────故に、竜王はローラ姫を、と告げられた瞬間、アレンの脳裏には、やはり疑問ばかりが渦巻いた。

この長い長い語り合いの全てが、一つ残らず真実だとしたなら、何故、神は、竜の女王の子を、この世界へと降ろしたのだろう。

何故、勇者ロトは、創造主にまで背を向けようとしたのだろう。

何故、彼は、生涯をも賭して、子孫達を救おうとしたのだろう。

何故、竜王は、それ程までに、仕えるべき神を恨んだのだろう。

何故、彼は、己が運命を呪いとまで断じ、人の手にすら縋ろうとしたのだろう。

何故、勇者ロトの仲間達は、ムーンブルク王家に、そしてラダトーム王家に、自らの血を加えたのだろう。

そして、曾お祖父様は。勇者ロト──アレクの思いの丈を受け取った曾お祖父様は、それをお読みになられた後、どう思われたのだろう。

……そんな風に、幾つもの疑問ばかりが、彼の脳裏を過っては消えた。

「アレン。何やら、訊きたそうな顔をしとるが?」

「…………いや、何でもない」

だが、混乱している頭の中を覗いた風なことを竜王の曾孫に言われても、彼には、何も問えなかった。

僅かばかり、訊いてしまうのが怖く感じた。

「なら、良いがの。──あー、何処まで話したのじゃったか。……お、そうじゃった。────ローラ姫の力に頼ってみても、曾爺様が呪いとまで感じたそれが、解けることはなかった。アレクの望みが果たされなんだように、曾爺様の望みも果たされず、曾爺様は、人共に悪魔の化身と言わしめた竜王のまま、生涯を終えた。そして、竜王が真は何を想い望んだのかを、アレフは、討伐を果たした直後に知った。その頃は未だ子供じゃった爺様が、曾爺様から聞かされとったことをアレフに伝えたから。同時にアレフは、自身の祖先が何を考えていたのかも知った。アレクが手記に綴ったことは、竜王討伐の旅の最中、朧げながらもアレフ自身が感じたことに能く似ていた。故に、アレフは全てを信じた。竜王の子が語ったことも、アレクの手記だと渡された帳面の中身も。全てを信じ、意も決した奴は、何食わぬ顔をしラダトームへ凱旋し、戦勝の宴が始まる直前、ローラ姫にだけ真実を打ち明け、ラダトームからも、アレフガルドからも去ると告げた」

「何故…………?」

「先祖アレクのように、ロトの血に課せられた『勇者の運命』に抗う為に。だが、故の別れを告げても、ローラ姫は拒んだ。もしも、ロトの血に課せられた『勇者の運命』が、神より齎された呪いだと言うなら、己が血と力を以て、共に『勇者の運命』に抗う、とまで彼の姫に言い切られたアレフは、連れ立っての旅立ちを後の愛妻に誓い、一人、この魔の城に舞い戻った。アレクの手記と、ロトの血を引く勇者にしか手に取ること叶わぬロトの剣、それに光の玉を爺様に預け、再び、何食わぬ顔で戻ったラダトームを去り、辿り着いた新大陸にてローレシアを建国した。ローラ姫とも正式に婚姻を交わし、三人の子も授かった。が、アレフと姫の心底の願い能わず、長男だけは、ロトの武具が纏えてしまった。即ち、三人の子らの中で、長男だけは『勇者の運命』を引き継いでしまった。アレフと姫にとって唯一の救いだったのは、長男には一切の魔力が無かったことだが。逆を返せば、曾爺様までが縋った姫の力を以てしても、叶ったのは、我が子より魔力を取り去ることのみだった、とも言える。ローレシア王家の直系が、誰一人、魔力を持たずに生まれるのは、アレフと姫が、子らを『勇者の運命』から救おうと足掻いた結果の一つだ」

されども、未だ終わらぬ、耳傾けるのが恐ろしくなり始めた竜王の曾孫の話は、又、少しばかり『恐ろしく』なって、

「だ、から……? だから、お祖父様も、父上も、僕も…………?」

唯々、アレンは目を瞠るしかなくなり。

「そう。故に。──第二子と第三子は、ロトの武具を纏えなかった。その意味では、二人は『勇者の運命』から救われた。だが、次男には魔力があった。姫の血を濃く受け継いだ所為か、司祭に似た力もあった。第三子の長女は、天性の、と例える他ない、強い魔力を授かってしまった。次男の力も、長女の魔力も、アレフと姫には、長男程色濃くはなかったにせよ、自分達の力及ばず『勇者の運命』を引き摺らせてしまったからだ、としか思えなかった。それでも、二人は運命に抗い続けた。『勇者の運命』から救い出す──言い方を変えれば、それだけの力を子らや子孫達より取り上げる代わりに、子らが受け継ぐローレシアを、新大陸全土を支配する大国にまで育て上げた。アレクのように、『勇者の運命』を与えられし者こそが手にするべき武具や精霊の品々を、出来得る限り人目に触れぬようにしつつも、『勇者の運命』から逃れられなかった子孫にだけは手に届くような『小細工』を労したりもしながら。……何処までも、自身の先祖のように。アレクが、ロトの血に課せられた神の呪いだと言った運命に抗いつつ、ロトの血を引く子孫達を想い続けて、アレフも逝った。死した後ですら望み続けるだろう、アレクと同じ願いを抱いたまま」

