Chrono Trigger

『花の咲く季節に』

最後に残った、たった一人の人、それは、姉だった。

かつては優しかった母も、ラヴォスの力に魅せられて、何時しか、その人となりを変え。

だから、彼に残された最後の人は、姉のサラ、唯一人だった。

──姉だけが、『始まり』から『終わり』まで、ずっと変わらず彼に優しかった。

彼に残された最後の人は、姉だけだったけれど。

『始まり』から『終わり』まで、彼を慈しんでくれたのは姉だけだったのだから、最初から彼には、姉しかいなかったのかも知れない。

────最初から、唯一だった人。

最後になっても、唯一だった人。

そんな姉を守れるならば、彼は、それだけで良かった。

祖国に愛はなく。力だけを求めた大人達にも、変わってしまった母にも、感慨はなく。

姉上だけを、……と。

その一念だけで彼は、時さえも駆けようとした。

彼の祖国、魔法王国ジールを喰らい尽くすに彼は邪魔だ、と悟ったのだろうラヴォスが生み出した、時のひずみに飲まれて辿り着いた、中世の世界で。

持って生まれた力の所為で、人々に『魔王』と恐れられつつも、それに甘んじ、恐れる人々を、糧とさえして。

……姉の為。

それだけを思って、歴史も、時さえも、塗り替えてしまえと。

ラヴォスを倒すことだけを、彼は。

姉さえ救うことが出来るなら、彼はそれで良かった。

誰が不幸になろうが、誰が嘆き悲しもうが、その後の歴史がどうなろうが。

関係などなかった。

そもそも、最初から彼にとっては、歴史も『時』も、皮肉な物でしかなかったから。

皮肉が皮肉を生もうと、そんなことは今更だった。

それ故に、中世で再び飲み込まれた時の歪みに本来の己の世界へと戻されても、彼が見せたのは、唯一度の苦笑のみで。

これで、ラヴォスを、と。

それだけしか、彼が感じることはなかった。

………………なのに。

最初から、そうであったように。

歴史の皮肉は皮肉を生んで、その上に、更なる皮肉のみを重ねて。

彼が、『魔王』と呼ばれていたあの時代、カエルに身を窶す呪いを掛けてやった男が、彼の前へと現れた。

時を駆けて。

その身に掛けられた呪いを解き、復讐を、果たす為に。

……けれど。

かつてはグレンと呼ばれていたその男も。

男の、仲間達も。

彼を討つことはなく。

男の呪いは解かれず、復讐が果たされることはなく。

皮肉が生んだ皮肉の上に、更に重ねられた皮肉は、又別のそれを彼へと与え、結局。

彼は、男と、男の仲間達と。

一人の少年を甦らせる為の、旅に出た。

時を駆けつつの、旅の途中。

食事をするのだと、男の仲間達の一人、マールという少女が騒ぎ始めたので、彼等は、行く足を止めた。

──彼等の旅に不可欠な、時を駆ける舟には、三名しか乗ることが出来ない。

故にその日、少年──クロノという名の少年を甦らせる為、その舟に乗り込んでいたのは、マールと、カエル──グレンと、彼の三人だった。

ガルディア王国の、王女の身分でありながら、マールは、殊の外『うるさい』。

慕っていたらしいクロノを甦らせる方法があると知ってからは、殊更に『うるさい』。

よく言えばそれは、賑やかで明るい、ということなのだろうが、魔王とさえ呼ばれ、おしとやかな質だった姉こそが、王女、と呼ばれるに相応しい人だった、と今尚思っている彼にしてみれば、マールのそれは、うるさい、以外の何物でもない。

