「人殺しの味を占めたことなど、故に親殺しに魅了されたことなど、一度も無い。人を殺したいなんて、一度だって思わないっっ!! そんなこと、思う筈無い……っっ」

投げ付けられた惨い言葉に我を忘れて怒鳴り返し、全身を怒りで満たして直ぐさま、アレンは今度は、世の人々の全て──アーサーもローザもいなくなってしまった何も無い世界の最果てに、一人置き去りにされたような寂寥と、言い知れぬ哀しみを覚えた。

手酷い言葉は、知らずとは言え人をあやめてしまったあの時の、恐怖と身の置き所の無さを甦らせた。

人殺しになってしまった、僕は人を殺してしまったのだと、そう悟った刹那の苦過ぎる思い出と、想いも甦った。

────戦うばかりの毎日を繰り返しながら、二年、旅を続けてきた。

あの夜から、もう約二年の時が経った。

けれども、あの夜を忘れたことは、否、忘れられたことは無い。

但、己でも気付かぬ内に、何時しか受け止められるようになっていただけ。

アーサーとローザがいてくれたから。二人が、抱えてしまったモノを共に持とうとしてくれたから。

……慣れたくなど無かったが、多少だけ、人相手に剣を振るうのに慣れてしまった自覚はある。

例え人であろうとも、戦わなくてはならぬ、倒さなくてはならぬ相手には、刃を持って立ち向かう他ないと、理屈の外で割り切れるようにもなった。

ロンダルキアに近付くに連れ、人の邪教徒は姿を消し、魔物ばかりが相手となったから、あの頃が、過ぎ去った昔になり始めていたのは否定しない。

忘れられずとも、思い出すことは稀になった。

けれど。

人の骨肉に刃を食い込ませた瞬間の、嫌な柔らかさを伴う手応えや、吹き出る血潮の生温さや赤さや、その刹那の音や匂い、そういったものは、己の身と心と魂の何処かにこびり付いたままで、ふとした拍子に、指先からじわじわと、『その瞬間』が甦る。

手が覚えている感触が、目に焼き付いた赤い色が、嫌で嫌で堪らなくて、何とか振り払おうとしても、こびり付いてしまったモノ達は、決して拭えない。

……なのに、人殺しの味を占めるなど、親殺しに魅了されるなど、有り得よう筈も無い。

「父上…………」

…………そう、そのようなこと、有り得る筈も無いのに。

父王に、有り得る筈無い言葉を投げ付けられて、アレンの胸は軋んだ。

「おや……。誤解させたか? アレン。だからと言って、儂は其方を責めているのではない。それならそれで良い。寧ろ、結構なことだ。殺したければ殺せば良い。魔物達を斬り捨ててきたように、今度は、人を斬り捨てれば良い。素晴らしい世を築こうとしているハーゴン殿に抗う輩を、片端から殺せ。所詮、価値の無い者共なのだしな。それなら、其方が血に飢えても、満足出来るであろう?」

