『王殺しのゲーム』

  


 

 唇を離してすぐ、セッツァーがぎくりとしたのは、腕の中の男に己がした行為のせいだった。セッツァーは言葉に詰まった。キスの後で、今にも泣き出しそうな程強ばった形相で己を見据えてくる男を目の前にして。
 さて、そこいらの女を口説き落とす方法ならセッツァーは幾らでも知っていた。しかし、思っていたよりも頑迷なこのお坊ちゃんが築き上げた守りは、中々に手強いのだった。どうやってそれを崩していこうか、セッツァーは考えながら、口の端をつり上げた。
 ふと訝しげな顔をした男に、セッツァーはもう一度口付ける。
 腕の中で、男が体を堅くさせた。

 エドガーはむっつりと黙り込んだまま、セッツァーに背を向けて横たわっていた。
 飛空艇ファルコンの一室。狭い部屋に開いた小さな窓からは、容赦なく西日が差し込んでくる。部屋中が橙色で溢れていた。
 熱を持った光は、疲弊した体には強すぎる。エドガーは息苦しさを感じる。頭の片隅では水分を欲していたけれど、立ち上がり水を飲みに行く手間を想像すると億劫で、結局ベッドの上にいることを選んだ。
 体に合わないシャツを、だらしなく袖だけ通し寝転がっていたのだが、身動ぎする度、下になった肩口に皺が寄ってくる。それがやけに居心地悪い。体は疲れ切っていて、早く眠ってしまいたかったのに度々意識がそちらに持って行かれる。仕方なしにエドガーは半身を起こした。まるで力が入らない指に苛立ちながら、シャツのボタンを留めようと躍起になっていると、横から手が伸びてきた。驚いた。一瞬、セッツァーの手を押し止めようとしたが、それは些か無礼な気がして、器用な指がボタンを留めていくのをエドガーは大人しく見守った。相変わらずセッツァーの指はぞっとする程冷たい。時折長い指が素肌に触れるのに、エドガーは密かに身震いをした。
「どうも……」
 形ばかりの礼を言って、エドガーは又セッツァーに背を向けて横になった。セッツァーからの応えはない。エドガーは小さく息を吐いてシーツに顔を埋めた。
 妙に目が冴えてしまった。体は怠くて仕方がないのに、睡魔には見放されてしまったのだろうか。己の背に感じる、他人の温み。肌に馴染まないシャツ。鋭敏になっていく皮膚感覚に、エドガーは益々眠れなくなる。
「エドガー」
 触れ合っている背と背を介して響いてくる声は、まるで耳元で囁かれているようだ。エドガーは思考の海から引き戻される。
「エドガー」
 上手く反応できないままぼんやりしていると、セッツァーはもう一度名前を呼んだ。ふと、背中の向こうでセッツァーが体を起こす気配がしたかと思うと、首筋に唇が触れてくる。逃げるように、エドガーは壁際に限界まで体を押しつけた。
「……ああ」
「……大丈夫か。気分は?」
 エドガーは小さく首を横に振った。
「良くはないな」
「寝ていろ、暫く」
 言われなくてもそうするつもりだ、とエドガーは言おうとした。けれども開きかけた口は、乱れたエドガーの前髪を弄ぶように掻き上げるセッツァーの手に戸惑い、言葉を失う。手櫛で何度か髪を梳かれる。漸く手が離れたかと思うと、予告なしに瞼に触れた。エドガーは反射的に首を振る。その手を押し退けるように狭い中で無理矢理寝返りを打つと、エドガーは薄く目を開いた。
「セッツァー」
「ああ?」
「君は」
 不自然に言葉が切れた。言いたいことが上手く纏まらない。
「ああ」
「君は、男も知っていたのか」
 探し当てた幾つかの言葉から、一番直接的なものを選んで口に出す。
 霞がかった視界の向こうで、セッツァーは一瞬目を見開いて、その後ゆっくり目を細めた。
「お前は、女しか知らなかったのか」
「……別に。女性だけで良かったんだよなあ」
 何でこんなことになったんだろう。ぼやくと、セッツァーが喉の奥で低く笑った。
「で。……その、気分は?」
「最悪」
 苦笑する気配と共に、両眼の上に掌が乗せられた。
「暫く、寝ていろ。夜までには時間があるから」
 言葉のままに、エドガーは目を閉じる。体は既に限界だったようで、何も考えないようにつとめていれば、意識はだんだんに白濁していく。
「煙草、吸うぞ」
 低い声でセッツァーが言った。霞んでいく意識の片隅で、存外律儀な男だとエドガーは感心した。やがて流れてきた、嗅ぎ慣れた香に包まれて、エドガーは眠りについた。

