「いいか?」

「はい」

「ええ」

牢と言うのは、何処いずこでも薄暗いのが相場なのか、最後の階段を下りた辺りから、掲げられていた壁の燭台の数は極端に少なくなり、三人は、どうにも気味の悪い薄闇を伝って中に踏み込んだ。

「……! 殿下!! ここは地下牢です、殿下のような方がお出ましになって良い所ではありません!」

「すまない。少しの間でいいんだ、見逃して欲しい」

「なりませんっ。お戻り下さい! 私が陛下にお叱りを受けますっ。……あ、そうだ。宰相閣下に、もしも殿下方が忍んで来られたら、直ちに報せるようにと言われて────

一歩、中へと進むや否や、牢番に立っていた兵に彼等は見咎められ、目を瞑って欲しい、とアレンが頼んでみても、血相変えて迫って来た彼は、出来ません! と一層血相を変え──そこで。

又、ローザが、小声でラリホーを唱えた。

「あー……」

傍らの彼女がラリホーを唱え終えた直後、駆け出そうとしていた兵は眠りに落ち、倒れそうになった体を支え、壁に凭れる風に座らせてやったアレンは、手際が良過ぎる……、と思わず項垂れる。

「まあ、他に手は無いんだけどな。それにしても……。……って、まさか。ローザ、僕の部屋に来るまでに、何人眠らせたんだ……?」

「二人だけよ」

「……いや、即答して欲しかった訳じゃなくて」

「地下牢に忍び込んだ時点で、陛下や宰相殿に盛大な雷を落とされるのは決まっているんですから、一つ二つ、お小言の種が増えても今更ですって。──それよりも、急ぎましょう。不寝番の衛兵が廊下で引っ繰り返っているのを見付けられたら、騒ぎになってしまいます」

「そうそう。急ぎましょう」

そのままアレンは、チラっと真後ろの二人を肩越しに振り返ったが、ローザもアーサーもわざとらしく目を逸らし、今は、手段を気にしている暇は無いと、彼を急かした。

「それはそうだけれど…………。あー、もう。胃が……──

──おい! おい、誰かいるのか? おい!」

二人の言いたいことも判るが……、と溜息を零し、シクシクと痛み始めた腹を押さえながらも、急いだ方がいいのは確かだ、とアレンが立ち上がった時、最も手前の牢の中から、彼等を呼ぶ声が掛かった。

「何だ?」

「ああ、やっぱり! なあ、あんた達、今、牢番と揉めてたろう? 能くは聞こえなかったけどよ、何か揉めてんのは判ったんだよ。ってことは、あんた達は盗人か何かなんだろう? ──なあなあ。ここ、開けてくれよ。開けてくれたら、いいこと教えてやるぜ」

今、地下牢に繋がれている者は、教団の神官と信徒の二人きりの筈だから、この、鉄格子に張り付いて出せと訴えている男がお付きの信徒なのだろう、と当たりを付け、必死な声で自分達を呼ぶ男の眼前に、鉄格子越し、アレン達が立てば、彼等を盗賊と勘違いした男は、取引を持ち掛けてきた。

「いいこと、と言われてもな」

「本当だって! …………大きな声じゃ言えねえけどさ、俺、実は、邪神教団の神官って奴に、金になるからって誘われて、信者の振りして布教の真似事してたんだよ。あいつ、すっげえ羽振り良くてよ。ちょいと、その辺の年寄り誑かすだけで、結構なモンが貰えたんだ」

「……ほう。それは、随分と気前のいいことだ」

「だろう? どうも、あいつらの教団は、色んなお宝抱えてるらしいんだ。…………でな。そのお宝の在処を、この間、あいつがうっかり漏らしたんだよ。それを教えるからさ。……なあ、いいだろう? ローレシア城に忍び込むようなあんた達にとっちゃ、悪い話じゃないと思うぜ?」

「なら。先に、お宝の在処を言って下さい。そうしたら……────

ここから逃がしてくれるなら、その代わりに……、と男が言い出した『いいこと』は、教団が隠している『お宝』の在処で、どうする? とアレンに目配せされたアーサーは、彼が手にしたままだった牢獄の鍵を、彼の手毎、男の目の前に掲げて思わせ振りなことを言った。

