本当に小さな宿を出て、本当に小さな村を僅かぶらついてみただけで、三人には、何となく、この村より水門の鍵を盗み出して逃げた、ラゴスの言っていたことが判る気がした。

規模も、物の無さ加減も、自然だけは豊かで長閑な処も、ザハンの村といい勝負だったけれど、あの、絶海の孤島の小さな村とは違い、テパの村は、ラゴスが零した愚痴通り、甚く閉鎖的だった。

だからと言って、跳ねっ返ったり、村人達に迷惑を掛けたり、盗みを働いていい道理はないから、決してラゴスに同情は出来ないが、確かにテパは、良くも悪くも夢見る若者にとっては、退屈なだけでなく、息苦しさばかりを感じる所なのだろう、とは思わされた。

この村にはこの村の良さがあるのだろうけれども、『若さ』には、余り向きな良さではないだろうな、とも。

行きずりの旅人でしかない彼等にも朗らかに声掛けてきてくれたザハンの女衆達とは真逆に、道行く彼等へ向けられる村人達の視線は、『余所者』への不信に満ちていて、居心地の悪い思いもさせられ、長老若しくは村長の住まいは何処かと、尋ねるだけでも一苦労だった。

すみませんが、と声を掛けても、無視する村人の方が多かったので。

まあ、それでも何とか村の古老の家は知れて、訪ねたそこで対面した古老に、水門の鍵を届けに来た旨と、仔細その他を語ったら、彼もその家族もとても喜んでくれ、三人がその家を辞するより早く、水門の鍵が戻ってきたと、旅の若者達が水門の鍵を届けてくれたと、彼等の訪れとその訪問理由は村中を駆け抜けたので、以降、アレン達は村の恩人扱いになり、諸々もやり易くなったけれど。

────古老の話に曰く、村人達を逆恨みした挙げ句にラゴスが仕出かした嫌がらせは、テパにとっては、嫌がらせの域を遥かに超えた、死活問題だったのだそうだ。

以前は船で辿れた河が干上がって、村が外界より隔絶されてしまったのは、旱魃に見舞われた所為でなく、ラゴスが、河の水源になっている湖の水門を降ろしたまま、特殊過ぎて複製の制作は不可能な水門の鍵と共に逃走してしまったからで、だからと言って、水門を壊す訳にもいかず、あの密林を越えて他国や地方に物資を求める仕事は村人達だけでは到底こなせず、遠からずテパは滅んでしまうかも知れぬと、村は困り果てていたらしい。

そんな処へ、水門の鍵を返しにやって来たアレン達は、テパの者達にとっては恩人以外の何者でも無かった。

尤も、予想外に深刻だったテパの事情を聞かされた当の恩人達は、そういうことなら、もっと早く水門の鍵を返しに来るんだった……、と内心では冷や汗を掻いたが、村人達の自分達に対する扱いが、得体の知れない不審な旅の若造共から、わざわざ密林を越えてまでラゴスに奪われた鍵を返しにやって来てくれた人達へと、劇的に変わったのは肌で感じられたので、こちらの事情を何も彼も馬鹿正直に打ち明ける必要などこれっぽっちもないし、水門の鍵を返すのが遅過ぎたと言う訳でもないからと、その辺りのゴニョゴニョはやり過ごすことにし。

一転、にっこり笑顔を向けてくるようになった村人達へ、にっこり笑顔を返しながら、改めて村の中を彷徨いた三人は、村の南にある四方全てを大河に囲まれている島に、満月の塔と呼ばれる古い建造物があることや、満月の塔には、月の欠片と呼ばれる品が納められているらしい、と言う噂を人々から聞き出せ、「月の欠片の手掛かりが、こんな所で拾えた!」と、ほくほく顔をしつつ、やはり村人達に教えて貰った、隠居中の機織り職人の家も訪ねた。

が、ドン・モハメと言う名だった世界一の羽衣作り名人は、噂通りの『偏屈ジジイ』で、彼等の話を碌に聞きもせず、「お前達みたいな若造に用などない、とっとと帰れ!」と訪れたばかりの三人を追い返そうとしてきた。

「そう言わず、話だけでも聞いてくれないか。隠居中の身なのは承知しているが、水の羽衣を織って貰えないだろうか。貴方なら、伝説の水の羽衣を織れるだろうと噂に聞いたんだ。聖なる織り機と雨露の糸なら用意出来る」

