例の幼馴染みのことを、本当に思い出と出来たのか否かを京一は黙して語らなかったので、真相は当人にしか判らぬが、少なくとも端から見遣る限りは、あのような経験をした以前の彼に戻り。

時も、以前通りに流れ。

迎えた、一九九九年三月初旬 真神学園高校卒業式。

式次第も、クラスメートや後輩達と名残りを惜しむ一時ひとときも、何時もの仲間達と他愛無いことを言い合って笑いながら過ごす時間も、皆々、終わった後。

話があるから、体育館裏まで付き合ってくれ、と言い掛けた京一のそれを遮って、龍麻は、「自分も大切な話があるから丁度いい、でも、体育館裏などでは落ち着いて話なんか出来ないから、自分のアパートに行こう」と誘った。

自分の部屋でしたい大切な話って何だよ、あそこに連れ込んで何する気だ? と思わずにいられなかった京一だったが、「はあ?」と面食らっている内に、あれよと言う間に龍麻に連れ帰られてしまい、

「………………で? ひーちゃん、外じゃ出来ねえ大切な話……って、ん…………?」

押し込まれた狭い部屋の中に腰下ろすより先に、彼は家主に問いをぶつけ掛けて、はた、と室内を見回した。

つい先日まで、生活に絶対必要な物も、そうでない物も、何とか彼んとか詰め込まれていた狭い部屋が、綺麗さっぱり片付いているのに、そこで漸く気付いた彼は、首を傾げる。

「ここ、引き払うのか?」

「え? うん。何を当たり前のこと言ってるの? 京一ってば」

どう鑑みても、引っ越しをするのだろうとしか思えぬ片付きっぷりを目撃し、素朴な疑問を口にした京一の肩を、んもー! と龍麻は引っ叩いた。

「大事な話っていうのも、そのことなんだけど。あ、尤も、大事は一寸大袈裟で、こっちはこういう具合だからー、ってだけなんだけどね。目で見た方が、一々説明するより早いかなあって思って。どの道、家の方角一緒だから、序でと思って貰えればいいかなー、って」

「…………悪りぃ、ひーちゃん。俺、話が全然見えない」

「ええー!? んもー、京一ってば……。……だぁかぁらぁ。ほら、去年の終わり頃に、京一が、真神を卒業したら中国に修行に行くんだって話してくれた、あれ絡みだってば。あの時、一緒に行けたら、みたいなこと言ってくれたのは、幾ら何でも憶えてるでしょ? 京一、短気だから、卒業式終わったら直ぐにでも中国行くって決めてるんじゃないかと思って、だから、僕も支度は終えといたの。本当は、この間の京一の誕生日の時に色々話しとこうって考えてたのに、結局、中国行く話は出来ず仕舞いになっちゃったし、なのに、その手の話、京一ってば全然してくれないから、先に準備進めちゃった」

パシリ、ふざけ加減に叩いたそこを、今度は指先で突きつつ、龍麻は、家具の殆どが消え、片隅に、畳まれた布団と、確かに海外旅行にでも出掛けるような大荷物が積まれた部屋の様子を、見るが良い! とばかりに京一に見せ付けながら、ぺらぺらと思う処を語り出し、

「……………………え……」

促されるまま、改めて室内を一瞥した京一は、酷く複雑そうな顔して黙り込んだ。

「で、何時、中国発つの? あ、こっちは、パスポートもビザも税関対策もバッチリだから」

「……いや、バッチリだから、と言われても。こっちは全然バッチリじゃねえっつーか……」

「…………え。……そんなこと言うってことは、もしかして京一、未だ何の支度も出来てない? パスポートとかは? パスポートとかビザが要るってことくらいは、京一だって知ってるよね」

「あー……、そういう問題じゃなくて……」

「じゃ、何? 荷物が纏められなくて困ってるとか、何持ってったらいいか判らないとか、そういうこと? だったら僕がやってあげるって。心配しなくていいって。……そうだ、何なら、今から買い物行く?」