しかし、瞬きも忘れた彼の碧眼を見返し、父王は、にやにやとした笑いを浮かべたまま、やけに嬉しそうに声を弾ませ、

「……父上。親不孝な馬鹿息子を、どうか、お許し下さい」

ツ……と、頬に涙を伝わせたアレンは、ロトの剣を握る手に、力を籠め直した。

──故国の玉座を占める目の前の男は、親愛なる父王の姿を取っているだけの、最早父とは呼べぬ相手、と心に定めても、やはり、そう簡単には思い切れなかった。

小さな子供だった頃は大層甘やかしてくれた、剣の稽古の相手もしてくれた、様々なことを背なで教えてくれ、時には叱られもした、大切な人に変わりはなかった。

けれども彼は、父王を討つべく、前へ踏み出す。

目の前の男が父足り得なくなったからではなく、故国の王足り得なくなったからでもなく。

惨い言葉に、怒りや寂寥や哀しみを覚えたからでもなく。

ムーンブルク王都の人々の仇を取る為に、ローレシアの為に、ロト三国の為に、世界の為に。

父や母や、己を取り巻いてくれる沢山の人達や、アーサーやローザや。

自分達と、自分達の大切なモノの為に、その全てを守る為に、ハーゴンを討とうと決めた心に同じく。

世界の敵となったハーゴンを討ち取るのと同じ理屈で。

…………但。

彼は、何処か我を忘れたままだった。

数多のことに、思い巡らすゆとりは無かった。

故に、アーサーとローザ以外には人殺しを打ち明けておらぬのも、己が罪を父王が知る筈無いことも、何一つ思い出さずに、玉座へと身を詰めたアレンは、ロトの剣を突き出す。

「アレ……。……!! ローザ、ルビス様の守りを掲げて下さい、早く!!」

「えっ!? え、ええ!!」

そうすべく彼が剣を操った刹那、神鳥ラーミアを象った鍔に嵌る紅玉が、チカリと瞬いた。

と同時に、ローザが胸に掛けていた、精霊ルビスの守りも金色の光を一瞬のみ放った。

目の端を掠めた煌めきに、アーサーは、はっと我に返り、ローザも、何やらを主張する風に光った胸の守りを握り締め、引き千切るように金鎖を外した彼女は、頭上高くルビスの守りを掲げる。

もしや、ルビスの守りが力を……、と思いはしたが、アーサーにもローザにも確証など無かった。

何の役に立つかも判らぬ精霊の守りは、某かの灯りを弾いただけかも知れない。

でも、何とかなってくれるやも知れない。

…………そんな風に、唯、ルビスより賜った守りに、一縷の望みを託しただけで。

だが、ルビスの守りは、彼等の想いに応えてくれた。

『勇者達よ。騙されてはなりませぬ。これらは、全て幻。さあ、しっかりと目を見開き、己の目で見るのです』

ローザがルビスの守りを掲げるや否や、何処からともなく美しい声が聞こえ、金色こんじきの暖かな光が溢れて、辺りを染めた。

溢れた金色の光は、今正に、父王の胸をロトの剣で貫こうとしていたアレンの視界も染め抜いた。

眩しさに、ん……、と目を細めつつも彼が剣を突き出した時には、もう、周りには何も無かった。

唯、霧か何かに包まれたような、白く霞む景色──否、空間、と言った方が相応しいだろうモノが、存在しているのみで。

「まぼ……ろし……? あの声は、ルビス……? ……幻。何が? 何処からが幻で、何処からが現実なんだ? この世界も幻……? 僕は今、何処に…………」

玉座の間も、父王達の姿も、アーサーもローザも消えた、一変した辺りに目を走らせ、己が今、何処に立っているのかも判らなくなったアレンは、不安に駆られた。

ハーゴン神殿より飛ばされたと思ったローレシア城での全てが幻で、ルビスの守りから溢れた光が幻を解いてくれたと言うなら、この不可思議な景色とて直ちに消え、現実に帰れる筈なのに、何時まで経っても、景色は移ろわなかった。

唯々、何処までも続く白い霞が広がるばかりで、彼は、この世界こそが現実なのではないかと疑い始める。

何も無い、己以外には生き物の影すら無い、滅んでしまった世界の最果ての、寂寥としか言えぬ直中に、たった一人で置き去りにされた自分、それこそが真の現実で、『今』なのではないか、と。

「あ…………」

……そう思い至った途端、彼の手から、ロトの剣が零れた。

剣を取り落としたその場に踞りもした。

幻の玉座の間にいた時から軋み続けていた胸が、更に軋んだ。

胸も、胃の臓も、手も足も、酷い痛みを訴えた。

訳も判らず、叫んでしまいたかった。

──! 見付けた!」

「ええ。やっと見付けられた……」

────……と。

踞ったまま胸を掻き毟って、叫びを迸らせようとしたアレンの許に何者か達が駆け寄り、二人いるらしい内の一人が、強い力で彼を抱き締めてくれた。