 夕刻。
 瞼に闇の重みを感じる頃、エドガーは目を覚ました。目を開いても辺りは暗く、それが奇妙に違和感なくエドガーは少しの間夢と現の区別が付かなかった。夢でも闇の中にいたのだろうか。
 隣にセッツァーの姿はなかった。
 次第に明瞭になってくる意識と同時に、ひりつくような喉の痛みを覚える。エドガーは手探りでサイドテーブルの隅に置かれたウィスキーの小瓶を探し当て、一口煽った。アルコールはとろりと喉を伝い、優しく喉の粘膜を焼いていく。
 空気は疾うに夜のそれになっていた。底冷えする夜気を肌に感じながらエドガーは身なりを整える。
 錆び付いた機械のように、動かせば体のあちこちが悲鳴を上げる。
 床に投げ捨てられていたリボンを拾い上げると、我知らず溜息が零れた。急に己の現状が情けなくなった。
 女であれば欲も涌こうが。男が男に欲をぶつけ、受け入れるという構造に未だ違和感を感じている。好きだと言われた。口付けられた。抱かれた。それでも、解らない。理由や理屈の欠落した行為は苦手である。確固とした地盤がなければ歩けない、翼を持った彼とは違って。同じものを見ていても、見えているものが違うのだ。己の思考は空を飛べない。ただ一点、フィガロの王としての立場に磔になったまま、そこを動くことはないからだ。
 何故、何故と問い続けても答えは結局出なかった。
 彼は常にする方で、己は常にされる方だ。だから言い訳は幾らでもあった。己の感情と今の現状に折り合いをつける為に言い訳をどんどん連ねて、己は被害者を演じ続ける。彼はそんな己も許容する。理解出来ない。
 成る程、『受け入れている』立場は、確かに己にとっては都合がいいが。
 理解出来ない者を相手に、どう太刀打ちしよう。
 そこまで考えて、エドガーは一度思考を遮断した。
 髪をリボンで一纏めにすると、深く息を吸った。鬱屈した気分を切り替える。今から向かう日常に適応する為に。
 エドガーは部屋を出た。途端に耳に飛び込んでくる喧噪が、どうしてか懐かしい。
 そこにいる筈の仲間たちの顔を思い浮かべながら、エドガーは声のする方に向かって歩き出した。

「珍しいのな。昼寝なんてさ」
 そう言って笑ったロックに軽口で返しながら、エドガーは椅子に腰掛けた。
 皆、疾うに夕食は済ませたらしい。余り物だけど、とティナが差し出してくれたのは、底に薄く切ったバケットの沈んだスープだった。エドガーは有り難く口に運ぶ。鶏と野菜のそれは、味付けはシンプルで疲れた体にも優しい。素直に旨いと告げると、逆に恐縮された。
「御免なさいね。本当、在り合わせなの。夕飯、みんなに粗方食べられちゃって」
「いーのいーの。寝坊してくる奴が悪いんだから」
 エドガーが何か言う前に、ロックが横から口を挟む。エドガーは苦笑しながらも、その通りだと言った。
「マッシュ……と、セッツァーは? 姿がないけど」
 スープを胃の中に収め漸く人心地つくと、思い出したようにエドガーが言った。隣で、対面に座ったティナやセリスと他愛もない話に興じていたロックが顔を上げる。
 皆が皆、常にホールに屯している訳でなはないが、この二人だけがいないのは珍しい。
 ああ、とロックは複雑な表情になった。
「いつものヤツよ」
 セリスが答え、ロックも気まずそうに頷く。
「そうそう。いつもの、な」
 その言葉に合点がいって、エドガーは渋い顔を作る。
「全く。懲りないなあ」
 呆れたように呟いたが、あまり深刻そうには響かなかった。いつものことだと疾うに諦めが付いている。
「ロック、お前は? 加わらなかったのか」
「最近負けがこんでてなあ」
「……懲りないなあ」
「懲りたから、ここにいるんだよ」
「どうだか」
 冷淡に言ってのけたのは、セリスだった。
 ロックは口籠もる。気まずい様子で、手にしたグラスの中の液体を空にした。横目にロックを伺うと、ロックはグラスの影で小さく舌を出した。全く反省していない。
 エドガーも立ち上がると、グラスを一つ取ってくる。ロックの脇に置かれた酒瓶を奪い取ると、グラスを満たした。
「あんたは、いっつも見てるだけでやらないよな。カード。嫌いだったっけ、そういうの?」
「私のお金は国民の血税……」
「都合のいい時だけ王様面しやがって。嘘付けよ」
 ロックが口を尖らせる。
 エドガーは視線を逸らして、酒を一口嚥下する。賭け事は好きじゃない、と言った。まるで言い訳をしているようだ、とエドガ−は自嘲する。
 無邪気に首を傾げティナが問うた。
「ねえ。そんなに勝てないの? ロックもマッシュも」
「全っ然。まったく、これっぽっちも」
 ロックは大袈裟に首を振った。
「いいカモだね、お前ら二人」
 エドガーが呆れると、突然、背後から不機嫌そうな声が降ってきた。
「どこがいいカモだよ。勝負にならねえ上に払いも悪い奴らのどこが」
 振り向くと、エドガーの手から素早くグラスが奪われる。声色とは裏腹に、セッツァーは機嫌よさそうに口角をつり上げた。グラスの中の酒を一気に飲み干すと、エドガーの手にグラスは返ってくる。眉を顰めたエドガーを、セッツァーは一瞥しただけで謝りもしない。
「おや。厳しいね、胴元さん。だったらもう少し手加減してやればいいものを」
「冗談じゃねえよ。これでも充分、手加減はしてやってるんだ。負けるこいつらが悪い」
 セッツァーが鼻で笑った。
「マッシュは」
 エドガーが訊いた。
「ああ。負けて一人で落ち込んでやがったから置いてきた。気が済んだらこっちにくるだろ」
「やっぱり負けたのか。……可哀想に」
 側で二人の会話を聴いていたロックが、憤懣の声を上げた。
「鬼。お友達相手にボるかよ普通さあ。ひっでえの」
「誰が、誰とお友達だって?」
「俺と、お前と、マッシュ君。あーあ、可哀想なマッシュ。散々苛められて」
 二人が詰り合いをしている隙に、エドガーはロックの酒瓶を空にする。更に新しいボトルを持ってくると一人で開けた。
 その内二人も飽きるだろう。あまりにレベルの低い遣り取りは、止める気にもなれない。迂闊に逃げようとして見つかって、こちらに火の粉が飛んできても面倒だ。どうせ巻き込まれるならさっさと酔ってしまった方が楽である。
 疲れた頃には口論を止めて、何だかんだと言いがかりをつけて酒宴を始めるのだろう。
「本当に……懲りないなあ」
 喉を伝う液体に、じわりと体の中は熱を持つ。酔うには少し早過ぎないだろうか。呟いた言葉は、楽しげにしか聞こえない。