「確かに儂なら、水の羽衣だろうと織れるが……、聖なる織り機と雨露の糸じゃと? あれを、お前達がか? ────いや、信じられるか。言うだけなら何とでも言えるわい」

ぐいぐいと背を押され、家の外に追い遣られながらも、何とかアレンが告げれば、ドン・モハメは、ぴくりと肩を揺らし、微かな『手応え』を見せ、

「ふむ…………。全く見込みが無い訳でもなさそうな」

「ああ。聖なる織り機と雨露の糸のことを言ったら、確かに彼の顔色は変わった」

「あの織り機と糸を、彼に見せてみたらどうかしら」

「あ、それが手っ取り早そうですね。となるとー……、村の中と船着き場にルーラの契約印を置いてから、一旦ベラヌールの港に戻って、帰港してる筈の船をここまで運んで、ってするのが、最短ですかね」

「でも、アーサー。この村は、教会も礼拝堂も小さ過ぎるし、精霊の加護も薄い感じがするわ。それでも、契約印が結べて?」

「…………………………何とか、します。頑張ります」

「その辺りのことは、一つも手伝えなくて……すまないな、アーサー」

「何言ってるんですか、アレン。いいんです、僕に出来ることなんですから。って言うか、僕の仕事まで取ろうとしないで下さいねー?」

「……うん。────あ、そうだ。ベラヌールに戻る前に、古老達に頼まれたから、水門を開けて来ないとならないな」

「あ、そうだったわ。それを済まさないと何も始まらないわね。じゃあ、行きましょう」

すげなく追い出されたドン・モハメの隠居宅の直ぐ近くの道端で、聖なる織り機と雨露の糸の実物を披露すれば、『偏屈ジジイ』も仕事を引き受けてくれるかも知れない、と三人はボソボソ声で相談し合い、手始めに、村の者達に頼まれた水門を開きに向かった。

────村の北の外れの、河の水源でもありテパの村の生活用水代わりでもある湖の畔に建っていた小屋まで足を運び、例の鍵で以て長らく閉じられたままだった水門を開けば、湖は、轟々と爆音を立てながら水を溢れさせ始め、これでいい筈と、彼等は、今度は村の西の外れへ赴いて、干上がっていた河の具合を確かめた。

年単位で水門が閉じられてしまっていた、カラカラに乾き切った河は、久方振りの流れを受け、一度は焦げ茶色に濁ったが、三人が見守っていた僅かの間に、澄んだ水を滔々と流すまでになり、

「何とかなりそうだな」

「ええ。なら僕、ルーラの契約印、何とかしに行ってきます」

「あ、その前に。武器屋や道具屋を覗きに行ってみない? 河も、直ぐに元通りにはならないでしょうから」

「そうするか。特別に急ぐ必要がある訳でなし」

漸く、テパの水門の鍵絡みの肩の荷が全て下りたから、もう少しだけのんびりしようと決めて、彼等は、村の散策を再開した。

テパの村にも、ペルポイより移住してきた武器や防具の職人達が多少だけいるのだそうで、冷やかし気分で訪れた村唯一の武器屋は、村の規模も店の規模も裏切る品揃えだった。

ベラヌールやペルポイで見掛けた、魔法具でもある『力の盾』も扱っていたし、現在はテパでしか造られていない『隼の剣』もあった。

とても軽くて扱い易い、魔法剣士のような者達には好まれる剣。

威力は余り無いが、一振りするだけで、剣自体が自らもう一度翻る──要するに、一撃が勝手に二撃になってくれる魔法剣で、珍しく剣相手に興味を示し、且つ気に入った様子をアーサーが窺わせたので、今ならば、メタルスライム狩りに勤しんだお陰で懐が暖かいからと、三人は、彼用に隼の剣を一振りと、力の盾も一つ求めた。

魔法具の一つに数えられるだけあって、力の盾は、盾としては軽い部類に入り、重装備は却って負担になるだけのアーサーにも充分扱えるので、出来れば……、と思っていたそれも、この際だと手に入れた。

力の盾で治癒を施すようにすれば、少なくともアーサーがホイミやベホイミを唱えなくてはならない事態は減り、その分、彼の魔力を戦闘時の攻撃呪文に集中させられるから、一層、魔物達との戦いが楽になる筈だ、と計算して。

掲げるだけで持つ者を癒してくれる盾なのだから、装備品としては扱えずとも、ローザにも『薬草代わり』に力の盾を、とも言い合ってみたが、彼女の体力的な問題と、経済的な問題で、それは一旦保留にされた。

だが、良い買い物が出来たのは確かだったので、三人は機嫌良く宿に帰り、「もう一晩だけ」を合い言葉に、その夜ものんびり過ごして。

翌日、アーサーが、朝から数刻以上を掛け、盛大に喚きつつ髪掻き毟りながら大奮闘したお陰で、何とか彼んとかルーラの契約印も結べたので、彼等は、一度ひとたびベラヌールの港に戻った。