『良くやった。本当に良く……。……これで、何も思い残すこと無く、この世を去れる』

だが。

しっかりとローザを抱き締めていたムーンブルク王は、これで、もう何も……、と彼女を腕より解き放つ。

「お父様……。私…………っ」

『……悲しむでない、ローザよ。其方は、立派なことを成し遂げたのだからな。それに、力強い仲間もいるではないか。ほら、そのような顔をせずに、笑っておくれ』

してはならぬことなれど、逝かないで欲しい、とローザは離れていく父の腕に縋ったが、彼女の父王は、にこりと笑って己が王女を諭し、

「…………はい。お父様……」

『アレン殿。これからも、ローザのことを宜しく頼みますぞ』

何とか彼女が涙を堪えたのを見届けると、ふい、とアレンへ向き直って、どうか娘を、と告げる。

「はい。必ずや、ローザ殿下のお力に」

『……そうか。有り難う……。────さあ、儂は行かなくては。折角見えた、天国への扉が閉じてしまうからの』

それへ、アレンが頷きと言葉を返せば、ムーンブルク王は再び笑んで、天を見上げた。

「お父様。私は、きっとムーンブルクを立て直してご覧に入れます。だから……」

『判っておるよ。其方は儂の娘だ。励むのだぞ。儂は、何時も天国から見守っておるからな』

「……………………は、い……っ。お父様…………っ」

『では、お別れだ。────おお、見える、見える……。あれは、天国への扉。……有り難う。どうか、元気で……』

そこに己を導かんとする何かがあるのか、王は、じっと宙の一点を見詰め、ローザとの最後の語らいを続けながらも、徐々にその身を透かせていき、やがて、静かに消えた。

「お父様………………」

父の姿も、気配も消えたそこに、ローザは踞って泣き崩れる。

「ローザ……。泣かないで」

「……お父上と語らえて、良かったですね、ローザ」

声を上げて泣き濡れる彼女の肩を、そっとアレンは抱き寄せ、アーサーは彼女の手を握った。

「ええ……。ええ…………っ」

けれども。

彼等に掛けられた言葉に頷きはすれど、ローザは、それ以上を言葉に出来ず、涙も止められず。

最早何も言わずに、彼女が自然と泣き止むまで待っていよう、とアレンとアーサーが目と目のみで決めた時、何処からともなく、囁きのような物が聞こえた。

「何だ?」

「人の声みたいですね。でも、入り込んで来る者がいるとは……」

「僕もそう思うが……。……ん? 増えてる?」

「……ですね。…………あれ、これって──

どう耳峙てても人の声にしか聞こえなかった囁きのような物は、直ぐにざわめきの大きさになり、考えたくはないけれど、不届き千万な野盗の類いかも、と少年達はソロリと腰の剣に手を伸ばしたが、「ひょっとして、声は声でも……」と、アーサーが何やらに思い当たった風になったと同時に、踞っていたローザが急に立ち上がった。

──お母様! 爺や、婆や!」

「あ、やはり……」

「……ああ、そういうこと、か」

ざわめく声は、ムーンブルク王に同じく、王城内で命を落とした今は亡き者達のものだったらしく、立ち上がり、泣き濡れた顔を上向けた彼女は、声達へと叫ぶ。

「お母様! 何処にいらっしゃるの、お母様!」

『お父様のお傍ですよ、ローザ。本当に、良く頑張りましたね……』

『ローザ様。有り難うございました……』

『姫様……。善くぞ、ご無事で……』

確かに聞こえる声は、母や、傍近くに仕えていた者達のそれだとローザには判り、必死に声の主達を探す彼女へ、姿無き母達は語り掛け、

『お父様と共に、母も、皆も、貴方を見守っています。何時でも、貴方の傍にいます。貴方達のお陰で、私達は天国に参れるのです。だから、泣かずにお行きなさい。私達は、天国で貴方を見守りながら、貴方の幸せを祈っています。大丈夫、貴方はきっと、幸せになれるわ』