「……そんな…………。曾お祖父様と曾お祖母様が、そんなことを考えていただなんて……」

「勇者ロトも、曾お祖父様も、その為だけに、伝説の勇者となった後の人生を費やしたと言うの……?」

アーサーとローザも、瞬きすらも忘れた。

「………………アレン・ロト・ローレシア。其方が見る、其方の先祖達が其方へと呼び掛ける夢は、夢などではない。其方の『夢』の中で、アレクとアレフが告げたのは、『勇者の運命』を背負わせてしまったことへの詫びだ。ロトの血と言う運命を紡いだ神に、抗い切れなかったことへの詫びだ」

「本当に…………? あの夢は只の夢などではなくて、僕に語り掛けて来たのは、本当に、ロト様と曾お祖父様だと……? お二人は、今も尚、想いを残したこの世に留まっているとでも言うのか……? でも、何でそこまで…………?」

────伝説の二人の勇者は、伝説と化した後の生涯全てを懸けて、神に抗おうとしたが。竜王は、神の眷属でありながら、神を恨んだが。アレクにもアレフにも、そして竜王にも、神の想う真実は判らなかった。そのようなこと、神のみにしか知り得ぬ。だが、アレクもアレフも竜王も。神は、自ら生み出したる全ての世界の中で、己が確固たる神として在り続ける、唯それだけの為に闇を生み、勇者に討ち果たされるべき魔王を生み。闇を晴らし、魔を滅ぼす為だけに在る勇者を生み続けている、と。そう信じ、信じたまま、それぞれの生涯を終えた。そう信じたからこそ。伝説の二人の勇者は、勇者の血を──ロトの血を、神の呪いと断じ、生涯を賭して、神の呪いを解こうとした。自らの中に流れる血と、その血を受け継ぐ者達の為に。己達は、己達の血は、決して、神を神足らしめる為だけに存在する道具や人形ではないと証す為に」

「……そんな、こと……。そんなこと、ある筈無いだろう…………?」

しかし、竜王の曾孫の語りは、訊くのは怖いと思ったことにまで及び、アレンは、無理矢理な笑みを頬に刷いたけれど。

「…………ああ。そのようなことは、有り得ぬことかも知れぬ。伝説の二人の勇者も、竜王も、自らが辿った数奇な運命に惑わされた果て、悪魔の囁きに導かれ、神の呪いと言う、有り得もせぬ幻を見ただけなのかも知れぬ。全ては彼等の滑稽な妄想であり、滑稽な妄想を抱え続けなければ、勇者としての使命を果たした後の人生──平和な世には不毛で不要な運命を引き摺り続けるだけの人生を、やり過ごすことすら叶わなかったのかも知れぬ。────だが」

「……だが、何だ…………?」

「アレン・ロト・ローレシア。其方は知っている筈だ。其方の中の、ロトの血が知っている筈だ。アレクにもアレフにも生き写しと言われる、この時代に生きる誰よりも伝説の二人の勇者に近しい、最も『勇者の運命』を背負う其方は、理屈から遠く離れた何処かの何かで、己も知らぬ間に、薄々悟っている筈だ。────歴史から姿を隠して後、アレクが辿った生涯をなぞることも、アレフが歴史の向こう側に隠した秘密を探ることも、伝説の二人の勇者が成そうとした、神への抗いの軌跡を辿るに等しい。其方が覚えた、血の全てが凍るかと思えた程の恐怖は、『最後の答え』に辿り着いた二人の勇者──神のみの領域に触れてしまった者達が覚えた恐怖に等しい。其方は、こうして儂の許を訪れる以前に、既にその血と運命で以て、同じ血と運命を持った二人の勇者が辿り着いた場所に行き着き掛けていた。そして其方は、やはり自身も知らぬ間に、もう一つ、悟っていることがある。…………其方は、儂に聞かせた打ち明けの中で、今の其方達にとってのハーゴンを、『夢のように遠い存在モノ』と例えた。アーサーに掛けられた呪いを解くべく、世界樹の葉を求めた際のことを語った時にも。其方が、神や精霊は、人には手の届かない『夢のように遠いモノ』だと思うと語ったと、先程、アーサーとローザは言っていた。──そうだ。其方は既に知っている。己達の旅が、神が紡いだ『勇者の運命』と言う呪いの道を辿るだけのものでしかないことも、その先に待つものは、神や精霊に等しい、『夢のように遠いモノ』だと言うことも」

何を考えているのか窺い知れぬ、感情と言う色の一切が消え去った面で、アレンの、微かに輪郭を歪ませた碧眼のみを見詰めながら、竜王の曾孫は、長過ぎた話はこれで終いだ、と静かに告げて口を閉ざした。