そのあと直ぐにマッシュとロックが到着して、セッツァーまでが川に浸っていたことに驚いていたが、セッツァーは何事もなかったかのように、彼らを水源地まで行かせて、皆で野営地へ戻ったのだった。
「兄貴、顔色悪くないか?」
 野営地に着く頃、マッシュがそう言って顔を覗き込んできた。確かに、常よりも強い疲労感を感じていたのは確かだったが、身についてしまった習性が、それを否定させた。
「いや、そうかい? 大丈夫だけど?」
 セッツァーの纏う空気に、剣呑としたものが混じるのを感じたが、マッシュには笑みを返してしまう。
「マッシュ、ちょっとこいつ借りるぞ」
「いいよ。あ、そろそろ飯だよ」
 セッツァーがそう言って私を飛空艇へ連れて行く時は、たいてい技術的な相談ごとがあるのだろうと思い込んでいるらしく、マッシュの声には疑いの欠片も無い。これほどにこの空賊が騙し易ければ、どんなにか気が楽だろうとすら思ってしまう。が、この無双の空賊、稀代の賭博師と徒名される彼を、騙し通すのはおそらく非常に困難なのだろうと観念するしかなかった。
 飛空艇の、セッツァーの使う部屋へ放り投げられて、不平を漏らす間も与えられずに扉に鍵が下ろされた。彼の部屋は、施錠すれば気密性が高く外部からの音や視線を遮断してくれる。
 彼自身も川に飛び込んでしまったから、着替えが必要で、濡れた衣服を乱暴に脱ぎ捨て、着替えてしまう。部屋の入り口でじっと立って彼の行動を見ていた私に、彼は乾いたタオルを数枚、棚から取り出して、投げてよこしたのだった。
「エドガー、ここなら誰にも邪魔されないから、ちゃんと髪を拭いて、暖かい格好に着替えて、傷を消毒して待ってろ。薬湯を作ってくるから。それから、着替える間は、扉の鍵を閉めて・・・」
 とたんに緊張感が解けたのだと思う。彼の顔が、自分の視線より、遥か上に見えた。否、私はその場に、膝を突いて座り込んで彼の顔を見上げることになってしまった。
「おいっ?!」
 彼の腕が、力の抜けた私の躰を支えてくれる。この腕には縋りたくない、と、一瞬戸惑いもしたが、自分の力で立ち上がることは叶わず、彼の懐に躰を預ける格好になってしまう。それは、不覚としかいいようのないことだったけれど、どうしようもなかった。
「ったく・・・」
 彼は私を軽々と抱き上げて、寝台へと運び込んでしまう。手際よく衣服を寛げて、靴を床に投げ捨て、剣を枕元に置いてしまうと、まだ湿り気を含んだままの髪を拭いてくれた。そして、手際よく傷を消毒し、大剣を薙ぐとは思えないほど繊細な掌で、私の額に触れる。
「熱が出てきてる。魔物の毒か? 冷たい水に入ったのがいけなかったのか?」
「判らない・・・」 急に熱が上がってくるのが判って寝台に敷かれた毛布を手繰り寄せて包まろうかと思っ
た時、扉を叩く音がして、彼が相手を確認すれば、ロックの姿が扉の向こうにあった。
「エドガー、中?」
「ああ」
「もしかすると体調悪いんじゃないかな?」
「ん?」
「以前に魔物の毒でショックを起したことがあるから、しばらくエドガーの様子、注意して見ててくれる? 判ってると思うけど、あいつの『大丈夫』はあてにならないから。それと、着替えは無理に手伝わないでやって」
 そして彼は、二人分の食事と、私の夜着と、薬湯と、魔物の毒で容態が急変した時に、と言って丸薬とをセッツァーの手に預けて扉を閉めたのだった。彼は、寝台に腰掛ける私に夜着を放り投げてよこす。傷痕を知ってしまった彼にはもう隠す必要もないという気持ちもあって、彼の前で着替えることに抵抗はなかった。着替えを終えて、彼の勧めに従って寝台に横になった。寒気を感じて、掛けられた毛布を襟元まで引き上げれば、ほんの少し彼のにおいがして、しかしそれは不快ではなく、むしろゆっくりと深い呼吸を繰り返せば、いくばくかの安堵すら覚えた。そして彼は、小さな声を発した。
