後書きに代えて

如何でしたでしょうか。『ROTO』、お楽しみ頂けましたらなら幸いです。

尚、この場をお借りして、先にお詫びを。

この作品に関しては、お読み頂く方にとって、少し厄介な書き方をした自覚があります。

ほぼ全編に渡って、主人公のアレンの視点でしか書かれていない、と言う所為でもあるのですが、例えば、ハーゴンと対峙した際に、アレンが翳した手鏡に映ったものは何だったのか、と言うようなことを、敢えて明らかにしてありません。

要するに、この作品は、これ単体だけでは判明しないことが存在しており、後日UPする予定の、『冒険の書』と言うタイトルの作品達──アレク編、アレフ編、アレン編、全て引っ括めないと本当には完結しない、と言う形になっています。

……申し訳ない。

閑話休題。

以前にも、当サイト内の複数箇所で書かせて頂いたことですが、未だ私が子供だった頃に、ENIX──現在のSQUARE ENIX社より発売された、ファミリーコンピュータ初の──私含め、当時の殆どの子供達にとって、初めて出会ったロールプレイングゲームである『ドラゴンクエスト』と言うシリーズは、少なくとも私には、ロト三部作に限らず、お伽噺と似たような物です。

本当に楽しかった憶えがあります。毎晩の楽しみだった。

強引とも言える展開も、エンディングまでの大凡の筋書きが読めてしまうような鉄板王道ストーリー(笑)も、ドラクエだから、で全て受け入れられる。

ドラクエは、こうでないとね! とすら思うし、ドラクエだけは、このまま路線を変えずにいて欲しいと、いい歳になった今でも切に願うくらい。

──それ故にか、子供の頃の想い出や想い出補正が強過ぎるからか、個人的にドラクエシリーズには、私は、様々な意味で、余り生々しさと言う物を求められません(あくまでも、己がドラクエの二次創作作品を書く側に立った場合の話ですが。拝見する&拝読する分には、All OK、無問題。どんな傾向でもドンと来いモード。NLもBLも美味しく頂けます)。

それでも、思うことはあるのです。

誰も、何処にも突っ込んじゃならん、が大前提のお約束として存在するようなRPGであっても、王道中の王道を行く英雄譚であっても。

ロト三部作は、呪いの話なんだろう、と。

DQ3主人公である勇者ロトから、DQ1主人公であるロトの勇者を経て、DQ2主人公であるロトの末裔達に至るまでの数百年に亘り、あの世界の神々や精霊ルビスより、『本来なら絶対に人には倒せぬ存在である筈の大魔王や竜王や破壊神を、それでも倒さなくてはならない』と言う、運命や宿命と言う名の呪いを受けた、ロト一族の物語なのだろうと。

大魔王や竜王や破壊神と言う存在は、本来、人の身には倒せぬ筈のものです。

だからこそ、英雄譚は英雄譚として、勇者は勇者として、お伽噺はお伽話として成り立つのです。

勇者となった者達が、冒険の旅を経て、愛や勇気や想いで以て、人には倒せぬ筈のモノに打ち勝ってこそ。

伝説の勇者を始祖とする一族が、そのような存在に立ち向かって勝利を収め、世界に平和を齎す、と言う筋書きは、素晴らしい浪漫であり夢であるとも、個人的には思います。

ですが、勇者の子だから、勇者の血を引くから、勇者の末裔だから、絶対の魔であり悪である、人には倒せぬ筈の存在を倒す、と言う運命や宿命を得るのは、呪いみたいなもんだな、とも思うのです。

人には倒せぬ筈のモノを、それでも人として倒す、と言うのは、人でありながら、人であることを捨て、人以外のモノになる、と言うことです。

そして、それを勇者と呼ぶのです。人々も、神も精霊も。

勇者と言う存在は、人でありながら人以外のモノとなり、されど、人で在らなければなりません。絶対に。

でなければ、勇者伝説は勇者伝説として成立し得ない。

…………それは、勇者となった者達にとって、幸せなことでしょうか、それとも不幸なことでしょうか。彼等の運命は、神よりの祝福でしょうか、それとも呪いでしょうか。

────これはもう、二律背反のようなもので。

だからこそ、と言うか、それでも、と言うか、故に、私はドラクエの中でもロトシリーズが好きで、この話を書こうと思いました。

──皆様。

最後まで、お付き合い、どうも有り難う。

宜しければ、ご感想等、お待ちしております。

2013.11.11 自室にて

海野 懐奈 拝