Shadow Hearts

『それでも確かに憶えてる』

あの、ウェールズの草原にての戦いが終わって、出来事も終わって、仲間達はそれぞれの『居場所』へと戻ることとなり、ウルという愛称を持つ彼──ウルムナフ・ボルデ・ヒュウガも、『新しい家族』となることを互いに誓い合った相手──アリス・エリオットと共に、スイス連邦の一都市、チューリッヒへと向かった。

そこに、彼女の母が住んでいたから。

大日本帝国軍人だった父の行方が知れなくなり、父の帰りを待ち侘びていた母を亡くした十の頃から、たった一人で世間を渡って来なくてはならなかったが故に、酷く荒くれていたウルにとって、世間一般のお約束とか、常識とかいう物に沿うのは、中々ピンと来ないことだったし、又、気恥ずかしくてどうしようもなくあったけれど、自分達が新しい家族となること──有り体に言えば結婚の約束を交わしたことを、アリスの母に伝え、許しを貰うのは避けて通れない道なのだと彼にも理解は出来ていたし、アリスの為にもそうしたいと素直に思ったし、彼女と家族となるということは、彼女の母とも家族となるということだから、アリスと二人連れ立ち、彼は、スイスへと。

──ウェールズから汽車に乗り、ロンドンへと出て、又汽車に乗ってサウサンプトンへ向かい船に乗って、フランスのルアーブルから再び汽車に乗って……とした長旅の最中、アリスの母との対面と挨拶の瞬間を幾度となく想像し、唇の端を引き攣らせっ放しだった彼を、アリスは何時までもクスクスと笑い続け、その所為で、拗ねたウルは随分と臍を曲げたけれど、二人だけのチューリッヒへの道程は、酷く楽しくて、酷く幸せなそれだった。

辿り着いたチューリッヒ──アリスの母の家で過ごした二週間も、楽しく幸せな、穏やかな時間だった。

アリスの母は、一人娘が無事に帰って来たことを喜び、婿を連れて来たことも喜び、暖かくウルを迎え入れてくれて、夫婦となる契りを交わした二人が多くを語らぬ内に、お式はどうしようとか、何処に住むのがいいのかとか、次から次へと一人嬉しそうに悩み出して、でも。

このままチューリッヒで、細やかでもいいから、年が明ける前には教会での式をと、ぼんやりした計画を立てていたウルとアリスに、母は、正式な夫婦となる前に、日本へ行け、と言った。

もう両親は他界してしまったけれど、父の妹、即ち叔母に当たる人が、生まれ故郷の日本にいる、との話をウルがした直後のことだった。

「だと言うなら、私にそうしてくれたように、貴方の叔母様にも結婚のご挨拶をしていらっしゃい」

……と。

────そういう訳で。

僅か二週間を過ごしたのみで、ウルとアリスの二人は、もう幾度目になるかも判らなくなった旅支度を整え、日本へ向かうことになった。

チューリッヒを発ってより数週間後。

やっと、彼等は横浜の港より日本に上陸した。

「あ、れ…………?」

何時まで経っても船酔いの体質が治らぬウルは、日本の地を踏む頃にはもうフラフラで、「俺、このまま死んじゃうかも知れない……。アリスと結婚も出来ない内に死んじゃうんだ……」とか何とか、馬鹿なことを呟きながら延々と寝込み続け、未来の妻を困らせ続け、やっと、歩けるくらい体調が回復した、と波止場のベンチより立ち上がった途端、酷く不思議そうに首を傾げた。

「ウル? どうかしたの?」

「どうかっつーか……。俺、ここに見覚えがある。…………何で?」

「何で、と私に言われても……。……子供の頃、お父様やお母様とここから船に乗ったことを、薄らと覚えているんじゃないかしら?」

三つの時、両親に連れられ日本を離れ、大陸へと渡って以来、祖国の地を踏んだことはないのに、何故か、横浜港にとても見覚えがある、と言いつつ首を傾げるウルに、アリスは困った顔付きになって、多分、子供の頃のことを覚えているだけなんだろう、と告げ。

