東京鬼祓師 鴉之杜學園奇譚

『去年』

秋も終わりに近付いて来た、二〇〇九年十一月中旬。

かったるいなあ、と小声でぼやいてみたい学校が終わった放課後、西新宿の大通り沿いにある、謎のインド人、通称『カルさん』が経営しているカレー専門店『リグ・マサラヴェーダ』に、同級生──もっと具体的に言うなら、友人達と共に寄り道すべく歩道を辿っていた、新宿区西新宿にある鴉乃杜學園高校三年二組所属の壇燈治は、新宿中央公園と東京都庁とを隔てる通りを、リグ・マサラヴェーダの方へ渡ろうと、信号が赤になっている横断歩道にて立ち止まり、

「あれ、あいつ…………」

己達の目的地であるカレー屋の方角からやって来て、眼前の通りの向こう側を、幾人かの連れらしい者達と共に歩いて行く、一人の青年に目を留めた。

紫色の竹刀袋らしき物を左肩に担ぎつつ、己の真後ろを歩いている、忙しなく喋りまくっている様子の青年と、怠そうな顔で、煙草か何かを銜えている風に見える青年へ、二言三言、肩越しに振り返りながら何やら話し掛けては、自身の右側を肩並べて歩く、少々ほっそりとした体躯の青年へも言葉を掛けて、四人で笑い話でもしているのか、とても朗らかな笑みを見せている男に、燈治は、見覚えがあった。

────去年。

丁度、高校の制服が冬服へと変わった頃だから、正確には、その日より遡ること、約一年と一ヶ月前。

新宿駅東口近くの、やはり交差点で、雑踏の中、一人佇んでいた彼に唐突に近寄って来て、今日日、どうしようもなく胡散臭い似非占い師でも口にしないような謎めいた科白を囁いた『不審者』、それが、その男だった。

──今は未だ信じられないだろうけれど、何時か必ず、きっと、お前にも、『運命の出逢い』があるから、腐らずに頑張れ、青少年。

…………と、もしや、何処ぞのカルトな宗教団体の勧誘か何かだろうか、とすら燈治は感じたことを、通りすがりに告げて来た、名前も正体も知らない、不審者な大人。

謎なことを言い切るや否や、彼は、用は済んだとばかりに何処へと駆け去ってしまったし、見ず知らずの胡散臭い大人の口から放たれた予言めいた囁きなどに、耳を貸すつもりなど燈治にはなかったけれど……、『通りすがりの不審者』の囁きを、結局、彼は、脳裏の片隅には留め続けた。

囁きを残して去った、男そのものも。

──約一年と一ヶ月前のあの日、袖振り合う程度の縁を齎してきた男は、燈治の目には、酷く幸せそうに見えた。

人生を謳歌しているようにも見えた。

望んだモノを全てを掴んで、望んだように、望むまま、己が人生を生きているような男なのだろうと、そう思った。

だから余計、燈治には、男の言葉は、下らなくて何の価値もないモノに感じられた。

こっちの胸の内など知りもしないくせに、綺麗なだけの、綺麗に輝くだけの希望に満ちた言葉で、腐るな、と諭された処で、素直に頷ける筈もなければ、信じられよう筈もない、と。

けれども、新宿駅東口近くの交差点に佇んでいた『あの日』より、数日が経った時。

どうしてか忘れ去れなかった男の言葉を、ふと思い出した彼は、男が、「お前『にも』」と言ったことに気が付いた。

お前『には』、でなく、お前『にも』、と。

そうして、そんな言い回しをしたと言うことは、男には『運命の出逢い』があったと言うことになるのではないか、それにも気付いて。

もしかして、あの『不審者』には、自分と同じような『過去』があるのかも知れない、と燈治は思った。

行き交う誰も彼もが幸せそうに見える、大都会の雑踏の直中で、自分にもどうしていいか判らない感情だったり、沸々と湧き上がってくるやり場の判らない何かを持て余して、一人孤独に立ち尽くすしかない『一時期』を、あの男も過ごしたことがあるのかも知れない。

その果てに、『運命の出逢い』とやらを遂げたから、あんなことを……、とも。

だから……、そう、敢えて例えるなら、一寸したお守りを拾ったような気持ちで、燈治は、男の残した言葉を脳裏の片隅に留め続けて。

「燈治。信号、変わった」

──約一年一ヶ月前に出逢って、今又、目の前を通り過ぎて行く男を視線のみで追っていた彼の肩を、共にカレー屋に向かおうとしていた友人達の一人が、ポン、と叩いた。

「あ? ああ、そうだな」

信号が変わったことにも気付かぬ程、何か珍しい物でも見掛けたのかと、きょとんと首傾げながら己の顔を覗き込んで来た友人──七代千馗と言う名の彼へ、燈治は、何でもない、と誤摩化しの笑みを浮かべた……けれども。

促されても、変わった信号を渡ろうともせず、そのまま彼は、千馗の面を見詰める。

……先月。十月の終わり。

そのような時期だと言うのに、鴉之杜学園の自分達のクラスにやって来た、転校生の彼。

一寸変わった力を持っていて、高校生がこなすには余り向きでない『任務』とやらを果たす為に、燈治は内心未だに信じ難い『組織』から派遣されて来た彼。

そんな、厄介な使命を帯びているくせに、本当に些細なことにも喜びを露にする、少々暢気な質した彼の面を、燈治は、じっと見詰め続けた。

「燈治? 信号、又、赤に変わっちゃうけど?」

「判ってるって」

「…………もしかして、俺の顔に何か付いてる?」

「いや、特別な物は何も」

「……ええと。……そんなに熱烈に見詰められても困るんだけどな」

「別に、減る物でもねェだろ」

瞬きすらせぬ風に視線をくれられ、千馗は困ったように眉根を寄せたけれど、燈治は全く以て、意に介さぬ風に。

「壇君! 千馗君! 信号変わっちゃうよ!」

「一寸、何やってんのよ、あんた達っ!」

だがそこに、彼等と共にカレー屋に寄り道しようとしていた二人の少女の声が掛かり、

「あ、うん!」

「だから、判ってるって言ってるじゃねェか」

少女達へ声高に応えた千馗の腕引っ張って、燈治は、青信号が点滅し始めた横断歩道を駆け出した。

彼等を急かす少女達の声も、応えた千馗の声も、大声に近いそれだったからだろう。

その通りの歩道を大分向こう側へと進んでいた例の男達が、ひょいと振り返った。

大人達がこちらへ気を留めたことに気付いて、燈治も、ちらりとそちらへ眼差しを流した。

……と、刹那、『あの男』と目と目が合った気がして。

目と目が合った瞬間、男が、唇の端だけを持ち上げる風に笑んだ気がして。

どういうつもりか、傍らの細身の青年の肩へと大袈裟に腕を廻した男から視線を外すその一瞬、燈治は、不敵に、可愛気のない感じで、男へと笑み返した。

────あの日、あの時の路上で、あの雑踏の中で、あんたがくれたあの言葉は、紛うことなき真実だった。

End

後書きに代えて

何年経っても終わらない(遠い目)『小説書きさんに100のお題』のNo.31「去年」を、こちらで。

『東京鬼祓師』に登場するキャラクターの一人、壇燈治の話にしてみました。

魔人&九龍コンテンツに掲載してあります、『路上』と言う話と対の話です。

あの話の中で、京一が声掛けて、胡散臭い事この上ない科白囁いた通り縋りの少年が、燈治、と言うことで。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。