「お母様……。──はい。お母様」

『……そう。そうやって、笑顔を浮かべていらっしゃい。綺麗よ、ローザ。私の大切な娘。…………ああ、私達も、もう行かなくては。──さようなら、ローザ。有り難う……』

幸せになって、と言い残し、彼女の母も又、天上へ向かって行った。

それからも、あちらこちらから、天国の扉が見えると、有り難うと、姿無き者達が告げてくる声は湧き続け…………しかし、やがてはその声々も消えて、玉座の間には静寂が戻り。

「皆……、天国へ行けたのね…………」

寂しそうに、けれど安堵の響きでローザは呟く。

「そうだな」

「ええ。皆さん、天の国に」

「良かった……。私達がハーゴンやシドーを倒せたから、お父様やお母様達が、天国に行けるようになったのなら。良かった…………。……二人共、有り難う。────ああ、そうね。何時までも、ここにいても仕方無いわね。行きましょう。日が傾き始める前に、王都を出ないと」

呟きに少年達が頷きを返せば、ローザはニコッと笑って、行こう、と言った。

「では、行きましょうか」

「うん。……さあ、ローザ──

──え。あ、その……。御免なさい、二人共、先に行って。泣き過ぎて凄いことになっていると思うから、今は私の顔を見ちゃ駄目なのっ」

「いや、別に気に──

──アレンっ。さあ、行きましょう、行きましょう」

ならば、とアーサーとアレンは踵を返し、ローザを振り返ったが、彼女は慌てて顔を伏せ、見ちゃ駄目! と言い出して、気にすることでも……、と女心を無碍にする応えをし掛けたアレンの背中を思い切りド突いたアーサーは、彼の腕を引っ張った。

ムーンブルク王都を発って、獣を狩りつつの旅を続けた三人が次に向かった先は、ムーンペタの街だった。

ロンダルキアにて彼等が死闘を制した日から数えて、既に一月半は経っているが、『人と人とが出逢う街』は、お祭り騒ぎのような雰囲気で包まれていた。

ロト三国の王子王女が、ハーゴンを討ったと。

己達の祖国の王女ローザが、陛下や王都の皆の仇を取ってくれたと。

そして、世界の滅びをも防いで、とも。

──そんな、今にもお祭り騒ぎの域を越えた騒動まで起こりそうなムーンペタの雰囲気に、三人は街に入って直ぐの所で、何事、と思わず立ち止まってしまったのだが、何時になるかは判らないけれども、ハーゴン討伐を終えられた王女殿下は、必ず、このムーンペタに一度は立ち寄られる筈! と固く信じ、訪れるだろう王女殿下を見逃すこと無いようにと目を光らせていた門番や街の者達に、物の見事に取っ捕まった。

「姫様! ローザ姫様! お待ち致しておりました……!」

「ローザ殿下! アレン殿下もアーサー殿下も! お帰りなさいませ!」

街の門近くをうろうろしていた、かつてローザの教師を務めていた賢者の老人も、以前世話になった元ローレシア王城女官の彼女も、手ぐすね引いてローザの帰りを待ち侘びていたらしく、三人を見付け、駆け寄って来た二人は、興奮頻りの顔で口々に言うと、ローザの前で膝を折る。

それを切っ掛けに、居合わせた人々も、次々彼女へ額突き、

「…………わたくしは、ムーンブルク王国第一王女、ローザ・ロト・ムーンブルクです。ローレシア王国王太子、アレン・ロト・ローレシア殿下、サマルトリア王国王太子、アーサー・ロト・サマルトリア殿下と共に、邪神教団大神官ハーゴンを討ち、我が国の王都の、国王陛下と王妃殿下の、仇を取って、今、戻りました。……皆、善くぞ、王都の陥落より二年もの間、耐え忍んでくれました。有り難う」

どうしよう……、とアレンとアーサーを見遣ったローザは、二人より目で促され、姿勢を正すと、ムーンブルク王国の後継者として、額突く人々に言葉を掛けた。

────そんな彼女の語りが終わった直後。

ムーンペタの街は、大きな歓声に包まれ、街毎揺れるような大騒ぎになって。