「……かな。うん、そうだよな。俺、それ以来ここに来たことないもんなあ……」

アリスの言う通り、その程度の話だろうと、ウルはその時、その違和感を流した。

それよりも、ひたすら二人の旅は続いて、ウルの叔母、咲の嫁ぎ先である犬神の家のある里──犬神の里へと彼等は向かった。

犬神咲──旧姓・日向咲は、一言で言うなら漢前と相成る、『強烈』な性格の持ち主だったが、二十数年振りに再会した甥のウルと、ウルの恋人のアリスを歓待し、彼等の結婚を心から祝ってくれた。

故に、犬神の里で過ごした一週間前後の日々も、ウルにとってもアリスにとっても申し分ない日々となったが、性格は、確かに日向の血を引いていると判る、が記憶にすらない叔母に、どうにも見覚えがあって、ウルは、何時しか首を捻ることを止められなくなった。

咲だけでなく、己が日本を発った後に産まれた、会うのは真実初対面である筈の従兄弟、犬神蔵人にも見覚えと親しみがあって、何故だろう、何故だろう、どうして彼等のことを、『こんなにもはっきり自分は覚えている』と感じる瞬間があるのだろう……、と。

ウルは時折、我慢ならなくなったようにアリスに洩らした。

けれど、ウル自身にも判らない『見覚えと親しみ』の正体の心当たりを、アリスが持っている筈もなく。

血の繋がった親戚だからではないか、という結論で、犬神の里でウルが抱えた違和感は、横浜港での時のように、するりと流された。

犬神の里を発ち、横浜港へと向かう前、二人は日本橋に寄った。

チューリッヒで自分達の帰りを待ち侘びているアリスの母の為に、何か土産でも、と思ってのことだった。

その為の買い物を済ませ、日本橋界隈を当てもなくぶらついてみたのは、ウルが三才までを過ごした帝都・東京の街を見てみたいと言い出したアリスのリクエストにウルが応えたからで、それ以外の目的は彼等のどちらにもなく、広々とした公園の直中で行われていた、『プロレス』とかいう見せ物らしき物を見学したのも成り行きだった。

……けれども。

リングという四角い舞台の上で、ウルに言わせれば「馬鹿馬鹿しい事この上ない技」を披露していたヨアヒム・ヴァレンティーナという青年と、グラン・ガマという年齢不詳の男が格闘している姿を眺めて、ウルは。

「あいつらの馬鹿は、一生治らない……」

…………無意識の内に、そう呟いていた。

「あら? あの二人はウルのお知り合いなの?」

「え? 俺、何か言った?」

「……ええ。あの二人の馬鹿は、一生治らないって言ったわ」

「…………マジ、で……?」

「そうよ。だから、知り合い? って」

──呟いた言葉は本当に無意識で、何を呟いたのか……否、呟いたことすらウルには記憶として残らず、けれどそれをアリスの耳は拾って、だから彼女は素朴に問い。

「でも……俺、あんな連中、会ったことも見たこと、も………………」

「ウル?」

「……御免、アリス。俺、一寸トイレ!」

「え、ウル? どうしたの? 顔真っ青よ?」

「何でもない、腹痛いだけ! ウンコ洩れそうなだけ!」

「もうっ! ウルったらっ!」

知らぬ間に己が呟いたという『知らぬ科白』と、眼前で馬鹿馬鹿しい格闘を続ける二人の男の姿と、気遣わし気に己を見詰めて来る最愛のひとの眼差し、その全てに何故かいたたまれなくなって、どうしようもない誤摩化しを口にし、アリスに叱られながら彼は、慌ててその場を離れ、公園の片隅にあった公衆トイレに飛び込んだ。

