サマルトリアを発って、幾日かが過ぎた。

魔物達の大半が姿を隠した今、わざわざ立ち寄る必要は無くなった、が、敢えて経由することにしたリリザの街に、アレン達は着いてしまった。

それでも。

サマルトリア王都からリリザへの道中でもそうしていたように、一晩の宿を取ることにしたあの街でも、三人は、努めて明るい話題だけを探し、翌日、笑いながら早春のリリザを発った。

────リリザの街からローレシア王都まで、正規の街道を徒歩で辿っても、今のアレン達の足ならば半月と掛からない。

否、魔物と言う障害が消えたのだから、尚早いだろう。

……そう、彼等の旅は、もう、残り数日。

その数日を、惜しみながら、噛み締めながら、されど笑みだけを湛えて三人は過ごし、街道の先に、霞むローレシア王都が見え隠れし出した頃。

後、一刻か二刻、立派な石畳で埋め尽くされた道を辿れば、王都の門を潜れる、と相成った所で、彼等は敢えて、野宿することにした。

文字通り、旅の空の下で過ごす、最後の一晩を。

どうせ、明日にはローレシアに着くのだから、勿体無いし全部使い切ってしまえと、担いできた食糧全てを料理して、流石に一寸作り過ぎた夕食を何とか胃に収め切って、夜遅くまで旅の思い出を語り合い。

「……そろそろ、休もうか」

楽しくて賑やかな会話が、ほんの一瞬途切れた時、何処かで踏ん切りを付けなければと、アレンが言い出した。

「…………そうね」

「じゃあ……、そうしましょっか」

少しだけ、寂しそうに笑って言う彼に、ローザもアーサーも頷く。

「……なあ」

「何、アレン?」

「今夜も。一緒に、寝てもいいかな」

「……嫌だと言っても駄目ですよ。アレンは、ローザと僕の枕なんですから」

「そうよ。枕が逃げてどうするの」

「…………うん。そうだよな」

焚いた火を小さくし、野宿故の簡素な寝床を整え終えたら、実に珍しく、アレンから、一緒に寝よう、と言い出したので、寂しそうな笑みを浮かべっ放しの彼のように、残り二人も寂し気に笑いながら冗談を言って。

口を噤んだ三人は、並んで横になる。

何時も通り、アレンを真ん中に、彼の右をローザが、左をアーサーが占めて、両脇を陣取った二人はアレンの腕を枕にして、アレンは二人の枕にされて。

「……お休み」

「……お休みなさい」

「二人共、お休みなさい」

揃って、彼等は瞳を閉ざした。

けれど、下ろした瞼の裏側で、語り尽くした筈の旅の思い出が甦り続け、色鮮やかに駆け抜けていく思い出達が、彼等を眠らせなかった。

…………旅の間中、三人揃って仲良くやって来られた。

でも、言い争いは能くあった。喧嘩だってした。誰かが誰かに説教されるなんて、年中だった。

どうしたって、旅を進める為のことばかりに話題は傾きがちだったけれど、子供だった頃の話もしたし、故郷での話もしたし、親達には口が裂けても言えない、自分だけの秘密を打ち明け合ったりもした。

沢山、本当に沢山のことを話して、互い、互いの良い所も悪い所も嫌と言う程見た。

……来る日も来る日も、朝から晩まで顔付き合わせて過ごした、二年、と言う月日は、やはり長かった。

共に旅を続けた彼等が、自身にとっての掛け替えのない存在となるに、充分過ぎる時間だった。

…………それも、もう、終わってしまうけれど。

共に過ごした刻が生んだ、溢れる程の思い出だけを残して。

惜しんでも惜しみ切れない、名残りと共に。

けれど。

過ぎた刻は戻らない。

刻の流れは止まらない。

何も彼も、何時の日にか費える。否が応でも。

「…………アーサー。ローザ」

だから、瞼の裏を走馬灯の如く流れ去る旅の思い出を見遣りながら、アレンは傍らの二人を抱き込んだ。

そうすれば、アーサーもローザも、彼にしがみ付いてきた。

────三人で、こうして眠る夜も、これが最後だ。

翌日。

旅の終わる日の早朝。

夜明けを告げる鳥達の囀りと共に、アレンは目覚めた。

一晩、抱き締めて眠ったアーサーとローザは、未だ眠りの中にいた。

己に凭れて眠る二人を起こさぬように、そっと寝床を抜け出して、彼は、そこより少しばかり離れた草原の中に分け入ってみた。

昇り始めて程無い朝日に照らされ出した、薄い朝靄に包まれた緑の野は甚く静かで、風も無く、彼が草を踏み拉く音を、やけに響かせた。

そんな辺りの様に、ローレシアの早春は、もっと賑やかだった気がするのだけれど……、と少しの違和感を覚えた彼は、落ち着かない感じで周囲を見渡し、ふと、彷徨わせていた視線を一点で留める。

……アレンが目を留めた先には、ふるふると震える、一匹のスライムがいた。

二年と少し前、城を飛び出した彼が、初めて戦った魔物。

あの頃は、小さくて青い、愛嬌溢れる顔をしたスライム相手に手子摺ったこともあった、と懐かしく思い出しつつの彼が、一歩、そのスライムへと近付いたら、気配に気付いたのか、小さな魔物は彼を見詰め返し、ちょっぴりだけ悩んだ風な素振りを見せてより、自分からアレンへ寄って来た。

身を屈め、ぽにょん……、と跳ねながらやって来た魔物へアレンが片腕を差し出せば、スライムは彼の掌に乗り上げ、

「今だから言える科白だけれど、やっぱり、お前達の顔は可愛いかも知れない」

世界が平和になろうとも、スライムは、時に人を襲い、溶かして喰らおうとする魔物として在り続けるのだろうけれど、可愛く思えぬこともない、とアレンは、ツン……と、もう片方の手でスライムを突いた。

すればスライムは、ピィ、と体躯に見合った小さな声で高く鳴き、草笛にも聴こえた鳴き声に、彼は笑みを拵える。

「平和、か……。何時までも、続いて欲しいな…………」

ツン、と突く度、文句を言う風にスライムは鳴いて、世界に訪れた平穏を、今、実感したような気がする、とアレンが呟いた時。

直ぐそこの街道の先──ローレシア王都の方角から、馬車が駆けて来る音がした。

「お前! もう、無闇に人に近付いてはいけない、危ないから!」

車輪が石畳を踏む音に驚いたのか、アレンの掌を占領していたスライムは慌てて草の上に飛び下り、跳ねつつ逃げて行く小さな青い背に、彼が声を張り上げれば。

「殿下! アレン殿下!!」

ガッと、彼の真横でけたたましく停まった馬車の中から、彼の爺や──ローレシア王国宰相が飛び降りて来た。

鬼のような形相をしながら。