「アレン!?」

「殿下! どう為さいました、何処かお加減でも!?」

アレンのその様は、誰がどう見ても突然の吐き気を堪える者のそれで、ふらりと傾いだ彼の肩を父王は支え、駆け寄って来た宰相は、慌てた手付きで背を摩った。

「…………父、上。申し訳……ありま、せ……っっ。……気持ち、悪…………っ」

気遣わし気に顔を覗き込んでくる二人──特に父王へアレンは詫びようとしたが、膝は震え始め、体の力も抜けてしまい、父の腕に縋りながらその場に踞る。

「宰相、侍医を!」

「はい! 直ちに!」

「……待っ……。……爺や、待って! 待ってくれ、そうじゃ、ないから…………っ。違う…………っ」

途端、父王も爺やも血相を変え、侍医を呼ぼうと動き出したけれども、アレンは何とか声を張り上げ留めた。

「殿下?」

「具合が、とか……では無いんだ……」

「……アレン。ならば、せめてこちらで休め」

必死としか言えぬ訴えに、父王と爺やは顔を見合わせ、困惑しつつも、抱えるように立ち上がらせた彼を長椅子で休ませてやり、

「…………誠に申し訳ありませんでした、父上。爺やも、すまない……」

「詫びるようなことでも無かろう。……それよりも、アレン? 何か訳があるのか?」

暫しのち、落ち着きを取り戻した彼の顔色を窺いながら、父王は問うた。

「そ、の…………。実は…………」

心底躊躇ったものの、真っ直ぐに、偽りを許さぬ瞳を父に向けられ、アレンは、ポツリポツリと事情を打ち明け始める。

冒険の旅を始めたばかりだったあの頃、そうと知らぬまま、人を殺してしまったことと。

乗り込んだハーゴン神殿で取り込まれた幻惑の中で経験したことの全てを。

何処なのかも解らぬ不可思議な世界で、伝説の勇者ロトと、曾祖父アレフに巡り逢ったことまでも。

「……夢や幻かも知れぬ『何処か』で、アレク様とアレフ様に、その件で慰めて頂いた際に。本当に全てが幻だったのか、と。僕は、父上に剣を向けずに済んだのか、と。お二人に問うたら、アレフ様に言われたのです。『お前が、何方の意味で、剣を向けずに済んだ、と言っているのかは兎も角だが』と。…………ええ。アレフ様に言い当てられた通り、あの時、私は、二つの意味で、父上に剣を向けずに済んだ、と洩らしたのです。ハーゴンが生み出した幻の父上とは言え、討たずに済んで良かった、と言う意味と。『そう』と見抜けていたなら、父上の姿をしたモノに、剣を向ける必要など無かった、と言う意味と……」

「………………そうか。そんなことがな」

語った己の経験にも、俄には信じられぬだろう先祖達との邂逅の打ち明けにも、父王は、顔色一つ変えずに耳を傾けてくれたけれども、気拙さと、未だに抱え続けている酷い後悔の念の所為で、父の面を見遣れなくなったアレンは、深く俯いたまま語り続けた。

「所詮、幻の中の出来事だったのだと、割り切ろうとは思うのですが。どうしても、『父上』に剣を向けてしまった刹那が忘れられなくて……。どうして私は、あんなモノをまことの父上と思い込んだのだろうとの後悔も消えなくて、先程は、真の父上と、あの時の幻が重なってしまって。だから……。…………その、兎に角。そういう訳なのです。……申し訳ありません、父上…………」

「…………のう、アレン」

父とも、爺やとも目を合わせず、頑に足許だけを見詰めて再度詫びた彼へ、ローレシア王は、甚く穏やかな声で呼び掛ける。

「……はい」

「この、馬鹿息子」

が、その直後、王はアレンの頭に、ゴン、と拳を振り下ろした。

「何故詫びる? 其方の何が悪かったと? 幻の儂を幻と見抜けなかったのは、確かに其方の不徳の致す処だろう。だが、其方が成そうとした事自体は、ローレシアの次期国王として、何よりも儂の息子として、正しい」

「父上……。ですが……──

──アレン。儂が其方だったとしても、恐らく同じ事をした筈だ。幸か不幸か、儂や其方が持って生まれた立場は、『それ』すらも強いてくる。……致し方ない。祖国を預かる身なのだから。──故に、儂は嬉しく思う。其方が、儂の跡を継ぐ者として、そこまで思い切れるまでに育ってくれたことを」

鉄拳は、毎度のそれよりも大分手加減されていたが、深く苦い後悔と共に、未だに競り上がってくる胸のムカつきを堪え続けているアレンにとっては重く、彼は又、咄嗟に口許を押さえてしまったけれども、父王は、そんな言葉達と共に、小さな子供だった頃のように息子のこうべを優しく撫でて、