…………憶えている。

否、憶えている筈のないことが、己の中の何処かに確かに眠っている。

見覚えなどないのに、何処に何があるのかまで判った横浜の港。

初めて訪れた筈なのに、風の匂いに心当たりがあった犬神の里。

初めての邂逅だったのに、とても親しく感じた咲と蔵人。

通りすがりに見掛けた見ず知らずの他人なのに、『生涯治らぬ馬鹿』であることを知っていた二人の男。

その全てにまつわる何かを、その全てから感じる違和感の正体を、自分は知っている。

己の中の何処かに、それは確かに眠っている。

憶えている筈もない処か、そんなもの、『初めから』己の中にはないのに。

何かの景色、何かの匂い、何時か何処かで傍に居た筈の人々、そんなモノにまつわる何かが、己の中には。

……そう、今さっきアリスに言ったどうしようもない言い訳だって。

何時か、何処かで、傍に居た、アリスでない誰かに告げたことに良く似ていて……────

────……アリス…………。アリス……。……アリスっ!」

……在る筈のない、己の中に眠る何か。

何かが思わせる、何かの想い出。

それを、一人確かに感じ、けれど感じた何かは在る筈が無い故に決して掴めることなくて。

目を閉じ、両耳を塞ぐようにして、身を折りながらウルは、最愛のひとの名を叫んだ。

応えてくれる声はない、そう思いながらも。

「ウル?」

……けれど。

応えてくれる声は、そこにあった。

「ア……リス……?」

「どうしたの? ウル。どうしてしまったの? …………何か、辛いことがあったのね……?」

「……違う。そういうんじゃ、なくて…………。でも……」

彼女が何を察して己の後を追い掛けて来てくれたのか、それはウルには判らなかったけれど、応えてくれる声がそこにあること、応えてくれる彼女がそこにいること、それを心から嬉しいと思いながら……でも、ウルは酷く顔を顰めた。

「大丈夫よ。大丈夫。もう、貴方は一人じゃない。もう、貴方一人で苦しまなくてもいいの」

どうしようもなく子供じみた表情を浮かべる彼へ、アリスは両手を差し出す。

慰めるように。

「……うん」

「幸せに、なろうね」

「…………うん」

「ウル。私達の為に、幸せになろうね。それが、貴方の中の『何か』にとってもいいことなんだろう、って。私はそう思うの。どうしてなのか、理由は判らないけれど。……だから、ウル」

「………………うん。……アリス……。アリス…………っ」

──差し伸べられた、白い小さな両手に、縋る為の手を、ウルは重ねた。

小さな幾つかの出来事を経て、極東の島国よりチューリッヒへと帰り、暫しの時を待ち、花の綻ぶ暖かい季節がやって来た頃。

町外れの小さな小さな教会で、ウルとアリスの二人は、細やかな式を挙げた。

それはとても暖かい式で、二人の仲間達も遠路遥々駆け付けてくれて、新郎と新婦は、とても静かで大きな幸せの中にいて。

────ウル」

訪れた季節を受けて綻ぶ花達のように、面を綻ばせているウルの許に、ロジャー・ベーコンは歩み寄った。

「あ! ロジャーのじっちゃん! 来てくれたんだ」

「ええ、勿論ですよ。………………ウル」

「何だよ、そんな改まった声出しちゃって」

「……アリスと二人、幸せにおなりなさい。もう、『初めから在ること有り得なくなった』貴方の中の貴方の為にも。もう、『初めから在ること有り得なくなった』私達の中の私達も、貴方が、アリスと二人、幸せを掴むことを祈っているのですよ。心から」

嬉しそうに振り返ったウルを見上げながら、ロジャーは真摯な顔で、真摯な声で、摩訶不思議な言葉を告げ。

「じっちゃん…………? あ、れ…………?」

告げられた言葉の意味することの何一つ、理解も出来なかったのに。

ウルは、何時しか傍らに添った、花嫁の白くて小さな手を掴みながら、ポロッと涙を零した。

「…………有り難う」

──そんな呟きと共に。

End

後書きに代えて

前回のシャドハはアリス視点だったので、今回はウル視点で。

だって、書いてみたかったから(真っ向勝負で告白)。

幸せになって欲しいんだ、ウルとアリスには。シャドハの2のGood endは、とても納得してるんだ。

でも、あのGood endを辿った後の、2の面子のことも一寸思っちゃうんだ。初めから有り得なくなるな、と。

皆に幸せになって欲しいんだよーーー!

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。