この約半月、国王が突然、しかも原因も能く判らない病に倒れてしまったローレシア王城は、甚く沈んでいた。

箝口令は敷かれていたが、アレンが病床に伏したとの噂が広まりつつあった王都も、息が詰まるような雰囲気に包まれていた。

だが、彼の命が繋ぎ止められたことは、あっと言う間に王城内全てに伝わり、伝説や伝承に名高い世界樹の葉が、国王陛下のお命を救って下さった、と人々は喜んで、ローレシア城は、僅か数刻で半月前の華やかさや明るさを取り戻した。

明日、遅くとも明後日には、王都も賑やかさを取り戻すだろうと、城内の誰も彼も、嬉しそうに噂した。

侍医達が容態を改め終えたアレンの傍に再び添った、彼の家族や親友殿も、すっかり肩の力を抜いてはいたが、霊薬に救われ、生気を取り戻したとは言っても、つい先程まで生死の境を彷徨っていた彼から目を離す気は無く、彼の無事を今以上に実感する為にも付き添っていたく、「とても体が軽く感じるし、腹も減ってきた。序でに寝た切りだった体を綺麗にしたい」と言い出したアレンを嗜めたり宥めたり、世話を焼いたりして、長らく、彼の寝所に居座った。

安静にして休めと周囲が促しても、アレンが平気だと言い張ったので、アーサーも、サマルトリアに帰るのは明日以降にすると決め込み、彼とアレン達親子の六名は、長らく話し込んだ。

他愛無い話を幾つもして、アーサー達三人が世界樹の葉を採りに行った際の出来事も披露されたりして、この半月、王城では絶えていた笑い声も上がった。

けれども、夜が深まり始めた頃、流石にアレンを休ませなければと、子供達は各々の自室に戻され、侍医達も一先ずは去り、王の寝所には、主と妻と親友だけが残った。

「アーサー。ローザ。心配ばかり掛けて、すまなかった。本当に有り難う」

その刹那も、アレンの手には例の手鏡が握られており、アーサーとローザは、つい、小さなそれを睨む風にしてしまったけれど、三人きりになった途端、彼が改まった声を出した為、二人の気は手鏡から逸れる。

「いいえ。アレンが助かったので、僕は、それだけでいいです」

「私もよ。貴方が無事だった、それだけでいいの。他のことなんて、もう、どうでもいいの」

「……有り難う」

「でも、アレン。暫くは大人しくしていて下さいね。君が倒れてしまったのは、働き過ぎの所為かも知れないんです。僕は、こんなのは二度と御免ですからね」

「……ねえ、アレン。アベルは十九の半ばになったし、アデルだって、もう直ぐ十八よ。貴方はアベルに、私はアデルに、少しずつでもローレシアやムーンブルクを任せる支度を始めましょう? 私だって、もうこんな騒ぎは二度と御免だわ。だから、貴方には、休むことを覚えて欲しいの」

「…………うん。何時の間にか、アベルもアデルも、大人になったらしいから。僕も、少し考えを改めることにするよ。流石に懲りた。早過ぎる気はするけれど、隠居の支度を始めてもいい頃なのかも知れない」

自身の枕辺を占め直したアーサーとローザから、説教めいたことを言われたアレンは、苦笑を浮かべ、そろそろ隠居しようかな、と笑った。

「そうして頂戴。この半月、アベルだってアデルだって、貴方や私の名代を、立派に務められたのだから」

「そうなのか。なら良かった。益々、安心して隠居出来る。…………なあ。それはそうと。アーサー。ローザ」

「何です?」

「何?」

「人払いして。あの頃みたいに、三人で一緒に寝ないか?」

浮かべた笑みを一層深め、アレンは急に、そんなことを言い出す。

「え、でも……。一人でゆっくり休んだ方がいいと思いますよ?」

「アレン? どうしたの、いきなり」

「今夜なら、一晩中アーサーやローザがここに籠っても、誰も何も思わないだろうから。昔のように眠りたい、と思っただけ。こんな機会、早々無いだろう?」

「それはそうだけれど……」

「最初は何事かと思ったし、どうして、アーサーもローザも何も気にしないのかと、内心では焦りっ放しだったけど。何時の間にか二人に毒されて、たまに独り寝をすると、寂しいし落ち着かない、なんて感じてしまう程だったんだ、あの頃は。……今でも、そう思うことがある。あの旅をしていた頃のまま、三人で、二人の枕にされながら、眠りたい、と。──朝までで無くていい。暫くの間だけでもいいから。……駄目かな」

