─ Moonbrooke〜Shrine of the West〜Desert ─

やがて。

登り切った山道を少しばかり王都側に下ったそこに、三人は着いた。

「……………………あれが、ムーンブルク王都……」

あの時同様、そこにまで異臭を漂わせ、崩れ、煤けた様を晒す無惨な都を眺め下ろし、ぽつ……、とローザは呟く。

「……美しい都だったの。本当に美しかった…………。どの季節でも、花と緑が溢れていて、湧き水を流す水路も、公園の噴水も、何時も輝いていた。大通りの全てに色煉瓦が敷き詰めてあって、馬車が行き来する度に、綺麗な音が鳴る仕掛けがされている所まであったのよ。王城だって、自慢だった。何百年も前に建てられたなんて思えない、真っ白い漆喰で塗られた、綺麗な、それは綺麗な…………。中庭には、お父様が私の名にちなんで造って下さった薔薇園があって、季節とお天気の良い日には、薔薇を眺めながら、お母様とお茶をしたわ。…………なのに。なのに、どうして……。どうして、ムーンブルクの都が…………っっ……」

立ち尽くし、眼下の王都を微動だにせず見詰めつつ、彼女は一人、幸せだった頃の想い出を、繰り言の如く。

「ローザ……」

「その…………」

ぽつり、ぽつりと語られる彼女の想い出、想い出を辿る彼女、それに、掛ける言葉もない……、とアレンとアーサーは俯いた。

遠からず、彼女は泣き出してしまうのではないかとも思った。

けれど、潤ませた紅色の瞳をしっかりと見開く彼女は、涙を零そうとはしなかった。

血が滲む程に唇を噛み締めつつも。

「…………二人共、御免なさい。有り難う。……行きましょう」

……そうして、一度、大きく息を吸った彼女は、少年達を促し歩き出す。

「………………大丈夫、か?」

「無理……しないで下さいね」

「……大丈夫。私は、大丈夫よ。泣いたりなんかしない。今は、悲しいよりも、悔しいの。私の生まれ育った城、生まれ育った都、それが、あんな姿にされてしまったのが、唯々、悔しいだけ……。…………でも。何時か、絶対に私は、私の故郷を取り戻してみせる、とも思えたから。私は大丈夫」

先頭に立ち背だけを見せるローザに、いまだ相応しい言葉を探し倦ねながらも少年達が小さく声を掛ければ、彼女は振り返らぬまま。

何時の日か、必ず、私はここに戻る、と誓いの言葉を告げた。

その山を下りた後。

定石通りの道を行くのを止め、三人は、山脈沿いに、大陸中央部の北側を抜けた。

もう誰も、少なくとも今は、ムーンブルク王都に近付きたいと思えなかったから。

避けて通る筈だった悪路を使わなくてはならなかったし、そろそろ見飽きてきた感のある魔物達が頻繁に現れただけでなく、王都から彷徨い来たのだろうか、悪霊のようなものにも襲われたが、滅び去った都を常に目にしながら旅するよりは、気分的に楽だった。

但、それは、体力的には誰もにきつい行程だった。

文句も我が儘も言わず、気丈に歩き続けてはいたが、ローザは、野宿のみで無理矢理に疲れを拭い、尚、体力的に勝る少年達の歩みに合わせるのに限界を迎えており、進む速度を落としても、薬草や治癒の技で癒しても、彼女は足を引き摺りがちで、アーサーも息が上がるのが早くなり、未だ空が明るい内から、野営を始めなくてはならない日も増えた。

自分よりも遥かに華奢に出来ているアーサーとローザの面倒を見、そして庇い、としながら日々剣を振るうアレンの負担は最も大きく……そればかりか。

自身達の崇める教団が滅ぼした都の様子でも確かめに来たのか、それとも滅んだ様を讃えにでも来たのか、三人が行く道すがらには、邪神教団の信徒達も数多く徘徊しており、これまでは思い出した頃に出会す程度だった彼等と、数日に一度はやり合わなくてはならなくなってしまった彼の中に溜まり始めた疲れは激しかった。

アーサーやローザに何を言われても、彼は、深夜の見張りを一手に請け負うのだけは頑として譲らなかったので、ムーンブルクの東半分と西半分を隔てる海峡を繋ぐ、関所の役割も兼ねた、西の祠と呼ばれるそこに着いた頃には、身体的負担に心的負担、それに寝不足まで抱え込んだアレンも、時折、足許を覚束無くさせ始めて。

…………だと言うのに。

目指す、西の祠を越えた先──ムーンブルク大陸西方にて彼等を待ち受けているのは、広大な砂漠──不毛の地だった。

ムーンブルクの西方──行き来する者達の旅の安全を祈り、旅の最中に傷付いた人々の為に命を癒す術を生み、としてくれる司祭が住まっている西の祠を潜り、僅かに広がる亜熱帯の草原を抜けた先には、世界最大の砂漠地帯が横たわっている。

二、三十年前──そう、魔物達が再び暴れ出す以前は、オアシスも幾つかあり、遊牧民の集落も点在していて、砂漠と言えど、往くには然程困らなかった。

が、何時しか、最も大きいオアシス以外は姿を消し、旅人達や商隊の列を快く迎えてくれていた遊牧民達も何処いずこへと去ってしまって、本当に、滅多なことでは人も行かぬ不毛の地となった。

数年前、ドラゴンの角に掛かっていた吊り橋が落とされてからは、尚更。

…………それでも三人は、何としてでも乾いた不毛の地を渡り、海峡を越え、港町ルプガナにて船を探して、ロンダルキア大陸まで辿り着かねばならなかった。

ムーンブルク西方の砂漠の良い点は、平坦であることであり、悪い点も、平坦であることである。

起伏のない砂漠は、先人達の教え通り、風までが灼熱と化す日中を避け、冷える夜間に旅を進める者達の足場に心配を齎さない。

要するに、砂に足を取られる以外は、夜でも歩き易い。が、その代わり、日中、陽光や照り返しから身を守る日陰を一切与えてくれない。

起伏のある砂漠──かつての渓谷の跡が窺えるそれは、夜に往くには足場が悪過ぎると言う意味で危険で、日中の移動を余儀無くされるが、代わりに体を休める日陰も見繕えるし、上手くすれば、水の流れも見付けられる。

但し、迂闊に砂漠の水辺に近寄ると、地下から吹き出た土石流に飲まれる、と言う憂き目に遭うこともあるが。

……まあ、何にせよ、ムーンブルク西方の砂漠が平坦であるのを喜ぶか嘆くかは、人それぞれの考え方次第と言う奴だ。

何がどう転んでも、砂漠越えが過酷であるのに変わりはなく、三人は、どうしようか……、と散々悩んだ果て、夜の間に進む方を選んだ。

魔物と出会す確率は跳ね上がるが、暑さにやられ、乾涸びて、ミイラになるよりはましかな、と。

故に、細やかな亜熱帯の草原が途切れ、眼前に、一面の砂が広がったその日。

西の祠の井戸で、己達で持ち運べる限界まで確保した水入りの革袋を背負い直し、頭も顔も、白くて長い布地でしっかりと覆ってから、日没後、三人は、砂漠越えに挑み始めた。