─ Beranoor〜Rondarkia Road ─

湯を使いたい、洗濯もしたい、との欲求を覚えたのはアレンに限ったことではなく、残り二名の望みでもあったので、今度は港からベラヌールの街へ飛んで、前回、前々回と世話になった例の宿屋へ赴き、少々無理を言って早朝から湯殿を使わせて貰い、裏手の井戸の端で三人仲良く洗濯に勤しんだ──は良かったが。

序でに洗える限り洗ってしまえと、あっちもこっちも勢いで洗濯しまくった所為で、気が付いた時には、身に着けられる衣装が宿に備え付けの部屋着しかなくなり、街に出たくても出られなくなってしまった彼等は、洗濯物が綺麗に乾いた翌日、やり過ぎを反省しつつ、改めて水の都に繰り出して、今も尚、街の何処かに隠されていると言う、ロンダルキア南部へ続く旅の扉を探し始めた。

その話の出所は、先日、アーサーが『引っ掛けた』司祭達だったので、前回のベラヌール訪問時に語り合った通り、教会や礼拝堂を訪れて、それとなく探りを入れ、結果、最も規模の大きかった教会の最奥に、目的の旅の扉があると掴んだ。

そうして訪れたベラヌール最大の教会を預かる神父は、始めの内、何を問うても、どんな話を振っても、空っ惚けて言葉を濁したけれども、埒が明かぬくらいならと、自身達の身分や仔細や、旅の扉を探す理由を彼等が打ち明けたら、やっと、ロンダルキアへの旅の扉のことを語ってくれた。

────自分も、この教会を預かる代々の神父にのみ伝えられてきたことしか語れない、と前置きしてから彼が教えてくれた話に曰く、かつては、その教会こそが、ロンダルキアの精霊の祠への巡礼旅の、起点だったのだそうだ。

ベラヌールとロンダルキア南部を繋ぐ旅の扉の使用が頻繁だった当時は、引っ切り無しに巡礼者達が訪れる程に賑やかだったらしいが、百数十年前、竜王が出現した際に起こった天変地異の所為で、ロンダルキア大陸の大半が人は往けぬ不毛の地と化してしまい、ロンダルキアが荒廃してしまったと知った人々は、巡礼は苦難が伴うのが当たり前とは言え、危険過ぎると、教会内に据えられた旅の扉の間を封印してしまった。

それでも、封印が施されてより暫くは、何とかロンダルキアへ行かせて貰えないだろうかと、教会の扉を叩く巡礼者達が後を絶たなかったので、次第に旅の扉の存在自体が隠されるようにもなって、数十年前、息潜めて生きていた魔物達が暴れ始めた頃には、不毛の地と化したロンダルキアのことも、ロンダルキアへの旅の扉のことも、人々から忘れられたに等しくなったが、神職者達や熱心なルビス信者達の間では、未だに、半ば伝説めいた話として語り継がれており、今でも、極々稀にだが、命と引き換えにしても構わぬから旅の扉を使わせて貰えないかと、噂を信じた信者達の訪れがあり、故に、何処からか噂を聞き付けたルビス信者だと思われたアレン達も、神父は門前払いしようとしたのだが。

「ですので、確かに、この教会の最奥には、今でもロンダルキア南部へ続く旅の扉が隠されてはおります。但、旅の扉の間の鍵は、失われてしまって久しゅうございますし、間の施錠を解けたとしても、室内には、禁を犯す者を立ち入らせぬ為の魔方陣の床が敷かれている筈ですので、大変申し訳ありませぬが、殿下方のご希望には沿えぬかと……」

彼等の氏素性や事情を知った神父は、打ち明けた話の最後に、すまなそうな顔をして、そう付け加えた。

「それなら、問題無い。こちらで何とか出来る」

「そうなのですか? 殿下方が、そう仰られるのであれば……」

「ああ。──支度を整えてから、もう一度邪魔する。構わないか?」

「はい。では、お待ちしております。後程に」

しかし、アレン達には、世界各地で手に入れた魔法具な鍵三種があり、トラマナの術は疾っくにアーサーが習得済みだから、そのような事情など自分達には何の障害にもならないと、三人は、出直す旨を神父に告げて、宿へと取って返し、

