今の世に伝わる数多の伝説──勇者アレフの竜王討伐物語の中でも、それ以外の中でも、竜族の肌を覆う鱗は、名剣をも砕く強靭さを持ち、その鋭い爪は、厚い鎧を薄紙の如く切り裂く、と語られている。

時には炎の息を、時には氷の息を吐き、人など容易く捻り殺すモノであるとも。

…………そんな数多の伝説通り、対峙したドラゴン達は、少しでも剣の操り方を誤れば、簡単にその切っ先を弾き返す硬い身をしていた。

時には盾で防ぎ、時には身を翻し、何とか避けた尖った太い爪は、少年達の身代わりになった岩々を粉々に砕いた。

思うように脆い人を縊り殺せず、苛立った彼等が床を踏み鳴らす度、少年達の身ばかりでなく、主祭壇の間全体がグラグラと揺れた。

吐き出される灼熱の炎は、距離を取って躱しても、少年達の息を焼いた。

……それでも、アレンもアーサーも、怯むことなく竜達に挑み続け、少しずつ手傷を負わせた。

こうして向き合っても尚、竜族は、伝説の中に生きる魔物だが、彼等がこの洞窟内で見付け出した稲妻の剣も、伝説の中で息衝いていた剣だ。

伝説同士のぶつかり合いは、現実同士のぶつかり合いに取って代わり、剣身に雷撃を纏わり付かせつつ振るわれた稲妻の剣は竜達の堅い鱗を貫き、精霊達の加護が齎すベギラマの術は、吐かれる灼熱の息を打ち消した。

だから、やがて。

一匹のドラゴンが、断末魔の咆哮を放った。

苦し気にのたうつドラゴンが撒き散らす血は、色こそ赤かったが、少年達が思わず顔顰めた程に異様過ぎる臭気を放ち、同族より流された血臭を嗅いだ残り二匹は目の色を変えた。

怒りの色に似たそれに。

竜にとって、同族が殺されることは何よりも堪え難いのか、正しく逆鱗に触れたようにドラゴン達は暴れ、バン! と強く床を叩いた尾を、少年達目掛けて振り回した。

「あうっ……っ!」

鋭く力強い尾の一撃は、幾度目かのベギラマの詠唱に入っていたアーサーを横殴りにし、吹き飛ばす。

「アーサーっ! ……うっ!」

己の真横にいた彼が、庇う間もなく飛ばされ、直ぐそこの壁に全身を叩き付けて崩れ落ちた様を見て、彼の名を叫んだアレンも、怒り狂う竜の、尾の一撃を喰らった。

衝撃で体の芯がぶれ、ぐらりと身を傾がせてしまった処に再度の一撃を喰らい、尾の先が掠めたロトの兜が外れ、

「あ……っ。あ、くっ……。ああ……っ!」

半ばまでが無防備になってしまった首筋に、長く太い尾が巻き付く。

先程の傷口からいまだ細く滴っていた血の匂いを竜達は嗅ぎ取ったらしく、彼の息を、命を奪おうと、首締め始めた尾の尖端が、塞がり切っていなかった傷口に潜り込んで、プチ……と肉の裂ける嫌な音を立てながら、肌を深く抉った。

「う、あ……っ……。……あ…………っ」

体の内に潜り込もうとする、硬いばかりでなく薄刃の鋭さを持つ鱗に覆われた竜の尾先の蠢きは、気が狂うかと思えた激痛を生み、アレンは気を遠退かせ掛けたが、痛みに震える左腕を何とか伸ばし、自身に絡む竜の尾を抱き込み体を支えた彼は、握り締め直した稲妻の剣を振り上げる。

