打ち合わせた通り、宿の主や女将には、町外れで行き倒れの少女を見付けたと告げて取った一人部屋の寝台に、アレンはローザを横たえた。

されど、そこから先どうしたらいいのか、彼にもアーサーにも能く判らなかった。

単に、行き倒れた只人の面倒を見るだけなら彼等も悩みはしないが、相手は、誤ってだったとしても、失礼や無礼を働こうものなら外交問題さえ引き起こし兼ねないムーンブルクの王女だ。

それでも面倒を見る為には、どうしたって彼女の裸体を目にしなくてはならぬし、かと言って、宿の女将に頼むのも、彼女の身分や現状的にどうなんだ? と思えてくるしで、散々悩み抜いた後、やっとアレンが、かつてローレシア王城に仕え、結婚を機に退官した女性が、ムーンペタに住まっているのを思い出した。

宮仕えの経験を持つ彼女なら、ローザ姫が相手でも上手くやれるだろうし、事情を打ち明ければ手助けしてくれるかも知れぬと、アーサーに後を任せて一人宿を出たアレンは、街行く人々に問いつつ女官だった彼女の住まいを訪ね、玄関扉を叩く音に応えて姿見せるや否や、

「……アレン……様? ……まあ! アレン王子殿下! お懐かしゅうございます……!」

と叫びつつ立ち尽くした、自身より十五歳程年嵩の彼女に、内密にして欲しいと訳を話して、頼みを快諾してくれた彼女を連れ、宿へ戻った。

「ローザ姫様……。……お労しい……。本当にお労しい…………っ」

アーサーの待つ宿の一室に入って直ぐ、眠り続けるローザの枕辺に縋った元ローレシア王城女官は、少々の、涙に暮れて、だが直ぐさま、二人の王子を部屋から叩き出す。

「如何な事態であろうとも、王女殿下のご寝所に殿方が無闇に踏み込むなど、あってはなりません。言語道断!」

「ああ、うん。それは判っているけれど……」

「……で、では、姫を頼みます」

突如の使命に燃え盛っているらしい、キッッ! と目一杯眦吊り上げた彼女の剣幕に押され、アレンは、「久し振りだな、この感じ……」と冷汗掻きながら、アーサーは、「『武』の国は、女官まで怖い……」と慄きながら、後の全てを彼女を託し、ばつ悪そうに、自分達の為に取った部屋に引っ込んだ。

きっと、彼女に任せておけば大丈夫だろう、一寸迫力があり過ぎる気もするけれど……、と二人は、その夜を、己達の中に溜まる様々な意味の疲れを取り去るのに使った。

翌日になって、やはり漸く気が回り、元女官に革袋ごと渡した路銀でローザの身支度を整えて貰ったり、要り用の物を調達して貰ったりともして、後は、姫が起き上がれるようになるのを待つだけ、と相成ったが。

気は取り戻したものの、翌日も、その又翌日も、ローザは床を離れられぬ様子で、急いても仕方無い、呪いで姿を変えられていただけでなく、その心も傷付いているだろうと、少年達は、無駄な焦りを覚えぬ為にも、不意の休息に甘んじることにした。

思い掛けず得た時間を、アーサーは、趣味である古代の謎技術の研究や復刻の一環らしい何やらに没頭する為に当て、キメラの翼を弄くり回しながら一人喚いていたし、アレンも、最早趣味としか言えない鍛錬に勤しんでいたが、剣の型をなぞっていた最中、ふと、ラーの鏡のことを思い出した彼は鍛錬を切り上げ、町外れの雑木林裏の空き地へと、再度足を運ぶ。

ローザに掛けられた呪いを見事退けてみせた代わりに、粉々に砕け散ったあの日のまま、ラーの鏡だったそれの破片は緑の雑草の中に埋もれており、彼は、欠片を一つ一つ拾い上げては、持参した綺麗な布地に落としていった。