「…………父上……っ」

我を忘れたアレンは、父の胸に縋った。

「申し訳ありません、父上……。…………御免なさい。御免なさい……っっ」

「御免なさい、か。……久方振りに聞いたぞ」

────何時の頃からか、『只の男の子』としての一面もきちんと持っていた筈の愛息が、『ローレシア王太子』の顔しか見せなくなって。

立ち居振る舞いや言葉遣いのみならず、兎に角、息子の何も彼もが、その意味での完璧を目指し出し、以来、『御免なさい』などと言う子供染みた詫びの言葉も聞けなくなってしまって。

それを、国王としては手放しで嬉しく思えども、父としては、心の隅の隅で秘かに、得体の知れぬ不安に似たモノを覚えた刹那もあったが。

おのが息子にも、只人の部分も、幼き所も残っていたのだと、何処となく安堵した王は、ぽろぽろと大粒の涙さえ零しながら泣き縋ってくる息子を、優しく抱き締めてやった。

後、僅かだけだとしても、今は未だ、幼かったあの頃のまま、己の子としていてくれる、とも思って。

「……あ、の……、申し訳ありませんでした、父上……。見苦しい処をお目に掛けてしまったばかりか、情けない姿まで……」

──だからアレンは、父の庇護の下で散々に泣いて、『御免なさい』の言葉も囈言の如く繰り返し、漸く泣き止んだ直後、この上無く俯き、身も縮めて恥じ入った。

「大分以前、儂自ら、男が軽々しく泣くものではないと、其方に言い聞かせた覚えがあるが。儂としては、懐かし──。…………アレン?」

彼の或る意味での変わり身の早さに、「やれやれ、我を取り戻した途端に『これ』か」と、父王は苦笑しつつアレンを宥めようとしたが、その時、彼の様子が何故か少しおかしくなって、それまで以上に背を丸め、身を抱える風になったのを王は訝しがり、

「殿下? どう為されました?」

父と子の一幕に、対面の長椅子に座し思わずの貰い泣きをしていた宰相も、ん? と眉を顰めた。

「…………い、たい……」

「え?」

「腹が……痛い……っ。……そ、の……旅の間……に、事ある毎に……胃の腑が痛む癖が付いてしまって……っ。痛……っっ」

「殿下っ。何故、そのような大事を黙しておられたかっ!」

「………………宰相。やはり、侍医を呼んで来い」

「御意!!」

アレンのその様は、すっかり『仲良く』なってしまった胃炎の所為で、ガッ! と立ち上がった爺やは目を吊り上げ、少々呆れ気味な王の命通り、侍医を呼びに素っ飛んで行った。

「全く…………。其方のそれは、体で無く、心から来る悪い癖なのだろう。立派にはなったが、本当に、未だ未だ子供だ。……尤も父上も、年中爺様に振り回されとった所為か、同じような癖を持っていたが。……似ずとも良い所ばかり、儂の父上に似おったか……」

疾風さながらに駆け出て行った宰相を横目で見送り、溜息を吐き出しながらも父王は、アレンの背を摩ってやる。

「……申し訳ありません…………」

「詫びるな。今暫らく、其方を鍛える楽しみが残っていると、判ったのだから」

「…………どうか、お手柔らかに……」

僅か楽し気に、忍び笑いつつそう言った父王の暖かい手に甘んじ、アレンも微かに笑んで、再び、傍らの父の肩へと身を寄せた。

────その日を境に。

あの旅の、あの幻の中で抱えてしまった、深く激しい後悔も、自責の念も、アレンの中から徐々に消え去り、些少ながら、父王は未だ若かった頃のように、アレンは幼子だった頃のように、『只の父と子』として過ごす刹那がローレシア王城の片隅に生まれたが。

それはアレンが、第四代ローレシア国王に即位する日までの、後僅かばかりの日々のみのことで。

End

後書きに代えて

私は時々、アレンにファザコン疑惑を掛けたくなる。つか、確実にファザコンだな、この息子。

──『ハーゴンの妄想or願望』疑惑があるらしい、邪教神殿でのアレ。

うちの話の本編にてのアレを、アレンは実の処、中々消化出来ず、秘かに引き摺ってたんです(と言うか、性格からして確実に引き摺るだろうな、と私が思った)。で、それが、ロトの武具を愛でてはしゃぐお父ちゃんの姿から引き摺り出されて爆発しちゃった、今回の話。

本当のお父ちゃんとは、余りにも違う姿だったしね。

ギリギリ十代の特権だ(多分)、存分に泣いとけ、アレン。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。