祠を発ってより三日目の早朝から、三人は、三日月湖の畔沿いを南下し始めた。

正体は精霊が故にか、将又はたまた某かの思惑を抱えているからか、今一つ腹の底が読めない祠の守人に『復活の珠』なる宝珠を譲って貰った為、それ程は魔力を温存せずとも良くなり、一度ひとたび祠に戻ろうと、何処の街へ飛ぼうと、ハーゴン神殿への道を開拓している今の一切が無駄にならなくもなったので、アレン達の足取りは、何方かと言えば気楽なそれだった。

元々、ハーゴン神殿に至る最短の道筋を掴み切るまでは、幾度でもロンダルキアの祠との往復をこなす覚悟だったから、端から彼等に気負いはなかったし、出会す度、程々に相手をし、程々に逃げている魔物達との対峙も、余り無駄な知恵を絞らずに済んだ。

但、三人の目測よりも三日月湖の面積は大きく、湖西側の岸を南下し切るまでに、三日を要してしまった。

即ち、祠を発った日より数えれば、五日を。

だと言うのに、三日月湖が途切れ、ここからは北上を、と相成った途端、出来れば行くのは避けたかった丘陵地帯に行く手を阻まれ、東西を岩山に囲まれた、雪深い原野とは又違った意味で荒涼としているそこを、迫り来る魔物達を退けつつ越えたのに、そこから先は、再び腰まで埋もれそうになる程雪が深くなり、更にその先には、冥くて深い森が広がっていて。

────祠を発って、八日目。

体力にも魔力にも、携帯食その他にもゆとりがあった為、祠にも戻らずここまで来てしまったが、そろそろ引き返した方がいいかも知れない、と三人の誰からともなく言い出した頃。

想像よりは小さかった針葉樹の森を抜けた彼等の目の前を、一面の砂が占めた。

大分以前、難儀しつつ踏破した、ムーンブルクの西方砂漠に能く似た色の。

「砂丘? ……あれ、砂漠……ですかね」

「砂漠……って、こんなに寒くて標高のある所にか?」

「でも、どう見ても砂漠よ? 砂漠と言うのは、暑い所にばかり出来る訳では無いから、そういうこともある……のではないかしら」

「ですね。と言うか、自然に出来た砂漠じゃないかもですよ? …………ほら、あそこ」

唐突に出現した、砂漠を砂漠足らしめる砂の海の縁に立って、何で、こんな所に砂漠? と主にアレンが首を捻ったが。

額に手を当て庇を作り、目を凝らしたアーサーが、砂塵の彼方を指差した。

彼が指差す辺りを見遣れば、そこには、雪混じりの砂を数多掬い上げつつ吹き荒れる強風に霞む、砂漠の砂と同じ色した、石造りの、高い双塔の建造物があった。

「ハーゴンの神殿…………」

「やっと……全貌が見えたわね」

「……はい。──ここからでも、あの神殿の禍々しさは能く判ります。肌に伝わってきます。……あんな物が聳える大地です、この砂漠は、ハーゴンや魔物達の瘴気や禍々しさが、大地を枯らせたからなのかも知れません」

「確かに。……異様としか言えないしな」

この光景は、自然に生まれたものではない。──そう言うアーサーの声に耳傾けながら、アレンは唯、煤けた砂の向こうに姿現した、敵の本拠地を見据える。

「…………雪、か」

と、そのまま暫しその場に佇んでいた彼の目の中に、白い物が飛び込んできた。

「アーサー。復活の珠、使えるか?」

「はい。どうすればいいか、大体は判ります。ここで使います?」

「ああ。──今はここまでにして、戻ろう。この場所からなら、砂丘を一つか二つ越えるだけであの神殿に着ける。出会す魔物全てから逃げるのも容易そうだしな。余り近付き過ぎても拙いから、この辺が妥当だ」

「そうね。雪も降ってきたことだし、一度、祠に戻りましょう。アーサー、お願いね」

「じゃあ、一寸だけ時間下さい」

何時しか鈍色になっていた空から落ちて来た雪は、激しさこそ無かったものの、直ぐに三人の視界の大部分を白く染め始め、潮時だ、と彼等は祠へ引き返すことに決めた。

只、役に立つから持って行け、と渡されただけで、具体的にはどのようにすればいいか守人の彼は伝えてくれなかったので、ほんの少しばかり手間取りはしたが、無事、復活の珠を用いての契約印の結びをアーサーは叶え、ぼんやりと輝き始めた珠を砂漠と森林の境に慎重に埋めてから、一仕事終えて満足気な顔になった彼の唱えたルーラで、アレン達はロンダルキア北の祠に戻った。

