踏み込んだ最奥の牢内は、想像よりも遥かに明るかった。

そして、凍える程に寒かった。

奥に長い長方形をしている牢内部は、幅も深さもある凹形の溝に取り囲まれていて、溝の中には、アレンが爺やから聞き齧っていた通り、脱獄を防ぐ為の手立ての一つとして海の水が引き込まれており、揺蕩う海水が、数少ない燭台の火を反射して明るさを生み出し、過ぎる寒さも生んでいた。

そんな牢の入り口から中央部へと続く細長い石の通路の先には、同じく石で出来た台のような一画があって、その更に中央に、青い神父服を着込んだ、黙って立っていれば善神や精霊に仕える神職者にしか見えないだろう、細身の男が踞っていた。

「おや……。これはこれは。もしや、皆様は、ロト三国の王子王女様方では?」

「……能く知っている。と言いたくあるが、邪教の神官と名乗ったくらいだ、それも当然か。──お前に訊きたいことがある。このローレシアで何をしようとした? 今、何をしようとしている? ハーゴンは、何を考えて、お前をローレシアに寄越した?」

鍵を開け放ち、牢内へと踏み込んで来た三人に直ぐに気付いて、伏せていた面を持ち上げ、彼等の顔を見比べながらニヤニヤと笑い始めた男へ、アレンは努めて無表情で問うたが。

「ほっほっほっ……。私を、ここから出してくれるのですか? 有り難いことです。貴方々の亡骸を、ハーゴン様への手土産にしてあげましょう」

──神官は、問いも、彼等の存在をも無視する風に、一人勝手に告げ出して、ゆらり……、と立ち上がった。

「どうやって? 素手のままでか? この最奥の牢の中では、魔術も使えない筈だが」

「………………そうだな。但し、人間にはな!」

己達をハーゴンの手土産に、などと言い出した彼をアレンは睨み付けたけれども、尊大な態度になった神官は、又、ニヤリと笑んで、人に非ざる力のようなものを身の内から膨れ上がらせ始めた。

途端、パリパリと、硝子が砕けるに似た音が牢の四方から響き、三人は、何事かと辺りを見回す。

「何の音だ?」

「これは……。…………まさか、魔封じの結界が破られた音では……」

「そんな馬鹿な! 一体、どうやって!?」

「でも、これは確かに結界が壊された音よ! 今なら、ここでも魔術が使えてしま──。…………あっ! 駄目、いけない! 二人共、私に捕まって! …………────。リレミト!」

それが何を示しているのか、ローザには判ったのだろう。

ハッと顔色を変え、アーサー同様、牢内に築かれていた魔封じの結界が破られたと悟った彼女は、叫びつつ牢の奥へと駆け出し、慌てて後を追った二人を振り返りながらも、伸ばした腕で神官の服を掴み、声高にリレミトを唱えた。

「え、外?」

「どうして?」

「彼は人じゃない。魔物よ。それも、あの牢の魔封じの結界も破れる力を持つ魔物!」

酷く荒っぽく唱えられたリレミトの術が、生まれ、そして消えた時には既に、一同はローレシア王城の前庭に運ばれていて、何故、ローザはこんな真似を……? と半ば転がり掛けながらアーサーとアレンは訝しみ、自身達と共に地上へ引き摺り上げた、未だ身の内の力を膨れ上がらせ続けている眼前の神官を、ローザは鋭く見据える。

「……同じなの。同じなのよ…………。こいつがさっきまで隠していた気配は、生んでいるあの力は、ムーンブルク王都が滅ぼされたあの夜の! 人に変化へんげして忍んで、私の故郷を滅ぼした、城や街の皆を殺した、あいつらと同じなのよ!!」

そうして、彼女は、再びの大きな叫びを。

「何ですって……!?」

「あいつが!?」

「そうよ……。間違える筈なんか無い。私が! 間違えたりなんかっっ! …………だからよ。あんな地下牢では戦えない。こいつが正体を現したら、きっと地下牢諸共、私達は潰されていたわ。────…………許さない。絶対に許さない!! 貴方も仇なのでしょう……? お父様の、お母様の、城や王都の皆の仇の一人なのでしょうっ!? ……還せ、とは言わないわ。お父様もお母様も、皆々、もう還っては来ない。還って来てはくれない。私の故郷だって。…………でも。許さないっ。貴方達を許すことなんて出来ないっ!!」

