なる祠でロトの兜を守護していた老人同様、そこにいた筈の彼は、姿を消していた。