文字通り舞い戻った祠の入り口を潜ったら、守人の彼も尼僧も、初めて訪れた時そっくりの態度で三人を出迎えた。

まるで、彼等が十日近くも滞在していた日々など無かったことのように。

そんな二人の態度に、先日起こった幾つかの出来事──特に、守人がアレンに教えた話などを、彼等は本当に無かったことにしたいのかも知れない、と思いながら、三人はもう一度、一晩だけ、守人と尼僧の世話になった。

────明日には、いよいよハーゴンの神殿に乗り込む、と相成った夜だったけれども、取り立てて、何も起こりはしなかった。

そこで過ごした約十日の日々と同じく、地下の客室代わりの一室で、暖炉前を陣取り冷えた体を暖め、調理場を借りて食事を拵え、湯殿も使わせて貰って、やっぱり、ここが一番暖かい、と赤々と燃える暖炉の直ぐ脇に、毛足の長い敷物の、ふかふかした感触を直に感じられる柔らかい寝床を整えると、アレン達は、明日の為にと告げ合いつつ、早々に休んだ。

感傷的な気分に浸らざるを得ないようなやり取りや、明日の戦いに向けて気分を鼓舞するようなやり取りは、一言も交わされなかった。

あれが食べたい、とか、これを作って欲しい、とか、暖かい湯が気持ち良かった、とか、寝台とは違うけれど、ちゃんとした寝床は疲れが取れる感じがしていい、とか。

極日常のそれ、としか言い様のない言葉だけを紡ぎ合い、何時も通りに眠った。

三人並んで横になって、アーサーとローザは有無を言わせずアレンを枕にして、アレンは勝手に枕にされて、そのことで、少しだけキャンキャン言い合ったりもしたけれど、それだって、何時も通りのことで。

部屋の灯りを落として程無い内に、三人は共に、夢の中へ向かった。

……それから数刻、世界が朝を迎えて直ぐ、先ず、寝起きの良い王子二人が相次いで目覚め、一人眠り続けるローザを残して起き出した彼等は、それぞれ、毎朝の日課をこなし始める。

アレンは、何時もより少しだけ長めに鍛錬をして、アーサーも、何時もより少しだけ長めに神や精霊への祈りを捧げて、習慣を終えた二人が地下の部屋に戻れば、朝食が出来た、と既に調理場にいたローザが彼等を呼びに来た。

簡素だが、出来立てで暖かくて量のある朝餉を三人揃って摂り終えたら、もう、ハーゴンの神殿に挑む為の支度を整える以外、彼等のするべきことも、したいことも無くなり、身支度を終え、各々の荷物も背負った彼等は、改めて祠の守人と尼僧に礼と別れを告げてから、八日前と同じ足取りで、ロンダルキアの祠を発った。

不安が無いと言ったら嘘になるが、『復活の珠』も、一応、精霊より授かった神具と言えるのだろうからと、口々に言うことで何とか自分達を納得させつつ、その実、とんでもない所に飛ばされたり発動しなかったりしたらどうしよう、と思いながら、若干及び腰なって、アレン達は、アーサーが唱えたルーラに身を任せた。

だが、詠唱が始まると同時に瞼を閉ざし、無事に着けますように、と祈った彼等が再び目を開いた時には、既にハーゴンの神殿が臨める寂寞の荒野が目の前にあって、良かったー……、とあからさまに胸撫で下ろしてから、三人は、砂地に足を踏み出す。

────ハーゴンの神殿も目前のそこは、昨日のように雪が舞っていた。

強風に巻き上げられた砂混じりの薄汚れた雪は、西から東へと吹く冷たい風に流されて、砂漠を行く三人の体を容赦無く叩いた。

それでも、彼等の誰も、辛いとも苦しいとも感じなかった。

一歩進む毎に、目指す神殿が近付いたから。

砂や雪に霞む、なのに禍々しさだけは、はっきりと伝えてくる、異形の神の為の、異形の神を崇める者達の為の、冥い天を突く風に建つ双子の塔が、往くに連れ、その輪郭をくっきりと浮かび上がらせたから。

唯、二年近くも旅をしながら目指し続けた、とうとう眼前に迫ったその場所に、自らの足を着けることのみを思い続けて、三人は足を動かし続けた。