「来るぞ……!」

強固な筈の石床は崩れ続け、神殿自体を震わす揺れも強くなり、どうしてか、宙には幾つもの火球が浮かび。

床の罅割れと、激しく燃え盛る火球にアレン達が取り囲まれた時、頭上から、咆哮が轟いた。

獣の物とも、魔族の物とも違う、何かの。

神や精霊に等しい、『夢のように遠いモノ』が放つ咆哮。

その咆哮だけで、全身を打ち据えられたように感じ、歯を食い縛って顔背けた三人が前を向き直った時、既に、真実巨大な異形が降臨を終えていた。

自身の為の祭壇を背にして立つ彼等を、吊り上がった両目でジッと見下ろす異形──破壊の神シドーは、邪神の像そっくりの姿をしていた。

像の土台部分と同じ形をした髑髏を、首飾り代わりにぶら下げている、と言う唯一の違いこそあれ、邪神の像は、シドーの姿を見事に写し取った物だった、と言えるまでに。

……そうして、そのような姿の破壊の神がこの世界へ降り立つと同時に、ロンダルキアの空が俄に掻き曇った。

いや、アレン達には知る由も無かったが、ロンダルキアだけでなく、世界の空が。

全ての国で、街で、村で。

そればかりか。

陽を受けた作物が煌めいていたはたも、風が渡っていた草原も、静かな雨が濡らしていた街も、小雪舞い散る大海原も。

唐突に、前触れ一つ無く世界の終わりを迎えてしまったかのように、あらゆる輝きを失った。

土も水も火も風も、爛れ腐れた臭いを放ち出し。

人々も。獣も。魔物達でさえ。

この世の終わりがやって来たのだ、と漠然と悟った。

「き、巨大ですね…………」

「怯んだりするものですか……っ!」

────最後の贄となったハーゴンの血肉に導かれ、世界に降臨した破壊の神シドーの、禍々しき姿、ゾッとする気配、巨大さ。

そして、『神』である、と言うこと。

その全てに、アーサーとローザは息を飲む。

「アーサー、スクルト! ローザ、ルカナン!」

アレンとて、こくり……、と生唾を飲み込んだが、直ぐさま、キッと邪神を睨み返した彼は、剣を構え、盾も構え、二人を我に返らせると、躊躇せずに床を蹴った。

「精霊よ、ルカナン!」

「精霊よ、スクルト!」

──ラリホーとザラキは論外ね!」

「マホトーンも忘れましょう、そんなものが邪神に効くとは思えませんっ」

「ルカナンは効いたわ! マヌーサは!?」

「多分、五分五分ですっっ」

駆け出して行った彼の叫びに応え、それぞれ、ルカナンとスクルトを唱えたローザとアーサーは、雷の杖や隼の剣を構えつつ、魔術師として、魔術師に出来る術を探り始める。

戦いながらも、二人が怒鳴り合う風に言葉を交わす一方、単身、シドーに接近したアレンは、蜥蜴を彷彿とさせる異形の両脚に狙いを定め、ロトの剣を振るい続けていた。

──アトラスとの一戦に同じく、敵が巨大な所為で、今はそこにしか得物が届かず、又、邪神を討つには、何としてでも身を折らせるか、然もなくば脚や尾や四本の腕を踏み台に、急所があるだろう胸部から頭部に掛けてを撃てる所まで突っ込むしか、方法が見当たらなかったから。

が、シドーは、彼のその様をジッと見下ろしながら、煩わしい、と言わんばかりに、先の尖った長い尾を振り回して、自身の足許を駆け巡る彼を吹き飛ばす。

「アレン!」

「気にするな、大丈夫だから!」

「きゃあっっ!!」

自分の傍に飛ばされてきたアレンへ、アーサーが咄嗟に腕を伸ばし、ローザも二人へと駆け寄れば、邪神は今度は、大きくあぎと開いた口から激しい炎を吐き出して、火炎に焼かれた彼等を尻目に、何やらを言った。

