普段から武人らしい厳めしい面をしている父の顔付きが、何時にも況して厳しい、と玉座の間に足踏み込んだ瞬間に見て取って、アレンは、これは本当に只事ではない、と僅かに顎を引いた。

「父上。大事が起こったと──

──そうだ。いいから、そこに座れ。其方も、王太子として聞くべき話だ」

玉座を占めた父が漂わせている気配は、彼をしても初めて見るもので、それまで以上に背筋を伸ばし御前へと進み出た彼を王は制して、本来、王妃の物である座を指し示す。

「はい、父上。……それで?」

「つい先程、ムーンブルク王国よりの火急の使者が到着した。戦にでも巻き込まれたかのような深い傷を負っていて、ここへ辿り着いて直ぐ、倒れてしまったらしい。酷く傷付いた身だと言うのに、キメラの翼か、然もなければルーラの術を使ったようで、それも良くなかったのだろう。今は、医師達に介抱させておる。……そういう訳でな。一体、何が起こっているのか、何の為の使者なのか、儂にも未だ判らぬが、尋常でない事態なのは確かだ」

言われるまま、息子が座へ腰下ろすや否や、王は事情を話し出した。

「ムーンブルクよりの使者が…………」

父より伝えられた事態に、アレンも又、顔付きを厳しくする。

────勇者アレフによって、ローレシア王国が建国されてより凡そ百年。

平和な時代は続き、その間、少なくともローレシア大陸にて戦が起こったことは一度もなかった。

この大陸には、ローレシアの他に、サマルトリア王国と言うもう一つの大国が存在しているが、この二国は兄弟国だ。

アレフとローラ姫が授かった三人の子供達が成人した際、広大な領土を誇ったローレシアは二分され、ローレシアは彼等の長男が、分けられた新国は次男が継ぎ、第三子に当たる長女は、海峡を隔てたムーンブルク大陸の覇者、ムーンブルク王国へ嫁いだ。

大層仲が良かったらしい三兄妹は、それぞれの国の国主や王妃となって以降も変わらぬ関係を保ち続け、現在では『ロトの盟約』と呼ばれているローレシアを盟主国とする同盟を結び、以来、ローレシア、サマルトリア、そしてムーンブルクは、ロト三国と称される、勇者の血で結ばれた同盟国となった。

ローレシア大陸にもムーンブルク大陸にも、ロト三国以外の国家や都市国家は存在しているが、それら勢力は、ロト三国と肩を並べるには小国過ぎ、故に、ロトの盟約が破られぬ限り、ローレシアからムーンブルクに掛けての地域を舞台に、戦が起こることなど有り得ない。

或る意味では非常に好戦的であり、国力もあるデルコンダル王国ならば、ロト三国相手にも戦を吹っ掛け兼ねないが、現ローレシア王妃がデルコンダル王家出身である為、彼女の目の黒い内は、それも有り得ない。

にも拘らず、ムーンブルクよりの使者は、『まるで戦に巻き込まれたかのような深い傷を負っていた』と、父王はアレンに告げた。

……件の兵士は、転移魔法や技術の一つであるキメラの翼やルーラの術を用いてローレシアへ赴いた、と言う推測は間違いで、陸路で以て、と言うのならば、まあ、判らない話でもない。

ムーンブルクとローレシアは位置する大陸すら違える程に遠いから、道中、魔物に襲われた可能性が生まれる。

竜王が勇者アレフに倒されると同時にめっきり温和しくなり、余り姿も見せなくなっていた魔物達や魔族達が、二、三十年程前、何故か急激に数を増やし、又、かつてのように人々を襲っているのは周知の事実で、ロト三国に限らず、世界中の国家や都市の統治者達は、一様に魔物対策に頭を痛めていて、各国軍の兵士達が『敵』と見做し戦う相手も、専ら魔物達である。

だが。

ローレシアが建国される以前より存在していたムーンブルク王国は、古くから『魔法使いの国』として名を馳せており、そんな国より派遣された盟主国への使者が、魔法の一つも使えぬ筈は無く、如何にムーンブルクからローレシアへ至るまでの道中が長かろうとも、件の兵士が、早々、『まるで戦に巻き込まれたかのような』傷を負うとは考え辛かった。

