扉は無かった内壁の入り口の向こう側は、聖堂だった。

邪教の聖堂。

アレン達にしてみれば、穢れを形にしたような、としか例えられない装飾が施され、篝火や燭台が幾つも灯されていた。

入り口の正面最奥には、揺れる灯りに照らされる、邪教の印を掲げた祭壇があり、幾何学模様で縁取られた神官服に身を包んだモノが、恭しく額突きながら祈りを捧げていた。

神官服のモノ──ハーゴンだろうモノは、入り口に背を向けそうしていたから顔立ちは判らなかったが、沼の色に近い青色の肌と、蝙蝠の羽のような形をした大きな耳を持っているのは判り、毛の無い真っ黒な頭部は蛇の如くに見えた。

……それらは全て、ハーゴンは少なくとも人では無い、と物語っており、魔物の軍勢も従える邪神教団大神官は、やはり自身も魔物だったのだ、と三人は思わず胸を撫で下ろす。

縦しんば、ハーゴンが人だったとしても、今更倒すことを躊躇ったりはしないが、己達と同じ人である者に、人の栄えるこの世の破滅を望まれるよりも、魔族にそうと望まれる方が、納得は出来たし気持ちも楽だった。

だから、本当に、後はもう……、と三人はアレンを先頭に真っ直ぐ祭壇へと進み、

「誰じゃ? 私の祈りを邪魔する者は。愚か者め、私を大神官ハーゴンと知っての行いか?」

近付く彼等の気配に気付いたのだろうハーゴンは、傍らの床に置いておいた長い杖を取り上げつつ立ち上がる。

「……勿論だ」

──おやおや……。これはこれは。愚か者は愚か者でも、ロトの末裔共だったか。…………ようこそ、我等が神の神殿へ。改めて名乗ろう、私は偉大なる神の遣い、大神官ハーゴン」

「その言い草からも、今までのことからも、貴様が僕達のことを能く知っているのは判っている。名乗られたからと、名乗り返すつもりは無い。固より、貴様などに自ら聞かせてやる名など無い」

立ち上がり振り返った、顔の造作だけはやけに人間臭い、体格も余り人と変わらぬハーゴンを、アレンは見据えた。

「ほう……。一族全て魔力無しの、ローレシアの王太子殿下にしては口が達者だ。剣を振り回すしか能が無いと思っていた」

「…………ハーゴン。貴様を倒す前に、一つだけ訊きたい。何故、僕達を、この場に誘き寄せるような真似をした?」

「それを、わざわざ愚か者共相手に教え諭してやる必要は無かろう。唯一つだけ言えるのは、ここが、お前達の死に場所になり、この神殿が、お前達の墓場になる、と言うことだけだ」

「結局は、それが貴様の望みか? 貴様自らの手で僕達を殺し、邪神に捧げる贄としたいだけか?」

が、祭壇を背にして振り返った時から浮かべていた不敵な笑みをハーゴンは湛え続け、ふと、或る試しをしてみたくなったアレンは、何をどう問い詰めたとて、自身の企みを吐くことは無かろうハーゴンとのやり取りを敢えて引き延ばしつつ、盾で隠した腰の鞄から、そっと手鏡を取り出す。

魔族には違いない、されど己達の識る如何なる魔物にも似ていないハーゴンを、真実を映すラーの鏡の破片で捉えれば、何かが浮かび上がるかも知れない。

思惑通り某かが浮かべば、それは、真実──ハーゴンの正体、と言うことになる。

果たして、ハーゴンに正体なぞがあるかは謎だし、然程期待も出来ぬけれど、試してみても悪くない、と。

その為、彼はジリジリと数歩分後退し、素早く左腕を捻り、盾の影で握り締めた手鏡でハーゴンの姿を捉えた。

────その時、アレンが何をしたのか判った者はいなかった。

アーサーとローザからは、大きなロトの盾に遮られて、手鏡は固より、彼の左腕自体が見えなかったし、ハーゴンも、ローレシアの王子は何を思ってか腕を振り回した、としか見なかった。

「え?」

小さな鏡面に目を走らせたアレンだけが、映ったものに思わずの呟きを洩らし、

「何の真似だ? 愚か者が、この私を愚弄する気か!? ならば許せぬ!」

尖端に大きな宝珠が据えられている長い杖を、ハーゴンは操り始める。

「アレン!?」

「話は後だ! 今は、ハーゴンを倒す!!」

「ええ! ──精霊よ、ルカナン!」

「は、はい! ──光の剣よ!」

そこで、戦いの火蓋は切って落とされ、ローザはルカナンを、アーサーは光の剣でマヌーサを、それぞれ使役しようとした。

「……! ルカナンが効かないわ!」

「マヌーサもです!!」

「一応は、大神官の肩書き────。…………えっ!?」

だが、ルカナンの光もマヌーサの霧も、ハーゴンは杖の一振りで打ち消してみせ、駄目か……、と剣の柄を握ったアレンも、顔色を変える。

「どうしたんですっ!?」

「ロトの剣が抜けない! 今なって、どうしてっ!?」

あの幻を抜け、幻とも現実とも違う不可思議な世界で先祖達との対面を彼が果たして以降、伝承で語り継がれている以上の力を発揮し続けてみせたのに、この段になって、伝説の剣は鞘より抜かれることを拒否した。

アレンが、渾身の力で押しても引いても、びくともしなかった。

「何で…………。──……稲妻の剣っ!」

何故、ロトの剣が言うことを聞かなくなったのか、皆目見当も付かなかったが、抜けぬ以上はと、見切りを付けた彼は、稲妻の剣を構える。

握り締めたそれを振り被り、雷撃を招きつつハーゴンへと打ち掛かれば、

「イオナズン!!」

雷には雷を、とハーゴンはイオナズンを使役した。

「お返しよ! ────雷の精霊、風の精霊。……イオナズン!!」

「精霊よ、スクルト!」

閃光と爆風を浴びながらも、ローザもイオナズンを詠唱し、マヌーサを諦めたアーサーは、スクルトを唱えた。

「貴様だけは許さない! 絶対に倒す、倒してみせるっっ!!」

「ならば、やってみせるがいい。お前達に出来るものならな!」

「もう一度です! スクルト!」

「アレン! ──精霊よ、ベホマ!」

精霊の守護の加勢を受け、アレンは再びハーゴンに斬り掛かり、翻り続ける稲妻の剣にハーゴンは杖を操り挑み返し、アーサーもローザも、間を置かずに魔術を生み続け、

「ベホイミ!」

「………………っ。…………要は。要は、僕の力がハーゴンを上回ればいいんですよね! ────精霊達よ、マホトーンっっ!!」

稲妻の剣の猛攻に押され始めたハーゴンが、顔を顰めつつベホイミを唱えたのを見て、胸の中で愛する神や精霊達への祈りを捧げながら、アーサーはマホトーンを唱えた。

沈黙の呪文とも、封魔の呪文とも例えられるマホトーンが成れば、ハーゴンは、如何なる術も使えなくなる、と。

成って下さい! と必死の形相で。

「効いた! アーサー、マホトーンが効いたわ!」

「はい! ……アレンっ!」

「ああっ!! 今の内だ!」

彼の必死の祈りと共にのマホトーンは、成った。

それを見て取り、これでもう、ハーゴンは杖を得物に打ち掛かってくる以外に手は無い筈と、アレンは尚、前へと進み出る。

…………と、カァっ! と大口を開いたハーゴンは、息を吐き出した。

吐かれたのは、火炎の息でも凍える息でも無く、敵に眠りを齎す、甘いそれだった。