……低音の、『夢のように遠いモノ』の声が紡いだ言葉は、三人の誰にも意味が解せぬ、別世界のそれだった。

聞いたことも無い。恐らくは、真似ることも出来ない言葉。

但、何の為なのかだけは判った。

途端、アレンが負わせたシドーの両脚の傷が、瞬く間に塞がったから。

…………そう、言葉は詠唱だった。癒しの力を生む為の。

「ベホイミ……? いえ、ベホマ……?」

「ベホマ……。神の名乗りは、伊達ではないと言うことね……」

「……振り出し、か」

目にしたものに、流石に、決意を固め、覚悟も決めたアーサーとローザの顔色が変わり、ギリ……とアレンは歯噛みする。

けれどもシドーは、戸惑いを覚えてしまった三人へ、再び、激しい炎を浴びせた。

「あ…………! ────ロトの剣っっ!! 頼む、伝説の通りにっ!!」

その刹那、アレンの脳裏を走ったのは、一言一句違えること無く語れるロト伝説の一節。

勇者アレクより神の鋼オリハルコンを託されし、古き神秘の国の刀匠が鍛え上げ、再現した王者の剣は、振るえば、逆巻く疾風を巻き起こす力を持っていた、と伝説は語っている。

疾風──今では失われてしまった秘術の一つ、風系魔法の最上位呪文、バギクロスを、と。

……だから、アレンは渾身の力と祈りを込めて、アレクの手にあった内は王者の剣と呼ばれていたロトの剣を、迫り来た灼熱へ向け振るい、剣身から迸った風は、見事、激しい炎を断った。

「せめて、マヌーサが効けば、厄介なのはあの炎だけになるんですが……っ!」

「アーサー、試すだけ試して。やってみるしかないわ。いえ、何としてでもマヌーサを掛けるしかないっ」

「そうだな。──その辺りのことは、二人に任せる。……ああ、すまないが、癒しも頼む」

飲まれる寸前で断たれた炎に目を丸くしつつ、マヌーサが掛けられれば……、とアーサーとローザは又も怒鳴り合い始め、アレンはシドーから目を逸らさずに、ロトの盾を外して床に落とした。

「アレン……?」

「貴方、何を?」

「あいつを倒すには、疾さで勝るしかない。守ることを考えていたら間に合わないっ!」

そうして彼は、ロトの剣を左手に持ち替え、背の稲妻の剣を右手に構えて、再度、シドーへと。

…………本来、そのようなことは有り得ない。

ロトの剣も稲妻の剣も、片腕で操れこそすれ、両手持ちの大剣に近いのだ、その二振りを以ての二刀流など、通常は敵わない。

だが、この土壇場で、アレンはそれをしてみせた。

今まで、アーサーもローザも、彼が二剣を同時に扱う処など、目にしたことも無いのに。彼本来の剣技では無かろうに。

それは即ち、彼の剣技は天才以上の域にある、との証明であり。

「二刀流……。って、感心してる場合じゃないですね。──光の剣!」

「あの二振りで、あんなことをするなんて……。────精霊よ、ベホマ!」

益々以て瞠目しながら、アーサーは光の剣を振り翳し、ローザはアレンの背へベホマを放つ。

「有り難う!」

癒しを受け、アレンは駆ける速度を上げた。

両手の剣を振るいつつ。

────稲妻の剣は雷撃を纏い、ロトの剣は疾風を生み、絡み合った雷と風は、剣身より一足早くシドーへ襲い掛かり、荒れ狂う雷と風の向こうから繰り出された刃は、緑色した鱗毎、邪神の肌を抉った。

彼の剣技も、その様も、巨大な異形をも飲み込まんとする小さな嵐のようだった。

但し、自身の守りの一切を捨てた、諸刃の剣の如くな。

……シドーにも、それは判っていたのかも知れない。

確かに、疾さでは勝っているアレンの攻撃に、一度ひとたびは癒しの術を忘れたらしい邪神は、四本の腕を同時に振り、此度は、吹き飛ばすでなく叩き潰そうとしてきた。