「いよいよね。漸く、ロンダルキアに行けるのね」

「ああ。とうとう、ロンダルキアの、あの嶺を越えられる」

「でも、焦りは禁物ですよね。命の紋章を見付けたら、後ろ髪を引かれても、必ず、何処かの街へ戻りましょう」

「……そうだな。本腰を据えて乗り込むのは、五つの紋章を揃えて、ルビスの加護を賜ってからだ」

念入りに支度を整えた彼等は、宿の清算を済ませ、一旦、港に停泊中の外洋船に戻り、今は必要無いと思えた荷物を置いてから、再度ベラヌールへ飛び、半刻前に訪れた教会へ向かい直して、祭壇裏に隠されていた、旅の扉の間へ繋がる戸の施錠を解き、トラマナで効力を打ち消した魔方陣の床の上を難なく伝って。

百数十年、使う者一人も無きまま、白い輝きを放っていた揺れる旅の扉を、無言の内に踏んだ。

ベラヌールのそれと対を成していた旅の扉も、魔方陣が刻まれた床に取り囲まれていた。

扉の周囲だけでなく、旅の扉が据えられていた部屋の床全てがそれで、又、トラマナで以て、三人は行く手を阻む床を踏み越える。

────旅の扉伝いに訪れたそこは、巡礼者達の為の簡易宿泊所だったと思しき建物で、百数十年前の、旅人で賑やかだったろう当時の名残りが、若干だけ窺えた。

訪ねる者も絶えてしまった今となっては、虚しいとしか言えない名残りを横目で見遣り、彼等は外へと出る。

……一歩踏み出た三人の眼前に広がったのは、一面の草原だった。

その先に、ロンダルキアの奥地へ繋がる洞窟が──邪神を崇め、世界の滅びを望むハーゴン達へ繋がる道が、隠されているとは到底思えぬ、草木達の天国。

行き交う者、緑だろうと踏み拉いて道拓き兼ねない者、その一切が消えて長い大地の隅々まで、精一杯背を伸ばした草花が覆っていた。

至る所で若草は萌えて、立派な木々も数多だった。

そんな、四季さえ何処かに置き去りにしてしまった楽園のような草原の四方を、高い高い、本当に高い、神の為の嶺なのではないかとさえ感じられた、純白の冠雪を戴くロンダルキアの山々が隙なく取り巻いていて。

「凄いですね……」

「何て、雄大な景色……」

「……竜王が、『竜王として』この世界で目覚める以前、ここはどんな風だったんだろうな」

「言い伝え通りなら、その頃も、草原『では』あったんだろうと思いますけど……、僕、少しだけ、人間の罪深さを思い知らされた気になっちゃいました」

「そうね……。百年以上の年月は、私達にしてみれば、とても長い時だけれども、人の行き来が絶えただけで、こんな景色が生まれると言うなら」

「こういうものを見せ付けられると、人が栄えるのも善し悪しなのかも知れないと、考えざるを得なくなるのは確かだな。……でも、行かなきゃ」

──立ち尽くし、暫しの間、その瞳に映った景色に見惚れ、けれど、彼等は歩みを進める。

真夏でもないのに立ち上る草いきれに包まれながら、風に揺れる野の草の向こう側に微かに見えた、山の麓を目指した。

「ああ、『らしく』なってきた」

巡礼者の為の簡易宿泊所跡から見て、真西の方角へと進み続けたら、やがて、草花の薫りに混じって、ツン、と鼻を突く嫌な臭いが漂い始め、更に進んだら、目指した麓一帯を覆う腐り果てた大地──毒沼に突き当たり、何処となく、アレンはホッとしたような顔になる。

「あー、確かに、こういう物と巡り合う方が安心出来ますよねぇ。邪神教団の本拠にも続く所へ行こうとしているんだ、って感じになりますから」

「ええ。『らしく』なってくれないと、少し困るわ。要らぬ心配をしてしまうもの」

彼が浮かべた微苦笑と、同質のそれをアーサーとローザも浮かべた。

…………魔物の瘴気が生む毒沼に辿り着いた際に湧いた、安堵にも似た思いに、自分達の何処かが摺れてしまったような気にさせられた。

人の世を守る為の旅路の最中に見付けた、人が関われなくなったが故にこの地上に齎された『宝』は、皮肉の塊りに思えた。

「私達の本懐が果たせたら、ここも、何時か消えてしまうのかしら」

「……かも、知れません」

「そうだな。何時か、消えてしまうかも知れないが……、人の世を守るように、この景色も守れたらいいと思う。…………理想でしかないけれど」

でも、三人は、たった今抜けてきたばかりの草木達の天国を、僅かばかり肩越しに振り返っただけで、立ち止まりもせず、毒沼を越えた。