もし、お前が既に、人の間では長らく『伝説の生き物』と語られている竜族──ドラゴンと対峙し、倒した経験を持っているなら判るだろう。

竜族の血は、色こそ人と同じだが、我々にとっては途轍もない異臭を放つと。

だが、竜王の血からは……私が流させた彼の血からは、異臭などしなかった。

けれども、私自身の手で討ち倒したモノの亡骸を何時までも目にし続けると言うのは、やはり気にはなったので、何をどうするにせよ玉座の間からは立ち去りたかったのだが、竜王の子は、私にアレクの手記を手渡して以降、父の亡骸を見詰めたまま微動だにしなくなってしまって、幼いとは言え竜王の子、目を離したら、何か人智の及ばぬことを仕出かさないとも限らない、と思った私は、仕方無く、玉座の間の隅にしゃがみ込んで、竜王の子に気を配りつつ、アレクの手記を読み始めた。

────やはり、冒頭に綴った通り、アレクの手記は、お前自身が、お前の人生の中で手に入れるべきものだと私は考えるし、書かれていた内容も然りだ。

故に、一体何が書かれていたかの詳細を、この場で打ち明けることは私には出来ぬけれど……、大雑把に言うなら。

あの手記には、大魔王ゾーマをも討ち滅ぼし、勇者ロトと呼ばれた彼が、全ての世界を遍く司ると言われる神そのものに不審を抱き、己や、己の『血』に課せられた『勇者の運命』を、神の呪いと断じていたことが書かれていた。

神に背を向けた理由も。

自身や血族の運命を、勇者の運命を、神の呪い、と断じるに至った経緯も。

そして、この世界を絶望で覆い尽くし、自身の闇で閉ざしてみせた、闇の源だった大魔王ゾーマの正体も。

…………手記に綴られていた、『アレクの半生そのもの』以外は、突き放した言い方をしてしまえば、殆どが、彼の想いや考えのみに基づいた、推測、又は想像でしかなかった。

人によっては、妄言、と言うかも知れない。

だが、あれを読み終えた時、私は、目の前を覆っていた深い霧が晴れ渡ったような心地を覚えた。

切々と綴られていた我が先祖の『想いの丈』は、彼が人生の中で感じ取ったことは、旅の最中、私が感じたことに能く似ていた。

──様々なことが腑に落ちた。

『幾つかの不思議』に触れる度、私が、言い知れぬ恐怖を感じたことも。

…………私は。

アレクが、我々の創造主でもある筈の神に不審を抱かざるを得なかった程、神の領域に触れてしまったように、私も、私の肌の下を流れる血の全てが凍ったかと錯覚する程の恐怖を感じるまでに、神の領域に触れ掛けていたのだと知った。

彼が、ロトの洞窟の石碑に、わざわざ、ロト伝説には登場しない三賢者の正体は精霊である、と遺した理由も判った。

アレクは、神が、そして神の僕たる精霊達が、ロトの血──勇者の血を受け継ぐ一族に、何を求めようとしているか気付かせる為にあんなことをしたのだと。

────アレクに言わせれば、神は、私達一族に、世界を脅かす『世界の敵』──アレクの代はゾーマであり、私の代は竜王であった存在を討ち滅ぼす為だけに在る、勇者としての運命を求めていて、その為に精霊達は……、と相成るらしかった。

それとて、彼の妄言、と切って捨てられなくもない、想像や推測の域を出ぬものだったが、私は、「ああ……」と思った。

言われてみれば、と。どうして今まで気付かなかった、とも。

──腕に覚えのある者なら手に入れられただろう銀の竪琴と引き換えだった、雨雲の杖は兎も角。

誰にも知れるロト伝説に在処が記されているにも拘らず、太陽の石の許へは、私しか辿り着けなかった。

虹の雫は、本来、アレクの子孫に伝えられて然るべき品である筈の、ロトの印を携えていなければ授かれなかった。

……だとしても、三つの神具は全て、その気にさえなれば、ロトの血を引く勇者で無くとも揃えられた筈だ、心無い者ならば、賢者達を殺してでも手に入れることを考えた筈だ、と思う者もいるかも知れないが。

