やって来たアレン達を出迎えた神父は、彼等は旅立ちを伝えに来たのだと思い込んだらしく、ラゴスの名を出した途端、驚いたような顔をした。

「ラゴス……ですか?」

「ああ。そう言う名の盗人が牢から逃げ出したと、直ぐそこの通りで騒ぎになっている。もしも、僕達に手助け出来ることがあるなら、言ってくれないか」

王族としては愚直な部類に入るのだろうアレンも、馬鹿が付く正直者ではないので、あの騒ぎが収まらないと街から出られないから、との本音部分はちゃんと隠し、彼は、にっこり笑みつつ言った。

「それはそれは……。お心遣い痛み入ります、殿下。ならば、折角のお申し出に甘えさせて頂くとしましょう。──自警団の皆さんは、ラゴスが消えてしまったと気付いて直ぐ、彼を捜しに街に行ってしまいましたので、殿下方には、牢の改めをお願いしても宜しいですか? 彼がどんな手を使って牢から抜け出したのか判れば、行方も掴めるかも知れませんので」

「ああ。判った」

すれば、柔和な笑みを湛え返した神父は、早速、彼等へ頼み事をし、ちょぴり後ろめたそうな顔付きになったアレンと、「多分、又、彼は胃が痛いと言い出す筈」と、直後の展開を先読みしたアーサーとローザは、教会より辞し、裏手の牢屋へ足先を向ける。

「アレン。お腹は大丈夫?」

「……いや。やっぱり痛んだ」

「嘘も方便って言うじゃないですか。気にしちゃ駄目です、気にしちゃ」

「僕も、そうは思うんだが。最近、何かを少しでも気に病むと、胃が痛む癖が付いてしまったみたいで……」

「国を出る前は、悩み事を抱えても、胃の臓を痛めたりはしなかったのでしょう? なのに、どうしてかしら」

「さあ……。……あー、でも、国にいた頃は、悩み事なんてあるのが当然、と思っていたから……かも」

「アレン…………。だったら、思い煩いが胃の痛みに直結してる今は、進歩、ってことになっちゃいますよ。それって、どうかと思います」

歩きながらも、案の定腹に手を当てたアレンを、ローザやアーサーが気遣ったり呆れたり、としていた間に、三人は牢屋に着いて、入り口を守っていた牢番に事情を説明してから、屋内へ踏み込んだ。

──鉄格子が嵌められた小部屋が二つ三つあるだけの、規模の小さい牢獄ではあったが、所々に少量の灯りが灯されているのみの薄暗くて底冷えするそこは、そもそもから街自体が地下に造られているのも相俟って、甚く重苦しく感じる建物だった。

例え、牢などではなくとも、大抵の者が長居は遠慮するだろうような。

そんな牢獄の細長くて狭い通路を、足早に最奥まで進み、彼等は、噂のラゴスが入れられていたと言う、今は空の牢の前に立って、鉄格子越しに中を眺める。

「確かに、誰もいないわね」

「鉄格子が切られた痕も、鍵が抉じ開けられた痕もないですね」

「こんな所から、ラゴスはどうやって逃げ出したんだ?」

「それは謎ですけど……、取り敢えず、中に入ってみませんか? ここ、鍵が掛かったままになってますから、未だ、誰も改めてないんじゃありません? 神父様も、そんなようなことを言ってましたし」

「……あ、じゃあ、牢番の彼に鍵を借りて来ないといけないわね」

「…………そうだ。だったら、昨日のあの鍵を試してみないか。噂の通りなら、ここの錠前だって開けられる筈だ。もしかしたら、あれと同じ鍵を、誰かが秘かにラゴスへ差し入れたってことだって、有り得る」

薄明かりの中、目を凝らして探ってみた牢は蛻の殻で、本当に、一体どうやって? と首捻ってから、昨日手に入れた牢獄の鍵の試しも兼ねて、彼等は、掛かったままだった鉄格子の施錠を解き、直ぐそこにあった壁掛け用の燭台片手に、そろりと牢内に進んだ。

