この場の何も彼も、全て斬り裂いてやるとばかりに彼が振るった一閃は、ルプガナでグレムリンと対峙したあの時のように、宙を走る真空をも生み、祈祷師の体を、文字通り左右に割った。

途端、石床も、壁も天井も、吹き出した夥しい血に染まり、アレンも、魔物達の身をも濡らしたが、死神の鎌を操るそれも、古びた剣を操るそれも、何一つ介さず、ローザやアーサーを黄泉路へと引き摺り込むべく無秩序な蠢きを続け、

「退け! お前達の世界に戻れ、二人に手を出すなっ!!」

祈祷師を真っ二つにしてみせた技を再度振るうと、アレンは、傷付き膝折ったアーサーとローザを引き摺り、がむしゃらに走り出した。

途中、視界の端を掠めた階段を駆け昇り、現れた部屋の扉を蹴破って、ままよ、と彼は中へと飛び込む。

荒い呼吸の二人を抱いたまま、自らの背で扉を押さえ込みつつ息詰めていたら、後を追って来ていた『死の僕』達の気配が消えた。

「アーサー! ローザ! しっかりしろっ」

追っ手は振り切れた……と、ほんの僅かだけ安堵し、が、直ぐさま彼は、石床に横たえたアーサーとローザの怪我の具合を確かめる。

「くそ……っっ」

二人共に気は保っていたが、鎌や剣に負わされた傷は深手で、手持ちの薬草は使い果たしたのも失念し、腰帯に下げた革鞄の中を咄嗟に探り掛けた手を留めたアレンは、焦りと悔しさに唇を噛み締めた。

────二人の勇者の血を直系で受け継いだにも拘らず、ローレシア王家に生まれた者は、誰一人として一欠片の魔力さえ持たない。

故に、そういうものなのだ、とアレンは思ってきた。

己には魔術が操れぬのは、致し方のない、拘る必要など微塵もないことなのだと。

それを口さがなく噂する者達がいるのは知っていたが、『魔』を従えられずとも、己が一族には、勇者の末裔に相応しい『武』が備わっているのだから、とも。

事実、『魔力も持たぬ勇者の末裔』であるのを、彼は引け目に感じたことなど一度もなかった。

しかし、今、深く傷付いたアーサーとローザを前にして、彼は初めて、それを悔しく思った。

嘆きもした。

何故なにゆえに、己は魔術一つ操れぬのかと。

『魔力も持たぬ勇者の末裔』は、本当に、勇者の末裔と言えるのかと。

どうして、己には、二人を癒す術がないのか。

どうして、二人にしてやれることがないのか。

………………どうして。

「アーサー……っ。ローザ……っ」

……けれども。

悔やもうと、嘆こうと、現実は、何一つも変わらなかった。

彼には魔術は操れぬ、それは、揺るぎなかった。

出来るのは、横たえた二人の面を覗き込むことくらいで、なのに、彼等の具合を確かめようと身を乗り出した自身からは、先程浴びた祈祷師の血が滴り落ちて、蒼褪めた二人の頬を、身を濡らし、