集めた破片には、硬貨程度の大きさになった物が二、三と、小さな手鏡程度なら作れそうな大き目のそれが一つあって、国に戻ったら、一番大きい破片だけでも、何とかして手鏡に設え直して貰おう、と彼は決める。

落ち着いた頃にアーサーに頼んで、サマルトリアの腕の良い職人を見繕って貰うのもいいかな、とも。

………………幼き日々、もういい、と拗ねてしまったくらい、勇者ロトの伝説と、勇者アレフの物語を聞かされ続けながらアレンは育った。

恐らく、アーサーもローザもそうだろう。

ロトの血を引く彼等だけでなく、ロト三国の何れかを故郷に持つ者は、誰もが、アレクとアレフ、二人の勇者の伝説が寝物語だ。

ローレシアの王太子と言う身分や立場が何を意味しているのか理解も出来なかった子供の頃は、アレンも、熱心に伝説話に耳傾けた。

二つの伝説も、二人の勇者も、無邪気なだけの男の子が憧れるに相応しい物語であり、相応しい者達だ。

彼等のような冒険をして、彼等のような勇者になること、それが、幼少の頃のアレンの夢だった。

けれど何時しか、二人の勇者の二つの伝説を、彼は、少しばかり鬱陶しく感じるようになった。

城下町の子供達とは違い、己は、二人の勇者の二つの伝説に憧れるだけでは済まされない立場なのだと気付いた。

持って生まれた身分や立場が彼の中に生んだ鬱陶しさは、やがて反発にまで膨らみ、憧れだった二人の勇者を、厭わしくさえ思わせたが。

又少し長じたら、それは所詮、八つ当たりでしかないと悟った。

彼等は、世界か、自身か、誰かの為に、勇者となり世界を救っただけだ。存在すら知りようない、遠い子孫の為に成された偉業ではない。己に疎ましく思われるような謂れなど、彼等にはない、と。

無邪気なだけの憧れを注ぐのも、立場を理由に反抗心を抱くのも、只の身勝手だ、とも。

……故に、そう悟ると同時に、アレンの『勇者嫌い』の時期は終わり、代わりに、二人の先祖を敬う気持ちが生まれた。

彼等が何を思い旅立ち、何を思い世界を平和へと導いたのかは判らない。

そんなこと、知りようもない。そこまでを、伝説は語ってくれない。

唯一つ言えるのは、その身の内に何を抱えていたのだとしても、二人が偉大な勇者だった、と言うことで。

二人に対するアレンの想いは、敬いだけでなく、誇りとなり、純粋な憧憬となった。

『男の子』でしかなかった時代のまま憧れるつもりはなく、彼等の絵姿に能く似た己の見て呉れや、ロトの末裔と言う運命が齎す過剰な期待や重圧は、旅の空の下でもアレンを苦しめるけれど。

アレクはアレクにしかなれず、アレフはアレフにしかなれず、自分は自分にしかなれないと、彼とて知っているけれど。

今のアレンにとって、アレクとアレフは、敬うべき先祖であり、或る種の目標であり、愛おしく感じる存在でもあって。

祖先達縁の品であるラーの鏡を、砕けてしまったとは言え、野晒しにしておくのも、用済みと捨てるのも、何となく嫌だった。

我ながら子供染みている、と感じながらも。

────だから、拾い集めたラーの鏡の欠片達を包んだ布を、腰から下げた小さな鞄の奥底に仕舞い込んで、彼は宿へ帰った。

夕刻まで未だ間があるから、鍛錬の続きでもしようかな、と少々機嫌良く宿の扉を潜ったアレンは、帳場の前でアーサーと鉢合わせた。

古代の謎技術絡みの趣味で頭を一杯にして、部屋に籠りっ放しだった彼も、その日は一人で出ていたらしく、顔を見合わせ、何となし困惑気味な笑みを見せ合った二人は、そう言えばこの二日、揃って好きなことにばかり夢中になっていて、今後を話し合おうともしていなかった、と気付き、何方からともなく相談をしようと言い合って、自身達の部屋に向かった。