揺れる炎で照らしてみても、牢内が見せ付けてくる様に変わりはなかったが。

小さな灯りが壁の右奥隅を照らし出した刹那、アレンは微かに眉根を寄せ、後ろに続く二人へ首を廻らせると、声を出すなと仕草で伝えた。

次いで、手にしていた燭台をローザに手渡し、アーサーへは目配せをして、彼は、先程手に入れたばかりのドラゴンキラーを構える。

「何者だ。出て来い」

得物を構えつつ、目を留めた壁の隅へと彼が凄めば、

「あはー。見付かっちゃったー」

カラカラと軽い音を立てて煉瓦塀の一画が崩れ、暗闇から、やたらと軽薄そうな声で喋る、誰かが這い出て来た。

「お前は?」

「噂の、ラゴスだよ」

きゃっと、小さく悲鳴を上げながらもローザが掲げた燭台の火が映し出したのは、土や煉瓦の欠片に塗れた若い男で、一歩踏み込んだアレンに、喉元にドラゴンキラーの切っ先を突き付けられた彼は、あっさり、ラゴス、と名乗った。

「……逃げたんじゃなかったのか」

「まーねー。正しくは、脱獄の途中だったって言うかねー。でも、しくじっちゃった」

名ばかりでなく、実行中だった企みをもすんなり吐いたラゴスは、床に胡座を掻いて、あっけらかんと、声さえ立てて笑った。

その後。

アレン達三人や、報せを受けて教会からやって来た神父や、長老や、街中から呼び戻された自警団の男達に取り囲まれたラゴスは、それはそれは楽しそうに、自身の立てた『脱獄計画』に付いて語った。

……彼に曰く、この地下都市を覆う煉瓦塀の目地は、牢獄の壁含め、大半が簡単に崩せる程脆くなっているのだそうで、食事の際に掠め取っておいた匙で、牢の煉瓦壁の目地を突き削り、取り外した煉瓦の奥に、やはり匙で以て何とか潜り込める穴を掘った彼は、そこに身を潜めてから外した煉瓦を積み直して、牢から抜け出したように見せ掛けたらしい。

そうして、自分が脱獄したと周囲に思い込ませ、蛻の殻と化した──と装った──牢を何者かが開け放つのを待って、騒ぎに紛れて本当に脱獄する、と言うのが彼の計画だった。

もしも、牢内が充分な灯りに満たされていたら、小部屋の四隅に積まれた、彼が労力と時間を掛けて掘り返した土が、直ぐに人々の目に止まっただろうし、一旦外した煉瓦を重ね上げただけの稚拙な偽造など簡単に見抜かれただろうが、数少ない火が灯るのみの牢の薄暗さが、ラゴスのいい加減な計画の手助けになったのだろう。

だが、アレンが、煉瓦塀の奇妙さと、その奥で何者かが息を殺している気配に気付いた為に、彼の企みは頓挫し。

「……人騒がせな奴だな…………」

「本当にね……」

「何か、疲れちゃいましたねー…………」

────種明かしをされた今だからこそ言える科白だけれども、それだけのことだったのか……、とラゴスの白状を聞き終えた三人と街の者達は、やれやれ……、と揃って疲れたような顔をしつつ、もう一度、ラゴスを牢に放り込んだ。

壁の穴は空いたままだが、直ぐにでも塞ぎ直すし、ここから地上まで一日二日で掘り抜ける筈も無いから、と口々に言い合いながら。

「お手数をお掛け致しました、殿下方。申し訳ありませんでした、こんな馬鹿馬鹿しい騒ぎに巻き込んでしまいまして……」

全く……、とブツブツ愚痴零し続ける牢番が、鉄格子にしっかりと鍵掛けるのを見届けて、結局、最後までこの騒ぎに付き合ってしまったアレン達もボソボソと小さく零し合えば、神父が、三人へ頭を下げてきた。

「いや、手伝うと言い出したのはこちらだ。多少なりとも、役に立てて良かった」

「そうですか? そう仰って頂けますなら…………。あの時は、私も少々焦っておりましたので、安易にお言葉に甘えさせて頂いてしまいましたが、後になって、ロト三国の王子殿下や王女殿下に、盗人探しの真似事をさせてしまうなど……、と思いましたものですから──

──ロト? 今、ロト三国の王子王女と言ったか、神父? そこにおるのは、勇者の血を引く若造共か?」

確かに、事の真相自体は馬鹿馬鹿しかったが、そんな風に詫びられることではない、とアレンは神父を制し、けれど、神父は恐縮したままで────その時。

ラゴスの牢とは通路を挟んだ向かいの牢に繋がれていた、引き摺る程の長さのゾロリとした襤褸を纏った、長い白髭を蓄えた老人が、鉄格子に張り付きながら、アレン達三人を凝視した。