─ Moonpeta ─

アレンとアーサーがムーンペタの街に舞い戻ったのは、その日の午後早くだった。

世界が平和だった頃程ではないが、今でも、ムーンブルク大陸とローレシア大陸とを行き来する旅人の姿を見掛けられるムーンペタは、『人と人とが出会う街』と呼ばれており、旅人達が冠した渾名通り、出会いの街となってくれるよう祈りながら、二人は先日の宿屋目指して走った。

「え、いない?」

「そうなんだよ。日暮れにはちゃんと戻って来るんだけど、あれから毎日、昼の間は、街の西門や東門辺りをうろうろしてるみたいなんだ。……あの仔、お客さん達と一緒に行きたかったんじゃないかね。欲しい、飼いたいって言ってきた人も何人かいたんだけど、貰い手の名乗りを上げてくれた人達が連れ帰ろうとすると、凄く怒って暴れて。あの仔の世話や餌の面倒くらい見られるけど、やっぱり、犬や猫を飼ってる宿屋を嫌う人もいるから、どうしようかと思ってた処だったんだ。良かったよ、お客さん達が戻って来てくれて」

「……そうですか。お世話をお掛けしました。有り難うございました」

けれど、飛び込んだ宿に仔犬の姿は見当たらず、もう誰かに貰われたかと女将を捕まえて尋ねたら、溜息付き付きの彼女に事情を語られ、二人は街中へと戻る。

彼女が言っていた辺りを探したら、直ぐに、キュンキュンと鳴くあの仔犬が物陰から飛び出て来て、引っ手繰るように仔犬を抱き抱えて走ったアレンとアーサーは、町外れで見付けた雑木林の裏手に忍んで、辺りに人の気配がないのを念入りに確かめてから、そっと、そこを覆う緑の雑草の上に、姫かも知れぬ仔犬を下ろした。

「いい子だから、大人しくしててね」

「じっとしていろよ」

そうされても、懸命に二人へ飛び付こうとする仔犬をアーサーは撫でて宥め、アレンは、漸く大人しく座った小さな姿へ、ラーの鏡を掲げた。

どうだろう、と脇から彼等が覗き込めば、ラーの鏡は、愛くるしい仔犬でなく、紫色した長い髪と紅色の瞳を持つ美しい少女の姿を映し出し、目映く輝くや否や、パリン、と音立てて粉々に砕け散った。

「あっ」

「うわっ」

鏡面より溢れ出た光と爆ぜた衝撃に思わず顔背けた少年達が、そろりと向き直ったそこには、鏡が映し出した通りの少女が、己で己を抱きつつ座っていた。

「え……」

「……あ」

──現れた少女に、ローザ姫! と歓喜したのも束の間。

はた、と二人は、彼女が肌を晒しているのに気付き、盛大に慌てふためきながら顔を背ける。

「な、な……何でっ? どうしてこうなるっ!?」

「あああ、そうか! 仔犬の姿で服なんか着ていられる筈無かったですね……っ!」

アレンにしてもアーサーにしても、肉親以外の女性の裸体を目にした経験はあるけれど、第一位の王位継承権を持つ一国の王女の、しかも年頃を同じくする相手の肌など、お目に掛ったこともなく、ぎゃあぎゃあと、彼等は揃って浮き足立った。

到底慣れぬ事態に蹴落とされたのみならず、婚礼前の王女様の裸体を眺めるような無礼を犯せる筈も無くて、彼女から顔背けつつ、頬を染めるしか彼等には出来ず、

「……私…………?」

かなり情けない様を晒す二人を、ぼうっと眺めた彼女──ローザは、不思議そうに呟きながら、ふらりと体を傾がせた。

「姫!」

「ローザ姫様!」

ゆっくりと、緑の雑草へと彼女が倒れて行く姿は、未だ、ぎゃあぎゃあ喚き続けていたアレンとアーサーの視界の端を掠め、駆け寄ったアレンは頽れる直前の体を抱き留めて、アーサーは肩から下げていたマントを引き千切る風に外し、頭からローザに被せる。