「なぁ」
 少し言い辛そうにしてから、意を決したかのように深呼吸をしてから、彼は、聞いてきた。
「それは、烙印か? ―――答えたくなければ、答えなくて構わないが・・・」
無意識のうちに寒さから寝台に丸まって毛布に包まって暖をとろうとしていた私に問いかけた彼に好奇の気配はなく、私は素直に頷いて答えてしまう。弟にすら隠し続けている事実を、誰かに語ってしまいたかったのかもしれない。
「―――王の躰に、か?」
「即位の儀式に定められている、私の罪のゆえのしるし」
「罪を犯さない人間なんているのか? そんなのをいちいちお前の神は罰するのか?」
 フィガロの神と王との関係の特殊さは異邦人の彼には判るわけもなく、苛立ちの色が含まれた囁き声が、響く。
「『王』だからこそ・・・」
「ロックは知ってるのか?」
「判らない。でも、話してはいない・・・」
「それに、なぜマッシュにまで隠す?」
「・・・言ったら、彼が苦しむから」
 彼は、それは「優しさ」ではない、と言う。それは、そのとおりだ。そして、彼は、私が弟を甘やかしていると思っているかもしれないけれど、私の心の奥底にあるのは、彼に対する優しさではないことくらい自覚してい
る。弟がこの傷痕を見てしまったら、おそらく良心の呵責に苛まれることだろう。自分が自由を得て王家から離れた後に、拷問にも等しい儀式があったことを知れば、私を憐れむ気持ちにもなるだろう。しかし、そんな感情を、私に向けて欲しくないというのが正直なところだ。彼を自由にしたのは私なのだ。将来に起こるすべてのことを受け入れる覚悟の上で、私は彼に自由を「与えた」。王はたった一人だ。無双の存在だ。私は、何があろうと逃げず、真っ直ぐ前を向いて玉座に立ち続ける義務を負うことを選び、彼は私に膝を屈する義務を選び取ったのだ。だから、―――私を憐れみの目で見ることは許さない。ただそれだけなのだ。でも、この気持ちは、決して誰にも語るつもりは無い、そう思っていた。
「弟に謝られたくない、ってところか?」
 ―――この男は、油断ならない。
 私が、言葉も態度も選んでいるというのに、時折、いとも簡単に隠し通そうとする真実を暴く。うかつに彼に語ったことを、後悔する。
「眠れ。疲れていると碌なことを考えない」
 この男は―――、何を考えているのか、判らない。突き放したかと思えば、労わりの言葉をかけ、自分には無関係だという態度をとっておきながら、まるで人の心を抉るようなことを言う。
 そうして彼は、部屋の隅の扉を開けて、新たな毛布を取り出して・・・、
「・・・寒いなら寒いと言え。腹が減ったらそう言えばいい。辛かったら辛いのを隠す必要もない」
 寒さに震えていた私を、柔らかに包んだ。
「俺とお前との間には、主従関係も血縁も無い。ここにいる時は、俺は俺だし、お前はお前だ。国王陛下の顔をしたお前と付き合うつもりはない・・・」
 毛布から手を離してから彼は、そっと、肩を叩いて、寝台から立ち上がり、机の傍に置かれていた椅子寄せて、腰を下ろした。
「セッツァー・・・?」
「なんだ?」
「君は、・・・私を心配してくれているのかい?」
 私が問う声が小さな部屋に響けば、この空賊は、
「言われなきゃ判らないのか? お前は」
 彼は、額にかかる銀色の髪をかきあげて、苦笑いを浮かべて―――そこには揶揄するような色はなくて―――。
 胸元で毛布を手繰り寄せるように掴んでいた私の掌に、自分のそれを重ねた。
「眠れ。一緒にいてやるから、大丈夫だ」

 そのぬくもりは―――真実―――?
 その言葉は―――真実―――?
 

End

 


 

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