─ Beranoor ─

疾っくに役目を果たし終えた、ロンダルキアにまで『連れて行く』必要など微塵も無いラーの鏡の破片達なのに、どうにも手放し難くて、砕け散ってしまった今も、きちんと像を結ぶ破片に自らの面を映したアレンは悩んだ。

手鏡以外の使い道など見出せぬし、持ち歩いた処で邪魔になるだけと判っていても、外洋船の船室に仕舞っておくのは、何となく躊躇いを感じた。

「でもなあ……」

だけれども、ロンダルキアに乗り込む以上、荷物は必須の品だけに絞らなければならぬから、名残惜しいけど……、と彼は、船に置いてく物達の方へ振り分けると決め、最後に、もう一度だけ鏡面を覗き込む。

────覗き込んだそこには。

当然、見慣れた己の顔が映っていた。

……が。

瓜二つと言えるまで自身に能く似た面が、もう二つ、映り込んでいた。

「…………………………」

だから。

刹那、どうして自分の顔が三つ? と彼は素朴に悩み、直後、ピキリと全身を強張らせ、沈黙と共に、『三人分』映っている鏡面を再度凝視してから、バッと真後ろを振り返る。

しかし、そこには誰もおらず、忙しなく室内を見渡しても、気配を探ってみても、在るのは己一人だけで、

「うわぁぁっ!!」

見間違い……だよな…………、と幾度も幾度も己に言い聞かせつつ、恐る恐る、手にしたままだった破片に視線を流したら、やはり鏡面には、己と一緒に『残り二名』も映って、剰え、蒼褪めた顔している自身とは真逆に、全開の笑みを湛えた『残り二名』にひらひらっと手を振られ、アレンは思わず悲鳴を上げた。

「え……? えええ…………!? まさか……!?」

振り返っても、しつこく確かめても、背後にも周囲にも何者もいないのに、破片の中にのみ、やたら嬉しそうに、しかも、えへら……と、まるで初孫を愛でている年寄りの如くな、少々だらしない笑みを浮かべる『残り二名』はて、本能ですらない何処かの何かで、『残り二名』は自身の先祖達に他ならない、と悟った彼は、ロト様と曾お祖父様が化け出てた!! と益々蒼褪め、背中から大量の冷や汗を吹かせ、情けなくも腰まで抜かし掛けた。

「アレンー。お先にさっぱりさせて貰って来ましたよー、……って、何を一人で騒いでるんです?」

「ア、アーサー…………」

「……どうかしたんですか? 僕の気の所為じゃなければ、物凄く顔色悪いですよ? 悪いと言うか、怯えてる、みたいな……?」

「それ、それがっっ。実は…………っっ」

そこへ、湯を使い終えてホカホカになったアーサーが戻って来て、一人わたわたと焦っているアレンを見遣るなり、何事? と目を丸くした彼に、アレンは、たった今目にしたものを訴えようとしたが、焦りと驚きの所為で上手く口が廻ってくれず、

「…………アレン?」

「だ、だから……っ」

「あら。どうしたの? 二人共、何の騒ぎ?」

続き、未だ湿っているらしい菫色の長い髪の先を拭いながら、ローザも戻って来た。

「あ、ローザ。それがですねー、アレンの様子が──

──アーサー! 頼む、今直ぐ! 今直ぐ、死者の魂を慰める祈りを捧げてくれないかっ!!」

「へ? 何でです?」

「化けて出たから!」

「………………化けて出た、って、何が出たの?」

「だらしなく笑んでる、僕に能く似た顔が二つ!」

相次いで部屋に入ったアーサーとローザは、自分達が湯を使っている間に酷く様子がおかしくなったアレンに付いて喋り始め、一方アレンは、未だに信じ難い先程の『あれ』を、何とか簡潔に二人へ伝えようと足掻き、勢い余り、目一杯方向性を間違えた叫びを放ってしまって、