「……僕は…………っっ」

ああ、己は何と罪深いのだろう……、とアレンは深く俯く。

「……ア、レン。アレン……」

「アレン……。大丈夫……。大丈夫よ…………」

──と、肩を震わせ、切れるまで唇を噛み締め、面を伏せてしまった彼を、アーサーとローザが辿々しく呼んだ。

「待っていて……。こんな傷くらい……っ」

「そ……うですよ。だから……そんな顔、しないで下さい……」

薄い笑みを浮かべつつ彼を見上げ、口々に言いながら、ローザもアーサーも治癒の光を生み、幾度かそれを繰り返してより、二人は、ゆっくりと身を擡げる。

「ね? 平気でしょう、私達」

「驚かせて御免なさい。でも、もう安心して下さいね」

「…………本当に? 本当に、大丈夫なのか……?」

そのままその場に座り直し、体のあちこちを確かめてから再度笑い掛けてきた二人へ、思わず手を伸ばそうとしたアレンは、「あ……」と、慌てて腕を引いたが。

「心配性ですねえ、アレンは」

「ほら、能く見て」

逃げて行く彼の腕を、アーサーとローザは掴む。

「その……。出血は止まったようだし、傷も塞がったみたいだけれど、痕が残ったり……とか……。魔術でも、血は補えないだろう……?」

「本当に、大丈夫ですよ。完全に癒したから、その心配は要らないです」

「ええ。それ程は、血も失わずに済んだわ。怪我の見た目が派手だっただけよ」

「……そうか。なら、良かった」

滴るまでに人の血に濡れた両手をしっかりと握られ、アレンは、気拙そうに眼差しを落とした。

穢れた己が手をも取ってくれる二人を、心の底から愛おしく思うと同時に、彼は、気付いてしまった。

何時終わるとも知れぬ旅の連れ同士で、仲間にも友にもなったアーサーとローザを、自分は秘かに羨んでいるばかりか、本当は心の何処かで、『魔力すら持たぬ勇者の末裔』であることに、引け目を感じていたのかも知れない、と。

ムーンブルク王城で、亡き人々への祈りを捧げるアーサーの姿に羨望した刹那同様、命を救い癒す術持つ二人を、きっと、心の隅の隅で、己は羨ましく思っている。

勇者ロトの血を引く末裔として、真実相応しいのは……。

そして、罪深き己は…………────

「どうして、そっぽ向いてるんですか? ……あ、もしかして、アレン怒ってます……?」

「御免なさい、心配ばかり掛けて……」

「いや、そんなことはない。僕の方こそ、すまなかった。僕が、軽はずみな判断をしてしまったから……」

「又、アレンは、そういうことばかり言って。単に、僕達皆が、経験不足と言うだけです」

「それよりも、貴方こそ怪我は?」

────今だけは、二人の顔が見遣れない、と眼差しを逸らしたアレンを訝しみつつも、アーサーは、自身のみを責める彼を窘め、ローザは、取り出したハンカチ代わりの白布で、彼の返り血を拭う。

「大丈夫だ。僕に怪我はない」

「…………アレン。こっち向いて下さい」

「え?」

「いいから。私達を見て」

大人しく、されるがままでいるものの、視線だけは有らぬ所を漂わせている彼を、二人はじっと見詰め、「ちゃんと目を合わせる!」と言うや否や、彼に抱き付いた。

「…………おい?」

「アレン、何か変なこと考えてるでしょう」

「変なこと、って……」

「誤魔化しても駄目。今の貴方は、酷く暗い顔をしているもの」

「ローザの言う通りです。だから、アレンが何か、独りで思い詰めちゃってるんじゃないか程度の想像は付くんです。駄目ですよ、自分で自分を追い詰めたりしちゃ」

「……アレン。貴方が何を考えているかまでは判らないけれど。一人きりで考え込まないで。思い煩ったりしないで。お願い、私達が一緒だと、思い出して」

「……………………ああ。判ってる。……有り難う、心配してくれて」

思い煩いの、身の内に溜まり始めた『澱』の、根源でもある彼等に揃って抱き付かれ、縋る風にもされて、甚く複雑な想いを抱いたが、それでもアレンは二人へ両腕を回し、素直に頷いた。

気付いて──……いいや、認めるしかなくなってしまった羨ましさも引け目も、きっと、この先は募っていく一方なのだろうけれど、アーサーもローザも、己を深く想ってくれているのは手に取るように判り、己も又、二人を大切に想っている。

旅の日々の中で、彼等は確かに、『特別な存在』になった。

ならば、羨ましく思えども、引け目を感じようとも、こうして、罪深き己でさえも支えてくれようとする二人を守り通そう。これまで通りに。

『魔力も持たぬ勇者の末裔』であろうと、『伝説の勇者の末裔』に相応しい彼等を、守ることくらいは出来る。

…………否、それしか、自分に出来ることはない。