真実の姿を晒しつつある神官の正体を、叫びと共に暴いたローザは、ギュッと、両手で魔導士の杖をきつく握り締めた。

「……ローザ。手を出して下さい」

「ローザ。深呼吸するんだ。一度でいいから。大きく」

先程、その正体は魔物だった神官を無理矢理に掴んだ際に傷付いたのだろう、指先まで真っ白に染まるまでの力籠めて杖を握り締める彼女の左手には、焼けたような痕が刻まれており、ローザの傍らに立ったアーサーは、ベホイミを唱えて彼女の傷を跡形もなく癒し、やはり傍らに添ったアレンは、強張り震える細い肩を優しく撫でながら、彼女を落ち着かせる。

「アレン……。アーサー……」

「傷付いたままでは、ちゃんと戦えないでしょう?」

「落ち着いたか? ……なら、お父上とお母上と、ムーンブルクの人達の仇を討とう。それが、ローザと僕達の、本懐の一つだ」

「…………ええ。二人共、有り難う」

潤む、紅玉の瞳を向けてくるローザに、少年達はいっそ穏やかに告げて、だから、ローザはしっかりと頷いた。

「何事だ!? ……あ、アレン様! 一体、何事ですか!?」

「え、このような時間に殿下が? ────おい、あいつは何だ!? 何者だ!?」

────彼等がそうしていた間にも、三人の眼前で片膝付いた神官は力を膨れ上がらせ続け、人への変化も解き始め、王城の玄関と城門との間に広がる前庭の丁度中程に転移していた彼等の許へ、騒ぎを聞き付けた門番達や、見回りの衛兵達や、近衛の者達が次々に集まり始める。

「下がれ! こいつの正体は、ムーンブルク王都陥落に加担した、ハーゴン配下の魔物だ!」

各々の得物を構え、魔物の姿と人の姿が入り混じった異様な様を晒す神官を兵達は取り囲もうとしたが、アレンは大声で彼等を制し、

「僕達に構うな! 近衛兵は陛下と王妃殿下をお守りしろ! その他の者は守りを固めろ! 何が遭っても、こいつを城下に出すなっっ。────アーサー! ローザ! 行くぞ!!」

次いで命も飛ばすと、二人を促し様、右手でドラゴンキラーを、左手でロトの盾を構えつつ、力の解放と変化を終え始めた神官へ斬り込んで行った。

「はい! ──精霊よ、スクルト!」

「ええ! ──精霊よ、ルカナン!」

駆け出し、背を晒す彼に応えながら、アーサーは、精霊の守護の盾で己達を包むスクルトの術を、ローザは、精霊の加護を以て魔の力を抑え込むルカナンの術を唱える。

『ウォォォォォォォォ…………』

見えざる守護の盾が彼等三人を包み、魔を取り込まんとする精霊達の気配に神官が覆われた直後、振り被られたドラゴンキラーの切っ先は敵の胸許を抉ったが、長身のアレンよりも二回り以上大きな体躯の、青白い面に同じく青い一つ目のみが付いている、本来の不気味な姿を取り戻した魔物は、欠片も怯む様子を見せず、低く、それでいて宙も地も震わせる唸り声を上げると、人間の教団信徒達と同じ、白くてゾロリと長い衣装の裾翻しながら、広げた両の掌中に魔力の光を灯した。

『イオナズン!』

……目映い、と居合わせた誰もが咄嗟に思ったその光は、瞬く間に辺りを焼く閃光と化し、更なる光と速き風を孕んだ力は、ドン……! との衝撃音を一帯に響かせつつ、強く激しく爆裂する。

「くぁ…………っっ!」

「うわぁっ」

「きゃあっ!」

宙にて球状に広がり、王城の前庭を彩る木々や緑や花々や、踵を返したばかりの兵達を、抉った大地毎吹き飛ばした、黄と白が斑に入り混じった閃光と爆風に三人も同じく吹き飛ばされて、神官の眼前を占めていたアレンは背中から地面に叩き付けられ、彼の直ぐ後ろに控えていたアーサーとローザも、両の膝を折り、焼けた土に塗れ。彼等は揃って、呻きや悲鳴としか言えぬ声を洩らした。