DRAGON QUEST Ⅱ

『ROTO』

─ Lorasia ─

その日のその時、彼は、ローレシア王国の王城一階隅に設けられている厨房に潜り込んで、撮み食いをしていた。

けれども、彼を咎める者は誰一人としていなかった。

それは、アレン・ロト・ローレシアと言う名を持つ彼が、その名の示す通り、ここ、ローレシア大陸では大国の一つに数えられるローレシア王国の王太子であるからだけが理由ではなく、城に仕える者達に、延いては、王城を取り巻くように広がる城下町の者達に、愛されているからだ。

────王国を統治しているローレシア王家は、伝説の勇者の血を引く一族と言い伝えられている。

かつて、闇に支配されていたこの世界の北西部に位置するアレフガルド大陸はラダトーム王国に、空の彼方の異世界より降り立ち、世の全てを葬り去ろうとしていた大魔王ゾーマを討ち滅ぼして、世界に光を齎した勇者ロト──親から授かった名はアレクと言う伝説の勇者の血を引きし者が、当時は未開だったローレシア大陸に打ち立てた最初の国が、大陸の東半分を治める、ここローレシアである、と歴史書は謳っている。

ロト伝説の成り立ちは四、五百年は昔の出来事であり、真偽も判らぬお伽噺と化して久しいが、それでも、当時のラダトーム国王ラルス一世よりロトの称号を授かった勇者アレクの物語は、この世界の正史とされており、今から遡ること約百年前、再び、竜王なる魔が世界をおびやかした際、勇者ロトの血を引く者──アレクの子孫に当たるアレフと言う青年が竜王を倒したのも、名実共にロトの血を引く勇者となったアレフが、その頃のラダトーム国王ラルス十六世の愛娘、ローラ姫と共にローレシア王国を築いたのも、勇者ロトの伝説に比べれば遥かに人々の記憶に新しく、又、確かな歴史でもあり、アレフとローラが、アレンの曾祖父と曾祖母であるのも事実だ。

故に。

アレク──勇者ロトの末裔の一人であり、アレフ──ロトの血を引きし勇者の曾孫に当たるアレンは、生母の胎に宿った時から、少なくともローレシアの人々よりの祝福を一身に受ける運命を持っていた。

それに加え、彼は、所謂『遅く生まれた子供』だった。

現ローレシア国王夫妻は、仲睦まじいにも拘らず中々子宝に恵まれなくて、夫妻が、親戚から養子を迎えるか、然もなくば妾妃を取るかの選択を迫られつつあった時期に漸く授かった、しかも王子だった彼は、そういう意味でも恵まれていた。

伝説の勇者の末裔であることに、挟持と強い自負を持つ王家を君主として戴くローレシアは、武を第一に尊ぶ国柄で、名高い騎士や剣士を多く輩出しており、代々の君主家族も男女の別なく武人としての誉れが高く、アレンの父である現ローレシア国王に至っては、武人の見本のような人物なのだが、そんな王をしても、やっと生まれた一粒種の王子は目の中に入れても痛くない存在で、アレンが未だ幼子だった頃は、大層彼を甘やかした。

ローレシア大陸の南海に位置するデルコンダル大陸の支配者、デルコンダル王国の王家出身である彼の母も、『力』こそが正義である、との生家や祖国の気風に倣い、王妃でありながら剣士の肩書きをも持つ、その意味で逞しい女性だが、彼女も又、アレンには少々過保護気味に接した。

しかしながら、奇跡的にアレンは、恵まれ過ぎた環境の中で育った者に有りがちな驕り高ぶりを覚えることもなく、至極真っ直ぐに成長した。

甘やかされはすれども、勇者の末裔として、次期国王として、幼少期から文武共に厳しい教育を受けた所為もあっただろうけれども、恐らくは、持って生まれた気質がそうだったのだろう。