「姫は……?」

「気を失われたみたいだ」

「そうですか……。じゃあ、直ぐに宿に戻りましょう。行き倒れた女性を見付けたと言い訳すれば、姫を抱えて行っても何とかなるでしょうから」

「そうだな。急いだ方が良さそうだし」

紅玉で出来ているかのような綺麗な瞳を閉ざし、くたりと弛緩してしまった彼女の様子を確かめて、誰に聞かせるともなく、「申し訳ない」と何度も繰り返しながらアーサーのマントで包んだローザを、アレンは抱き上げた。

腕にした躰は信じられぬくらい軽く、微かに、薔薇の香りがした。

「ねえ、アレン」

「何だ?」

「姫が気付かれて、元気にもなられたら……、僕達、揃って引っ叩かれそうですね」

「……言うな。頼むから言うな。頬を張られるだけなら未だしも、ローザ姫の裸体を目にしたなどと知れたら、僕は、父上と母上に成敗され兼ねない……」

「不可抗力ですけど、ローレシアとサマルトリアの王太子が二人揃って……、なんて恥晒しもいい処ですもんねぇ……。……うわー、もしも知られたら、僕も、父上に殴られて、リリに叱られる…………」

「リリ──ああ、妹君に?」

「ええ……。僕よりも、ずっとしっかりしてて、気も強いんですよね、リリ。兄上の痴れ者! なんて言われちゃったりしたら、立ち直れないかも知れない……」

目立たぬように裏路地から裏路地へと辿りつつ、宿を目指しながら小走りに行く二人は、共に嫌な想像を巡らせてしまって、どんより……、と落ち込んでいたが、アーサーの妹、リリ──正しくは、リリアーナ・ロト・サマルトリアの名が出た時、アレンは秘かに首を傾げた。

ロト三国の各王家は、男子には、名の頭文字をアレフと同じくする命名をし、女子には、ローラと頭文字を同じくする命名をするのを伝統の一つとした筈なのに、何故、彼の妹は、それより外れた名を持つのだろう、と。

「あ、不思議です?」

……その彼の訝しみは、顔に出たらしい。

アレンの面を横目で見て、アーサーは種明かしをした。

「え……、何を?」

「リリ──リリアーナは、本当は僕の実妹じゃなくて、母方の従姪なんです。母上の甥夫妻──僕から見れば従兄夫妻が、授かったばかりのリリを残して流行り病で逝かれてしまって。もう何年も前に亡くなった僕の母上は、サマルトリアの公爵家の出だったんですけども、縁者が少ない家で、その頃、リリを引き取れたのは、母上しかいなかったらしいんですね。それで」

「ああ、そうだったのか。そんな事情は聞いたことがなかったから、知らなかったんだ。……御免」

「謝らなくてもいいですってば。アレンだけじゃなくて、ローザ姫も知らないと思いますよ。父上も母上も、リリを実の娘として扱ってましたし、僕も本当の妹と思ってきましたから。ローレシアでもムーンブルクでも、敢えては触れない話だったでしょうし。何がどうあれ、父上と僕とリリは仲良し家族ですから、血筋はどうでもいいです。リリも、本当は僕の妹じゃないって知ってますしねー」

「…………そうか。──なら、アーサーも本当は一人っ子だったのか。ロトの一族は、子孫を残し辛いのかな」

「さー……。どうなんでしょうね、その辺。あ、でも、勇者アレフとローラ姫は、三人も、僕達のお祖父様やお祖母様方を授かってますから、たまたまかも知れませんよ? 子孫を残し辛い一族だったりしたら、王族として困ります。子孫繁栄でないと」

ローザ姫を気遣いながらも、サマルトリア王家の事情や、ロト一族って……、との話を続けていたら、ようやっと宿の入り口が見えてきて、着いたー! と会話を打ち切った二人は、勢い、宿の扉を蹴り開けた。