「……えーーと。アレン? 何処かで、パルプンテか何か喰らいましたっけ?」

「アレン。御免なさい、意味が判らないわ」

「あ、そうじゃなくて! 化けて出たんだってば、ロト様と曾お祖父様が!」

「…………はぁぁぁぁぁ!?」

「嘘でしょう!?」

泡を食って言い直したアレンの再度の叫びに、今度は、アーサーもローザも、揃って盛大に叫んだ。

その後もアレンは、アーサーとローザへ事の仔細を語ろうとしたけれども、焦りが過ぎた為、支離滅裂にしか説明出来ない彼に、二人はやがて痺れを切らし。

「アレン。一先ず落ち着きましょう」

「ええ。それがいいわ」

ズルズルズルズル、彼を引き摺って浴場に連行すると、問答無用で叩き込んだ。

ゆっくり湯に浸かって、落ち着きを取り戻してから出て来い、と彼等は厳命もし、アレンは言われた通り、時間を掛けて──掛け過ぎて逆上せそうになったが──湯浴みを済ませ、やっと我を取り戻して後は、取り乱してしまった……と、ちょっぴり落ち込みつつ部屋に戻った。

「お帰りなさい、アレン」

「そろそろ戻って来る頃かしらと思って、お茶を淹れた処なの。丁度良かったわ」

「あ、うん。有り難う。……さっきは御免…………」

おー、顔色も元に戻ってるー、と彼の面を覗き込んでから迎えてくれた彼等に小声で先程の失態を詫びて、寝台に腰落ち着けた彼は、ローザが淹れてくれた茶を片手に、改めて、二人に事情を語り聞かせる。

「ラーの鏡に、ですか……。アレン、あの鏡の破片を拾ってたんですね」

「ああ。何となく、野晒しにしておくのも、捨ててしまうのも嫌だったから、拾い集めて仕舞っておいたのだけど、ついさっきまで忘れ掛けてた」

「ラーの鏡の破片とは言え……、ロト様と曾お祖父様が映り込むなんて、そんなこと、あるのかしら」

話を聞き終えて直ぐ、アーサーもローザも、信じられない、との顔付きになった。

「僕自身、未だに信じられない。でも、何度確かめてみても、お二人としか思えない顔が映ったんだ。だから、化けて出て来られたんじゃないかと思ってしまって……」

しかし、確かにこの目で見た、とアレンは繰り返し、

「うーん……。と言うことは、破片を拾いはしたものの、今日まで、アレンも何かを映してみたりはしなかった、ってことですよね。……もしかして、前々から、あの破片には御先祖様達が映ってたんでしょうか」

「それは、有り得ないと思う。僕が、ロト様と曾お祖父様の夢を見始めたのは、ラーの鏡を見付ける以前のことだし、少なくとも、見付けた時と、破片を集めた時の二度、鏡を見ているのだから、前々から映っていたのだとしたら、その時に見てるだろう?」

「言えてますね。となると…………。………………あ。そう言えば、アレン。確か、この間に竜ちゃんの所に行った時に、ベットリ張り付いてるかも知れない先祖達がどうこう、みたいなこと言われた、って言ってませんでしたっけ?」

「…………ああ。言った」

「で。精霊の祠に行った時、ルビス様に突っ突かれた、とも言ってましたよね」

「……? うん。何かに額を突かれて、その後、腰の辺りに触れられた」

「その時、ラーの鏡の破片は、何処にありました?」

「………………何時も腰から下げてる革鞄の中」

「アーサーの言いたいことが、判ってきたわ。もしかしたら、竜王の曾孫には、ロト様や曾お祖父様の霊体みたいな物が視えていて、それはルビス様もご存知のことで、ルビス様は、理由は判らないけれど、貴方に、本来なら人には視えないお二人の姿を視せる為に、貴方や、貴方の持っていたラーの鏡の破片に触れたのではないかしら」

「……と言うことなんじゃないかな、と僕は思います。ローザも、そう思います?」

「ええ。理由は、何処までも謎だけれど」

ロンダルキアへ乗り込む直前に降って湧いたこの騒ぎに付いて、頭を悩ませた三人は、自信無さ気に言い合ってから。

「でも…………、お二人の姿を、ラーの鏡の破片を通して僕に視せて、どうなるんだ?」

「さあ……。そればっかりは、何とも言えませんけど……」

「そうだわ。アレン、ロト様と曾お祖父様が映った破片を、今晩、枕の下に入れて寝てみるのはどう? 又、例の夢が見られるかも知れない。そうしたら、意味も判るかも知れないでしょう?」

「…………じゃあ、試すだけ試してみるか……。一寸、心の臓にも胃の臓にも良くない気がしてならないけれど……」

ローザ発案の、『物は試し大作戦』を実行してみることにした。