…………無理だ。

三つの神具を守っていた三賢者の正体は、精霊だった。人などに、その命は奪えない。

それに。

精霊だった彼等は、アレク本人を知っていたのだから。私を一目見て、勇者ロトの面影がある、と言って退けたのだから。

彼等は端から、勇者ロトの子孫以外に三つの神具を授ける気など無かった、と言うことになる。

即ち。

ロトの血を引く勇者以外に、魔の島へ渡ることは叶わない。

ロトの血を引く勇者以外には、ゾーマの予言に記された、『新たなる魔』を討つ資格も機会も与えられない。

………………精霊達は。彼等の仕える神は。

ロトの血を引く勇者にしか、『新たなる魔』を討たせるつもりは無かったのだ。

勇者ロトの時代から。何百年も前から。……否、最初から。

これらの他にも、アレクの手記を読み終えた直後に私が想ったこと、感じたこと、考えさせられたことは様々にあったけれど……、あの時、私の中の大部分を占めたのは、私は一体、何だったのだろう……、と言う想いだった。

私は、何の為に竜王をも倒した勇者となったのか。

私は『何』で、ロトの血とは、ロトの血を引く勇者とは、何だったのだろう。

何も彼も、最初から定められていた、所詮『決まり事』でしかなかったならば、ロトの血を引く勇者だった私も、『決まり事』の中で定められた道化だ、と。

……子孫──否、血ばかりでなく、『勇者の運命』をも受け継いでしまった私に宛てて、『真実』を伝える手記などを書き残したアレクを恨み掛けもした。

彼がこんな手記さえ残さなければ、私は何も知らぬまま、道化なりに幸せではあれただろうに、と。

…………そんな刹那、ふと視線と気配を感じ、知らぬ間に俯かせてしまっていた面を持ち上げたら、己のことばかりに捕われてしまっていた私の目の前に、何時しか、竜王の子と名乗ったアレが立っていた。

手記より知ってしまったことに、何よりも自分自身の想いに翻弄されていた最中だったのに、傍に座っても良いか、話をしても良いかと、やたら礼儀正しくアレに問われて、私は思わず笑ってしまい、忍び笑いつつ、好きにしろ、と言ったら、目の前に、ちょこん、とアレは座り込んで、自身の父──竜王から聞かされたと言う話を語り出した。

────その、彼の息子──なのか娘なのか、私には未だに能く判らない。竜族は、男でも女でも卵を産むことは出来るらしいから──に曰く。

竜王は、自身が竜の女王の子──神の眷属たる竜族の一員であると、弁えていたそうだ。

神の眷属でありながら、竜王は『悪魔の化身』となり、そして、神を恨んでいた。

……何故、竜王が神を恨んでいたのかは、彼の息子も知らなかった。悪魔の化身となった理由も。

但、やはり竜王の子に曰く、竜王は、己を『異世界に降ろした神』を恨んだが故に悪魔の化身となったか、然もなくば、『悪魔の化身たる竜王』とならざるを得なかった故に神を恨んだか、そのどちらかだと思う、とのことで。

竜王は、天が己に与えし運命も恨んでいた。

神の呪いとも断じていた。

奇しくも、アレクが、己と己の血に課せられた『勇者の運命』を、神の呪い、と断じたように。

…………神を恨んで、自らの運命を恨んで、全ては神の呪いなのだと断じて。

故に、竜王は、ローラ姫をも攫った。

彼女の秘めた力で以て、『神の呪い』より自らを解き放って欲しかったから。

けれど。

竜王が感じたことが、断じたことが、何も彼も真であろうとも。『神の呪い』が実在しようとも。

神と言う存在が齎す呪いは、その神こそが生み出した者達──我々や竜王にとっては呪いなどで無く、運命さだめや、天啓や、試練、と言い換えられてしまうもので、それ故に、神の呪いが解かれることは無く。

竜王は、この世界に自身の子を残し、私には、私に先んじて見付けたアレクの手記を残し、『悪魔の化身』として私に討たれ、その生涯を終えた。