「………………私は、運が良かったんでしょうね。私達が、あの神殿を出て幾らも経たない内に、ハーゴンの手下の魔物達が後を追って来ました。共に逃げた者達は、次々、凶悪な魔物達の手に掛かって、私達の目の前で奴等に喰われ…………。……唯々逃げ惑うばかりで、何処をどう通ったのかなんて憶えてもいませんし、どうして野垂れ死ななかったのかも判りませんけれど、気が付いたら私達は、ロンダルキアの極寒の荒野を抜け切って、あの洞窟の北側の入り口に辿り着いていました。でも……、洞窟の中に逃げ込んでも、やっぱり、魔物達が……。そして、何時の間にか、私は一人きりになっていました。一緒に逃げ出した彼等が、喰われたのか、それとも逸れただけなのか、それすら見当も付きません。もしかしたら、私は運が良かったんじゃなくて、彼等を身代わりにしてしまっただけなのかも知れない……。なのに、どうしても出口が見付からなくて、あそこで、ああして隠れているより他…………」

「……そう、ですか。────兎に角、今日はもう休まれた方がいいですね。この草原は比較的安全ですから、安心して下さい。明日になったら、ベラヌールへ続く旅の扉へ──

男の、絞るような小さな声は尚も続き、一瞬のみ顔を曇らせてから笑みを浮かべ直したアーサーは、彼を励ますように言ったが、

──あ、あの。その…………」

穏やかな声で告げるアーサーの言葉を、男は半ばで遮った。

「はい? 何ですか?」

「その、どうして、皆さんはロンダルキアの内地なんかに来たんです? まさか、私みたいな信者じゃないですよね? お若そうですし、そんな方達ではないと思いますけど、もしも私の見込み違いなら、今直ぐ、何処かに逃げて下さい。私も、神殿へ連れて行かれるまで知らなかったことですが、ハーゴン達が崇めている邪神は、自らを崇める者を好んで喰らうらしいんです」

「え? 崇める者を?」

「うん……? 邪神は、自身の信者こそを生け贄として求める、と言うことか?」

「それは、何かの間違いではなくて?」

気遣ってはくれている彼を押し止めてまで男が話し出したことは、「もしも、貴方達も教団の信者ならば、ハーゴン達に生け贄とされてしまうだろうから、今直ぐここから逃げろ」との忠告で、三人は思わず、きょとんとし、目を瞬いてしまった。

男の言葉の意味が咄嗟に飲み込み切れず、少々だけ悩んでから、漸く、自分達の知る話と違う、と眉を顰めた始末で。

「いえ。魔物の神官達が、確かにそう言っていました。彼等の神は破壊の神で、己を信じる者の命を好物にしている神なんだと。だから、人間の信徒を生け贄にするんだとも。但、人間なんか『神々』の生け贄にするか、餌にするしか価値がない、と喚いていた魔物達もいたので、私達が知った話が全て正しいとは限りませんけど、信徒を生け贄に……、と言われたのに間違いはありません。だから、私達は逃げ出したんです」

「…………僕達が知る話とは、随分異なるな。ハーゴン達は、伝説の勇者達の血を引く者や、勇者の末裔が治める国の者達こそが、邪神に捧げるに最も相応しい生け贄と考えている。……と言う噂なら聞いたことがあるんだが」

「伝説の勇者? ……ああ、ロトの末裔や、ロト三国のことですか。……さあ…………。私は、そんな噂は初耳です。魔物達は、伝説の勇者の血筋を忌み嫌っている、と言う話は小耳に挟んだことがありますけど、相手は魔物ですからね。伝説が本当なら、大魔王ゾーマまで討ち倒した勇者ロトの末裔を、魔物達が毛嫌いするのは当然でしょう?」

「……まあ、確かに。魔物が勇者の血筋を嫌っても、別に不思議には思わない」

「ですよね。勇者の末裔と言うだけで、魔物達から憎まれるロト三国の王家の方々に、同情したくなりますよ。大変ですよね、伝説の勇者の血筋なんて。──あ、すみません。話を逸らしてしまいました。兎に角、そういう訳ですから──