「おい、そいつは…………! まさか、噂の『牢獄の鍵』か!? ……言う。今直ぐ言うから! お宝の在処は、ロンダルキアだ」

「ロンダルキア?」

「ああ。ロンダルキアに通じる洞窟ってとこに、命の紋章? とか何とか言うモノがあるらしいぜ。どんな代物なのかは知らねえけどよ、あんなに羽振りのいい奴等が隠してるお宝なんだ、結構な逸品の筈だ」

「……そうですか。どうも」

牢内の男のような者達の間では、『牢獄の鍵』は余程有名なのだろう。

掲げられた鍵を一目見た途端、男は目を輝かせ、ぺらぺらと『いいこと』を白状し、それだけ知れればもう充分、と鍵毎掲げていたアレンの手を下ろしたアーサーは、にっこり笑みつつペコリと頭を下げて、男に背を向けた。

「おい! 約束が違うじゃねえか!」

「『お宝の在処』を教えてくれたら牢の鍵を開けるなんて、僕達、一言も言ってません。それに、僕達は盗賊でも牢破りでもないです。誤解です」

つれなく晒された彼の背へ、案の定、男はうるさく喚き立てたが、アーサーはしれっと告げて、アレンとローザの腕を引き、牢の奥へと向かい始める。

「アーサー。……流石だ」

「……ええ。流石だわ……」

「あ。その言われ方は、一寸心外です。ペルポイでのアレンの真似をして、思わせ振りな態度を取ってみただけですよー、だ。──でも、本当に『いいこと』が聞けましたね」

「そうね。これで、命の紋章の場所が判ったもの。命の紋章を、教団の神官が『お宝』扱いしていた、と言うのが気になるけれど。……それって、私達の先回りをしたと言うことかしら」

「かも知れないが。その辺りのことは、後で考えよう。今は、神官をどうにかする方が先だ」

アーサーに腕を引かれるに任せたアレンとローザは、先程の彼の振る舞いは流石としか言えない……と、感心したような、呆れたような複雑な声を出し、「もう一寸、違う言い方ありませんか?」と頬膨らませながらも、上手く話を聞き出せた、とアーサーは喜んだ風になって。何はともあれ、今は例の神官の許へ、と三人は足を早めた。

左右の壁沿いに狭い牢がずらりと並ぶ、薄暗い地下牢の中央を貫く細い通路を暫し行った突き当たりは、地を歩く生き物全ての立ち入りを阻む、青白く輝く床で埋め尽くされていた。

それは、魔方陣を隙なく刻み込んだ敷石に、高位の魔術師が雷の精霊の力と自身の魔力を籠めて作り上げる特殊な床で、正しく、この地下牢の最奥のような、重い罪を犯した者達や、国を脅かさんとする者達などを繋いでおく場所にこそ相応しい魔法具の一つだ。

床石が放つ青白い光に僅かでも触れた途端、そこへ踏み込んだ生き物は、何者であろうとも、魔法具と化した床の持つ力──侵入者全てを阻む精霊の雷に打たれる。

大抵の者は、一撃でも喰らえば、膝を折り、直ちに引き返すが、それでも尚挑もうとすれば、一歩進む毎に雷に打たれ、数歩と行かぬ内に命を落とす。

ローレシアには、魔力を持つ者も、国仕えの魔術師や魔導士の数も少ないが、この手の備えを持たない、と言う選択肢は有り得ぬし、ローレシア城が建造されたのは勇者アレフの代なので、現在では『魔力無しのローレシア』と陰口を叩かれることも少なくないこの国の王城にも、魔法具を用いている施設は、地下牢のみならず、秘かに、そして幾つもある。

「精霊達よ、応えよ。──トラマナ」

────そんな、行き交おうとする者を悉く阻む床の向こう、この城の真の最下層にある牢の中に、例の神官は繋がれており、床石に刻まれた魔方陣を打ち消す術を、アーサーが唱えた。

無論、魔術に頼らなくとも、床の魔方陣を黙らせる仕掛けもあるが──でなければ、魔力がある訳でもない牢番では、囚人へ食事を運べもしないし、そもそも、囚人を入牢させられない──、その辺りがどうなっているのかはアレンも知らぬことだったし、アーサーがトラマナの術を使える以上、それに頼った方が遥かに手っ取り早いので、自分達がやっていることは、本当に、質の悪い牢破り以外の何物でもないな、と軽く苦笑し合いながら、三人は、只の石床と化したそこを行き、自身達の前に立ち塞がる最後の扉を、再び、牢獄の鍵で開け放った。