 酔えば饒舌になる者と寡黙になる者がいるが、目の前にいる三人は確実に前者だ。酒の肴に酒を飲むような、そんなザルを通り越して枠ばかりの者たちは、益体もない話に花を咲かせて大いに盛り上がっていた。女性よりも良く喋る、とエドガーは半ば呆れ、半ば感心しながら御座なりに相槌を打っていた。
 セッツァーの言った通りに、少ししてエドガーたちのもとに戻ったマッシュは、自棄酒と称して常よりも速いペースで飲み始めた。仲間の中でも突出して図体の大きい彼が酔い潰れたとき、介抱するのはいつも兄であるエドガーの役目だった。御陰でエドガーは、己の飲むペースを控え弟の酒量に始終目を配らなければならない羽目に陥った。
 夜も大分更けた頃。
 会話も途切れ途切れになり、手持ち無沙汰になったセッツァーが懐からカードを取り出した。セッツァーの誘いに一も二もなく乗ってきたロックとマッシュとは逆に、エドガーは笑ってそれを辞した。
「逃げる気か?」
 挑発するようなセッツァーの視線を受け流し、エドガーは穏やかに首を振ってセッツァーの言葉を否定する。
「賭け事は嫌いなんだってよ、王様は」
 ロックが揶揄するように言う。
「金は賭ねえよ」
 心外そうにセッツァーはそう主張する。今回は、という言葉をしっかり付け加えて。しかし、エドガーはその顔に更に笑みを深く刻むだけで、決して首を縦に振ろうとはしなかった。
「それでも。結構」
「負けるのは嫌いか?」
 セッツァーは尋ねた。否定するのを解っていながら、寧ろそれを期待するように、棘のある語調で。
 エドガーは俯いて、アルコールを口に含んだ。掌に包まれていたグラスの中のそれは疾うに生温く、苦味だけが舌を刺激する。
「いや。別に」
「あー。じゃあさあ」
 場の空気に似合わぬ、調子外れな明るい声を上げたのはロックだった。
「エドガー。久し振りにあれ、やろう」
「あれ?」
 エドガーにとっては意外なことに、セッツァーは興味を示す素振りを見せた。エドガーに目を遣ると、顎をしゃくり大上段に問うてきた。
「何だよ、あれって」
 仕方ない、というポーズをとって、エドガーは表情を和らげた。矛先が逸れたことを安堵しながら。

 


 

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