──ああ。その話は判った。だが、僕達は教団の信徒などではないから、安心してくれ」

しかし、男は、確かに己が耳で聞いた話だと繰り返し、話題が少しばかりずれてしまった処で、アレンは、彼の話を打ち切る風にする。

「そうですか。……私が言えた義理じゃありませんが、良かった……」

「心配させて、すまなかった」

「いいえ。でも……、さっきもお訊きしましたけど、だったら、皆さんは何でこんな所に?」

「……それは、その──

──僕達は、ロンダルキアの北にある筈の、大昔は巡礼地だったと言う祠に行こうとしていたんです」

「私達には、どうしても、そこに行かなくてはならない訳があるものですから」

男の方も、生け贄が云々、との会話が費えたのにホッとしたのか、大きく息を吐いて肩を落とし、気を悪くした様子もなくアレンへと素朴に問い掛けて、言い訳に詰まった彼の代わりに、アーサーとローザが答えた。

「え、あの祠にですか? ひょっとして皆さんは、相当熱心なルビス様の信者なんですか? だと言うのに、皆さんが邪教の信者だったら、なんて疑ったりして、すみません。物凄く失礼でしたね…………。……って、ああ、それはそうと。ロンダルキアの祠に行かれるのは、止めた方がいいと思いますよ」

「それは、どうして?」

「ハーゴンの神殿は、極寒の荒野を遥々越えた、ロンダルキアの最も奥地にあるんです。私達がそんな所まで行けたのは、魔物達に連れられていたからで、到底、人間が行ける筈も逃げられる筈も無い場所なんですね。それでも私達が神殿から逃げ出したのは、ロンダルキアにも大昔の祠があると知っていた仲間の一人が、そこまで行ければ何とかなるかも知れない、と言い出したからなんです。……ですが、結局、祠は見付けられなかったんですよ。逃げ惑っていた所為で、方角も道も見失ってしまったからだとは思うんですけど、あんな所を、今でもあるかどうかも判らない祠目指して行くなんて、それこそ、死にに行くようなものですよ?」

「成程……。そうですか…………。…………判りました、有り難うございます。ご忠告に従って、一寸考え直してみますね」

「そうね。その方がいいかも知れないわね。でも、今日はもう日が暮れてしまったから、ここで凌がないとならないわ。そろそろ、休む支度を始めましょう」

「……そうだな。そうしようか」

何時しか伏せ気味だった面を真っ直ぐ持ち上げた男の、ロンダルキアの祠へ行くのは無謀な行為だ、との断言を受け、三人は、素早く合わせた目と目でのみ会話し、兎に角今は、『無謀な巡礼者』の振りを続け、男を休ませてしまおうと、軽い感じで立ち上がった。

暖かな焚き火を囲み直し、夕食代わりの携帯食を齧ってから、一同は休んだ。

心身共に疲れ果てていたのか、草の上に横たわるや否や男は寝入り、三人は、夜が更ける頃まではローザが、夜半から未明まではアレンが、未明から明け方まではアーサーが、と交代で火の番と見張りをしながら休息を取って、迎えた翌朝。

彼等が、ほんの僅かだけ目を離した隙に、男は姿を消した。

「旅の扉の所まで僕達で送るからと、夕べ伝えておいたのに。彼は何処へ行ったんだ?」

「この草原も、一匹の魔物も出ない訳ではないから、あの人だって、一人きりでは危ないと判っていると思うのだけれど……。どうしてしまったのかしら」

「そんなに遠くに行ける筈無いんですが、見当たりませんね。ついさっき、火の傍にいるのを見掛けたばかりなんですが……」

一言も言い残さずいなくなってしまった男を彼等は懸命に探したが、何処にも、姿形処か影さえもなく。

誰からともなく、まるで天に昇ったか、地に潜ったかしたように、あの彼は消えてしまった、と言い合った直後、三人は、まさか『それ』が正解なんだろうか……、と顔見合わせる。

「…………何となくだけれど……私には、あの人が消えてしまった気持ちが、判らなくもないの……」

「今時に、こんな所まで巡礼にやって来るくらい熱心なルビス様の信者を装ったのは、失敗だったかも知れません……。あの彼を、却って追い詰めてしまったのかも……」

「……嘘を吐き通したとしても。本当を打ち明けていたとしても。多分、結果は変わらなかったと思う。僕達と出会ってしまったからとか、僕達の素性が云々とかじゃなくて、彼は、僕達と行き会った時には、既に色々を決めていたのかも知れない。…………何はともあれ、これだけ探して見付からないのだから、彼が、自分の意思で僕達の前から姿を消したのだけは確かなんだろう」

だけれども、如何なる理由であの男がいなくなってしまったにせよ、彼自身の意思で消えたのに違いはなさそうで、それ以上の心当たりも探す術もなく、朧げながら、男の気持ちが判らなくもなかった三人──特にローザ──は、後ろ髪を引かれつつも、朝靄に包まれた草原に背を向けた。