────挑める機会は一度だけ。

少しでも加減を間違えたら、少しでも剣を振り下ろす角度を誤ったら、負けるのは、命を落とすのは自分。

……霞み始めた意識の下で、そう己に言い聞かせ気力を振り絞った彼は、剣の刃をドラゴンの尾に叩き付けるように振り下ろした。

剣は、彼が思い描いた通り鱗と鱗の隙間に滑り込み、一閃で、絡み付く尾を切り落とす。

『ギャアォォォォォォ!!』

異臭の酷い血を撒き散らしつつ、尾を断たれた竜は叫び、ずるりと、断ったそれを抱き込んでいた左腕を滑らせたアレンは、その場に両膝を付いた。

『ギャーーーーーーーーー!!!』

すれば、三匹目のドラゴンが怒りの雄叫びを上げ、アレンを、そしてアーサーを、踏み潰そうと身を低めた。

────けれども、その時、少年達の背後で、目映い光が湧いた。

強い風も逆巻いた。

光は閃光となり、風は疾風となり、絡み合った一つの大きな力と化して球状に広がり。

────イオナズン!!」

ローザの、何かの宣言にも似た高い声が放たれると同時に、広がった力は、二匹のドラゴン目掛けて宙を駆け、爆裂した。

雷の精霊の為に築かれた主祭壇の間を半分以上抉り取ってみせた強大な力は、『伝説の中に生きる獣』達を討ち、焼き尽くし、命をも奪った。

「アレン! アーサー! 二人共、しっかりして!」

竜達の身が、頽れるでなく塵となって何処へと消えるのを待ち、ローザは少年達の許に駆け寄る。

「……ああ、酷い…………! アレン、アレン……っ!」

「ローザ……。僕なら、平気、だから…………」

傍らへ走り寄り、膝付いてアレンの上半身を抱き込んだ彼女は、竜の尾先に深く抉られた首の傷を確かめると、泣きそうな顔でベホマを唱えた。

灯った癒しの光は、吹き出す血潮をゆるりと止め、じわじわと裂傷を塞ぎ、遂には痕も無く癒し切って、

「アレン、少しだけ待っていてね」

「ああ。早く、アーサーを」

そっと、彼を抱き込んでいた腕を解いたローザは、今度はアーサーの傍らへと走って、同じくベホマを唱えた。

「アーサー、大丈夫?」

「はい。有り難うございます、ローザ。僕は、足の骨を折られてしまった所為で立ち上がれなかっただけですから。それよりも、アレンは?」

「僕は、大丈夫。……助かった、ローザ。有り難う…………」

「御免なさい、二人共。私が言い出したことの所為で、大変な目に遭わせてしまって……」

「何言ってるんですか。ローザの所為なんかじゃないですよ」

「ああ。結局、イオナズンに助けられたんだし。……精霊達との契約、結べたんだな。良かった」

「ええ。思った通り、ここでは、雷の精霊も、他の精霊達も、応えてくれたの。二人共、有り難う……! 貴方達のお陰よ」

「いいえ。本当に良かったです。──それはそうと、アレン、動けますか? 動けるなら、一先ず祭壇の間から出ましょう。後から後から魔物達がやって来るのは、精霊達の気配を嗅ぎ取った所為だと思うんです」

「そうね。取り敢えず、動いた方がいいわ」

「直ぐそこが出口だから、一旦、外に出てしまおう」

二度目のベホマの光が消えて直ぐ、アーサーは自ら立ち上がり、アレンも飛ばされてしまったロトの兜を拾いながら二人の許へ寄って、全員の無事を確かめ、ローザがイオナズンを使役出来るようになったのを喜びつつも、三人は、急いで祭壇の間より脱出した。

どの道、入り口付近から洞窟抜けをやり直さなくてはならないのだからと、洞窟そのものからも抜け出て草原まで退いた彼等は、少しゆっくり休みたいと、その日は、草花に紛れて野営を張ろうと決める。

「あ、そうだ。僕、アレンにお説教しようと思ってたんでしたっけ」

「……え。アーサー、忘れてなかったのか」

「当然です。──何でアレンは、何度言っても、どれだけ言っても、自分ばかりを後回しにするんですかっ。アレンの、そういう騎士道精神みたいな性分も、存外熱血な処も、僕達を思い遣ってくれてる処も、頼もしいですし有り難いですし嬉しく思いますけど、自分も大事にして下さいって、ローザも僕も、何度も何度も言ってますよね? ローザや僕に何かあるとアレンが焦るように、僕達だって、アレンに何かあれば焦るんですよ? そんなに、僕達の寿命を縮めたいんですか?」

「…………いや、その。そういう訳じゃ……」

「そういう訳じゃなかったとしても、アーサーの言う通りよ、アレン。貴方が私達を大切にしてくれるように、私も、貴方やアーサーが大切なの。貴方は、私達の大切な人の一人なの。だから、自分も大切にして頂戴」

「……………………御免。気を付ける。……でも、別に腹に穴が空いた訳でなし、あの程度なら何とかなると思っ──

──アレンっ! 又、そういうことをっ!」

「アレン、そんな嫌な例えしないでっっ!」

────なら早速、と始めた野営の支度の最中、アーサーはアレンを叱る予定にしていたのを思い出し、実際に説教を垂れ出して、彼にもローザにもお叱りを喰らったアレンは、ゴニョゴニョとばつ悪そうに二人に謝りつつも、小声の言い訳と言う余計な一言を洩らし、結果、夕餉代わりの干し肉を齧り終えるまで、彼は、左右から盛大なお小言を頂く羽目になった。