「それは……。…………そう、ですね。……うん、じゃあ、昔みたいにして寝ましょうか」

「全くもう、アーサーまで。もしも誰かに知られたら、大騒ぎよ。……でも、そうね。悪くないわ」

急に、彼は何を、とアーサーとローザは目を瞬いたが、アレンの申し出は、二人にとっても甚く魅力的で、彼等は誘惑に負けた。

「夜着に着替えて、と言う訳にはいきませんから、えーと──

「敷布も毛布も、少し前に侍従達が取り替えてくれたから……──

なので、とっとと人払いをして、朝まで陛下の寝所には誰も近付かぬように、と仕えの者達に言い含めてから、アーサーとローザは、ぱたぱたと三人揃っての寝支度を手ずから整え始め、ぼー……っとアレンが見守っていた間に、さっさと終えた。

「二人共、流石だなあ……。若い頃に身に沁み付けたことは、忘れないのものなんだな」

「アレンだって、その気になれば、これくらい容易いでしょうが」

「……それは、まあ」

「さあ、休みましょう。もう一度、こんな風に三人で眠れるなんて思ってもみなかったから、早く横になりたいわ」

「本当ですよねぇ。旅の最後の晩以来ですもんね。……でも、今の女官長も怖い方ですから、バレたら後が……」

「何をどうしても、強者揃いになるんだ、うちの女官達」

「二十年以上、王妃をしている私が言うのも何だけど、昔、アーサーが能く言っていたみたいに、『武』の国は女官まで怖いわ……」

三人で眠れるように整え直した寝台に、昔通り横たわって、灯りも落とし、アーサーとローザはアレンの腕を枕にしながら、アレンは二人の枕にされながら、彼等は、潜めた声で語り合う。

「でも、その女官まで怖い『武』の国の奥向きを取り仕切っているのは、ローザですよね」

「……だから何よ、アーサー」

「いえ、別に。他意はありません」

「あはは。…………ああ、もう。何だろう。本当に懐かしくて、どうしたらいいか判らなくなる」

「…………私もよ、アレン」

「僕もです」

「あの頃に戻れたらいい、とは言わないけれど。又、あの頃みたいな毎日が送れたら、楽しいのだろうな、とは思うかな。苦労もあったし、貧乏性全開だったけどな」

「メタルスライムや、はぐれメタルを狩るのに心血注ぎましたもんね」

「あの魔物達が、硬貨にしか見えなかった時期もあったわよねぇ」

忍び笑いを織り交ぜながら、三人は、ひそひそこそこそ、若かったあの頃のように語り続け。

「……あ。こんな話をしていたら、竜王の曾孫の顔を思い出した。そう言えば結局、あいつを一度も殴ってない」

「…………アレン。未だ、昔のこと根に持ってたんですね」

「だって、あいつだから」

「私も、今でも彼はいけ好かないけれど……、元気にしているのかしら、彼」

「さあ? でも、元気……の筈だ」

三人の思い出語りは、何時までも尽きないかと思われたが……、この半月で溜めてしまった疲れが出たのだろう、アーサーもローザも、襲い来た睡魔に何時しか負けて、話半ばで瞼を閉ざし、アレンに寄り添いつつ眠りに落ちた。

彼等の眠りが深まっても、一人起き続けていたアレンは、アーサーとローザの様子をそれぞれ窺うと。

そうっと、枕にされていた両腕を取り返し、息を殺して起き上がった。

眠る際、一度は自身の枕下に収めた、あの手鏡を持って。