真面目で、素直で、されど子供らしく、王城の全てを己が遊び場とし、城内の何処にでも潜り込んで、相手の身分に拘らず親しく人々と接しつつ、時には悪戯をし、時には厨房でこっそりおやつを貰いとし、果ては、人々の目を盗んで城を抜け出しては城下町にまで『冒険』に出てしまう王子を、臣下達も、街の人々も愛した。

利発で、剣の稽古が大好きで、武道の才能をも持ち合わせ、僅かに残る勇者アレクの姿絵や、曾祖父アレフに生き写しの顔立ちをしていて、先祖に当たる二人の勇者同様、漆黒色の髪と海の色に能く似た碧眼を有する彼──天上の神々や精霊達に、持ち切れぬ程の『幸』を持たされてこの世に送り出されたような彼を、好ましく思わぬ者はいなかった。

尤も、アレン当人は、長じるに連れ増す一方の、周囲の者達に注がれる期待や想いや、ロトの末裔であることや、何れは王位を継がなくてはならぬ運命が齎す重圧に、実の処は少々負け気味だったのだが。

…………人々よりの愛が深いと言うこと、それは裏を返せば、それだけ掛けられた期待が大きいと言うことだ。

彼のような立場に生まれた者にとっては、頓に。

そして、彼に向けられる愛と言う名の期待は余りにも大き過ぎ、到底、彼一人で抱え切れるものではなかった。

その為、十の誕生日を迎えた頃から、彼は、人々の理想通りの王太子像と言う枠の中に、何とかして己を収めることだけに意識を傾けるようになった。

子供らしい一面は徐々に鳴りを潜め、一切の我が儘を言わなくなり、何かが起こる度、真っ先に己を責める癖を付けてしまった。

けれども、彼の振る舞いが、敢えてであることに気付いた者は一人としておらず、絵に描いたような理想のローレシア王子として育って行く彼を、人々は手放しで喜んだ。

彼を、少しずつ蝕む毒の如くに追い詰めるだけの結果を齎すとも知らず。

でも、アレンは、「このままでは、僕は少しおかしくなってしまうかも知れない」と薄々感じつつも、自身の肩に掛けられた期待に応える為だけに生きており。

だから、その日のその時、彼は城の厨房で、撮み食いをしていた。

日に三度の食事と決まった時間の間食だけでは、育ち盛りの彼には足りない故の欲求がさせたことではあるが、そんな一面も自分にはあるのだと振る舞いながら、可愛がってくれる下働きの者達との交流の時間を持つ為に為された行いでもあり。

こそこそと、既に出来上がりつつある王族の夕餉の前菜の中から、減っても支障なさそうな物を一つ二つと失敬していた彼に、

「アレン殿下。少しだけお待ち頂ければ、何かお作り致しますよ?」

と、声掛けてきた料理長達へ、

「いや、いいよ。こんな風に、一寸行儀悪く頂くのが楽しいのだから」

アレンは、そうやって笑顔を振り撒いていた。

「殿下! アレン王子殿下!!」

すれば、そこへ、声高に彼の名を呼びながら、彼にとっては『爺や』でもあるローレシア王国宰相が、血相を変えて飛び込んで来た。

「あ、爺や。……その、これはー……」

「やはり、こちらにいらっしゃいましたか! 一大事です! 今直ぐ玉座の間にお越し下さいっっ。陛下もお待ちです!」

「え、説教でなく? 一大事? 一体、何が?」

「詳しいお話は後程に。兎に角、撮み食いの説教などしている場合ではありませぬっ。さあ、お早く!」

『現場』を押さえられた以上、これは爺やからの説教確定だ、と渋い顔しつつも、僕への小言を垂れるのは、爺やの生き甲斐の一つでもあるから、と甘んじてお叱りを受けようとした彼へ、宰相は、一大事だ、とだけ喚きながら急き立てたので、本当に、一体何事だろう……? と首傾げたアレンは、早くも踵を返した宰相の後に続き、厨房を出て行った。