「何つーか。ええと。そういうことでもねえっつーか。もう少し、根本的な問題の話っつーか」

「根本? 根本的…………。……京一、今頃、中国語は話せないとか、そういうこと悩んでも意味無いと思うけど?」

「そういうことでもなくて! ──あーもー、判った、判った……。んじゃ、改めて言うわ。──ひーちゃん、俺と一緒に中国行こうぜ」

────本当は、京一は。

卒業式終了直後、体育館裏に龍麻を呼び出して、以前誘った中国行きの話は無かったことにして欲しい、中国へは一人で行く、新宿で暮らしてった方が、遥かにお前の為になると思うから、と伝え、説得しようと思っていた。

柳生崇高や、陰の黄龍の器や、降臨してしまった黄龍そのものと戦ったあの決戦から二ヶ月と少しが経って、大切な幼馴染みの記憶を奪われてしまっていたこととか、陰の黄龍の器の正体が、その大切な幼馴染み当人だったとか、大切だった彼を、大切な仲間達と共に斃さなくてはならなかったことだとかを、京一は、小さな痼りを残しつつも、大分、思い出と化せられたし。

龍麻に八つ当たりをぶつけてしまったあの日、そんなことだろうと薄々は思っていた、が、初めて、そして改めて思い知った龍麻の気持ち──現実に、彼は自分のことを、エゴとも言えてしまう程に想っていてくれてるらしい、とのそれは、以前からそうだったように、拒絶したい気持ちよりも、何となくのこそばゆさらしきものを伴う感謝に近い気持ちを、京一にいだかせたけれど。

だからこそ、去年の晩秋の頃は抱えていた、優越感めいた、同情と卑怯が入り交じった複雑な気持ちはスッと消えて、己の心にきちんと向き合いながら龍麻のことを考え直してみたら、数ヶ月前、ちょっぴり軽い気持ちで掛けた、一緒に中国に修行の旅に行かないか、との誘いは、撤回した方がいいと彼には思えた。

それが、龍麻にとっては何よりも良い選択だろうと感じられたし、『ベッタリ』だったこの一年に終止符を打って、互いの間に距離と時間を置いて、何時の日か再会した時──共に大人になった時、互い、今の気持ちに変わりが無ければ、本当の意味で、自分達が、数多ある道のどれを選び取るか決められる気がする、とも。

だが、龍麻には、そんなつもりは更々無い処か、何時かの他愛無い約束通り、共に中国へ行く気満々で、準備も万端で。

何を言っても聞く耳は持ちそうになくて。

………………ま、人生なんてこんなもんかも知れない、なるようになるだろう、と。

呆れたような、そして諦めたような、少しばかり苦味が織り交ざった笑みを浮かべて、京一は、仕切り直しのつもりで、共に中国へ行こう、と龍麻へ告げた。

「…………? どうして、そうも当たり前のことばっかり言うのかなあ、京一ってば。──で? 京一の方の支度は?」

だから、何でそんなにくどくどと、と龍麻は首を傾げながら、あっさり頷いて、話を元に戻した。

「支度? これから。未だ買い物とかもしてねえし」

「もう一回訊くけど、幾ら何でもパスポートとかは準備出来てるよね?」

「そりゃ勿論」

「航空券は?」

「あ、それもこれから」

「じゃ、買い物行って、航空券の手配して、京一の家行って……って、ああ、流石に今日は拙いよね。ご両親と、卒業のお祝いするよね、きっと。御免、気付かなくて」

「あ? んな面倒臭ぇこと、しないと思うぜ? 縦しんば、そうなったって別にいいじゃんよ、ひーちゃんも混ざりゃ」

故に、龍麻は当然、京一も、一寸した旅行に勤しむ若者が交わすような、軽い調子になり、

「なら、着替えるから少しだけ待ってて」

「応」

卒業式を迎えた日の余韻に浸りもせず、新宿の街へ繰り出して行った。