どうしてなのか、その理由は誰も知らぬが、ローレシア大陸に出没する魔物達は、他の地域の魔物達よりも倒すに容易い。

即ち、弱い。

戦う術を持たぬ者達にとっては脅威以外の何者でもない魔物達でも、魔術を使役出来る兵士ならば、凌げぬことはない筈だ。

ローレシアのそれよりも、遥かに厄介な魔物達が出没するムーンブルクの何処かで襲われたのだとしても、道中には、傷付いた体を休められる宿場町も点在している。

「一体、どういうことでしょうか…………」

「……言いたくはないが。正直、儂にも判らん」

────今の世界の情勢を鑑みつつ、深く考え込みながら、ぽつっと呟いたアレンへ、父王は、困惑している風に首を振った。

「ロト三国の内の一国を相手取って、戦を起こすような国があるとは思えません。少なくとも、今は。……魔物、でしょうか?」

「有り得ぬ話ではないが、だとするなら、彼奴等が今まで以上に凶暴化している、と言うことになるが。今度は、その理由が判らん」

そうして親子は、互いを見遣らず前だけを向いて小声で語らっていたが、突然、二人のやり取りを遮る大声が、玉座の間の扉の向こう側から響いた。

「なりませぬ! そのお身体で動いては……!」

「……そんな……そんな場合ではない!」

重厚な扉を隔ててもはっきり聞こえた、誰かと誰かの言い争う声が上がった直後には、ガン! と重たい両開きの扉が不躾に開かれ、何とか留めようとする城仕えの医師の一人を振り切った、血塗れの兵士が飛び込んで来た。

「ローレシア国王陛下! ご無礼をお許し下さい、わたくしは、ムーンブルク国王よりの勅命を賜った者です……っ!」

医師や警護の兵達その他、手を差し伸べようとする者を悉く退け、蹌踉よろけながらも叫びつつ、ムーンブルクの兵士は進み出る。

「……ご苦労。して、勅命とは?」

「ムーンブルクが……ムーンブルク王城が、僅か一夜にして陥落致しました……っっ。近年、悪名を馳せつつある邪神教団の、大神官ハーゴン配下の魔物軍勢が、我がムーンブルクの城を……! 邪神教団は……ハーゴンは……禍々しい神を呼び出し、世界を破滅させるつもりだと、ローレシア国王陛下にお伝えせよと、我等が王よりの…………っっ……。……ローレシア国……王陛下……っ。何卒……何卒、ご対策、を…………っっ。我等が王は……、邪神教団の軍勢……の……っ。魔物達の、手……に掛かり、無念のご最期、を………………」

最早、医術でも、魔術でさえも、留めようない血を滴らせつつ、ローレシア王の玉座前にて傅いた兵士は、徐々に掠れて行く声で仔細を語り、己が王より賜った命を果たした途端、その場にて頽れた。

「おいっ! しっかりしろ!」

鈍い音を立てて床に転がった兵士へと思わずアレンは駆け寄り、微かに震える体を抱き上げたが、彼はもう息絶えており、それでも流れ続ける血が、アレンの、絹で出来た衣装を濡らした。

「……そんな…………」

「…………誰か。この勇敢な兵士を、手厚く葬ってやれ。ムーンブルクに還してやることは叶わぬが、せめて、な」

震えも止まった体──亡骸を支え続け、呆然と目を見開くアレンの傍らに何時しか立った父王は、宰相や衛兵達に静かな声で告げてから、一転、強張った声で命を放つ。

「直ちに議会を招集する。邪神教団なる者共の軍勢に、僅か一夜にしてムーンブルク王城が陥落させられたと言うなら、確かに、今直ぐ対策を立てねばならん。……アレン、着替えて参れ。其方も、議会に──

──父上! 議会などと……っ! 例え……、例え、ムーンブルク王城が陥落してしまったのだとしても、今直ぐ向かえば助かる命があるやも知れませんのにっ!」

「アレン。それは、一人の人間としての、一個人としての、申し立てであり感情だ。其方の気持ちが判らなくはないが、ローレシア王太子の言葉にしてはならない。……着替えて来なさい」

その命──議会を招集する、とのそれは、余りにも悠長過ぎるとしかアレンには感じられず、彼は、国王陛下相手に思わずの意見を放ったが、父王は、諭すようにそれだけを言って彼に背を向け、

「…………はい」

見上げるしかない父王の背へ小さく呟くと、アレンは、絶命した兵士の亡骸をそっと横たえ、力無く立ち上がった。