だが、彼女のその『うるささ』は、クロノの運命も、この星の運命も背負っての旅を続ける彼等にとっては、救いの一つらしく。

「お昼食べようよ!」

……と、大声で言い始めた彼女に付き合うグレンの口調は、とても明るくて。

彼は一層、うるさい、と。

賑やかな会話を続ける二人に背を向け、少しばかり離れた場所に佇んで、空を見上げた。

──『この世界』は、『未来の世界』。

遠い遠い昔、この地に、ジールと呼ばれた王国があったなど、誰も知らない世界。

ラヴォスに食い荒らされたのちの。

空さえも、灰色に濁った。

……ジールが滅びたあの日を、思い起こさせるような。

「………………おい」

──そんな風に、遠い昔を思い出し、彼が上向いていたら、背後から、グレンの声が掛かって。

彼は振り返った。

「……何だ」

「ほらよ」

億劫そうな表情を見せた彼へ、グレンは、鬱陶しそうな表情をぶつけ、ハンカチーフで包まれた何かを放り投げる。

「……これは」

「マールから。あんたの分の、弁当だと。うるさくって一緒に食べたくないってんならそれでもいいから、食うだけは食え、だとさ」

「弁当、な。…………誰が作ったんだ?」

「さあ。マールじゃないのか」

「…………料理など出来るのか? あの娘に」

「………………さあ」

投げ付けるように渡された物を、反射で受け取って、しみじみ、彼はそれを見下ろし。

味も何も、保証は出来ないなと、グレンは肩を竦めた。

「…………何故、私に構う?」

そんな二人は、暫し、マールが拵えたらしい弁当を挟んで、沈黙に甘んじていたが。

やがて、彼から言葉が洩れた。

「少なくともマールは、一緒にラヴォスを倒す、仲間だと思ってるからなんじゃないのか」

洩れた言葉に、グレンは再び肩を竦めた。

「……貴様は? 私が憎くはないのか。何故、私を倒して呪いを解こうと思わなかった。何故、あの男の仇を……──

「…………憎い、か。……憎くないと言ったら嘘なんだろうな」

「なら、何故」

「何故、何故って。案外、あんたもうるさい男だな」

二度目に肩を竦めた時に、グレンは恐らく、話を打ち切りたかったのだろうが、彼がそれを、引き摺ったので。

苛ついたような面になったグレンは、何を思ったのか唐突に、ガッと彼の胸倉を掴み上げて、手加減もせず、拳を振り下ろした。

「そのことに、俺よりもあんたがこだわってるんなら、これでチャラだ。それでいいだろう? ……今更もう、どうしようもない。あんたを倒したって、『彼』はもう還っては来ないし、あんたを倒さないと決めたんだから、この姿のこともどうだっていい。──俺は、あんたを倒したかった。あんたは、ラヴォスを倒したかった。そして今でも、あんたはラヴォスを倒したくて、俺は今では、あんたじゃなく、ラヴォスを倒したい。…………それじゃ、駄目か」

グレンが振り上げた拳は、彼の顔の上で、ミシリと嫌な音を立て、その鼻先より、鮮血を滴らせたけれど。

殴り付けた当人は、涼しい顔で理由を告げて、掴み上げていた彼の胸倉を、するりと離した。

「何も彼も、もう遠い。だったら、出来ることをするだけだ。もう二度と、後悔しないように。────…………それ、ちゃんと食えよ。マールが喚くから」

そうしてグレンは、彼へと背を向け、マールの許へと戻り。

口許へと流れ落ちる鮮血を拭って、渋々彼は、投げ付けられたハンカチーフをの結び目を解いた。

…………と。

結び目の解かれた布地の中より出てきた物は、弁当ではなく。

料理が不得手なのか、それとも時間がなかったのか、少女にとっては、それでも昼食と成り得るのか。

桃、だった。

剥かれることもなく、木からもいだその姿のままの。

到底、昼食とは言えない、が、けれど。

祖国ジールが滅びた直後の、あの世界でも。

この、未来の世界でも。

『今』は決して、望むべくもないもの。

何時か、それぞれの世界に、こんな実りが戻ればいいのに……と、そんな思いを掻き立てる。

「…………一瞬でも、『期待』した私が馬鹿だった……」

──その、薄桃色の実を眺めて、軽い苦笑を浮かべ。

歯を立て、引くように皮を剥いで、吐き出してから。

彼はそれに、齧り付いてみた。

抵抗しながら、クチュ……と音を立てて、それでも彼に齧られた桃の実は、とても、瑞々しかった。

……ラヴォスが滅したら。

何時か、全ての世界に、花咲く季節はやってきて。

芳醇な、実りは齎されて。

全ては、晴れやかに、変わって行くのだろうか。

花の咲く季節がやってきたら。

何も彼も、もう、遠い、……と。

そう言ったグレンの科白を、自分は本当に、理解出来るだろうか。

…………齧り付いた桃の実を、こくりと飲み込みながら。

彼は、灰色の空を見上げて。

何時の日か、戻って来てくれるかも知れない、花の咲く季節の中に、唯一の人の姿も又……と、そんなことを思った。

End

後書きに代えて

大分以前(2005年夏)に、某サイトさんの絵茶に参加させて頂いた時に喰らった(笑)、お題に従って書いた話です。

『桃、鼻血、早弁、クチュ(←擬音)』をキーワードに、クロノトリガーの、魔王とカエルの小説を、ってのが喰らったお題。

Not CP(渾身の主張/笑)。

尚、お題の中の、早弁ってのはクリアしてないんですが、それはご容赦って奴で。クロノで早弁はね(笑)。

2008.11.20に、DSに移植され、クロノトリガーが再販されたので、人様に差し上げた物ですが、記念にupしてみました。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。