その魔物は、先程戦ったばかりのアトラスと比べると、小さい、と言えてしまう体躯をしていた。

いや、アトラスでなくデビルロードと比べても、小柄、と言えるかも知れぬ程だった。

けれど、迸らせている禍々しさは、アトラスの比ではなく。

『我が名はバズズ。伝説の勇者ロトの末裔とは、貴様等か』

唇の両端を吊り上げ、涎を垂らし、黄色味掛かった鋭い牙を剥き出しにしつつ、ニィ……、と不気味に嗤った魔物は、バズズ、と自ら名乗った。

世界に災いを齎す風を司る、魔王の名を。

「災いの魔王か」

「どう見ても、デビルロードやシルバーデビルの同族ですね。ザラキやメガンテを使うかも知れません。……が、魔王と言われている奴に、マホトーンが効くかどうか……」

「獣に似た姿の魔物は、ラリホーが能く効くわ。悪魔達だって例外じゃない」

ロンダルキアの祠の守人は、バズズとはそういう存在と言っていたなと、その名よりアレンが呟けば、彼には届く程度の小声で、アーサーとローザは早口で囁き、

「……判った。なら、ローザはラリホーを。アーサーは光の剣でマヌーサを。今は、マホトーンのことは忘れよう。ザラキやメガンテを使役するかも知れないなら、時間を掛けずに仕留めなくては」

三人の喉笛に喰らい付き、その肉を貪り喰らいたそうな顔になったバズズから、目を逸らさずに囁き返したアレンは駆け出した。

「はい!」

「判ったわ! ──ラリホー!」

それを合図とした風に、アーサーはマヌーサの霧を生み、ローザはラリホーを唱え、未だに牙を剥き出しにしたままニタニタ嗤い続けるバズズの胴体目掛け、アレンは、抜刀と同時に剣先を左斜め下段から右斜め上段へと走らせる。

『ベギラマ!』

しかし、光の剣が招いた幻惑の霧に包まれるよりも、睡眠魔法に陥るよりも早く、バズズはベギラマの炎をぶつけてきた。

「くうっ」

「アレン! ──スクルト!」

「ラリホーが効いたわ! ──ルカナン!」

「大丈夫、判ってる!」

迫り来る炎の赤を目に映した彼が、咄嗟に逆方向へとロトの剣を振り抜けば、剣圧で多少ではあったがベギラマの威力は削がれ、そのお陰もあってか、炎より逃れられたアーサーとローザは相次いで魔術の光を生んで、完全な眠りにこそ落ちなかったものの、バズズがゆらりと身を傾がせたのを見て取ったアレンは、再び剣を繰り出した。

「ローザ、アレンを! ──アレン!」

「ええ! ──精霊よ、ベホマ!」

『ベ…………ベホ──

──貴様には唱えさせないっ。ベホマも、ザラキもメガンテもだ!」

体躯だけは小柄な災いの魔王の胴を幾度も斬り付ける彼の加勢をすべく、アーサーも隼の剣を抜き去りバズズへと突っ込み、ローザがベホマを唱えた直後、バズズも又、襲い来ているのだろうラリホーの眠りと戦いつつもベホマを唱えようとして、アレンは、詠唱を紡ぐ為に開かれた魔王の口を突いた。

『ア、アガ……』

「アーサー、止めを!」

「はいっっ!!」

詠唱半ばで口腔を貫かれ、ジタバタと藻掻くバズズに突き立てた剣をアレンは尚も押し込み、アーサーの隼の剣がビクビクと波打つ首筋を深く掻いて。

『イ……イヒヒヒヒヒ…………』

二振りの剣が引かれた時、自らの絶命の瞬間が近付いていると悟っても、バズズは何故か、高く嗤った。

自身の血に塗れた口をパカリと大きく開き、出現した直後と同じく、鋭い牙を剥き出しにして、異臭を放つ涎をボタボタと滴らせながら。

命費える瞬間まで、アレン達を喰らうこと諦めていない風に。

然もなくば、何かを甚く愉快に感じているらしい風に。

…………そうして、世界に災いを齎すと言い伝わる魔王も、アトラスのように徐々に姿霞ませ、辺りに溶け、やがては消えた。

「思ったよりも楽だった……けれど」

「ええ。想像とは違って、労せずに済んだけれど……」

「少し、こう……もやっとする感じがしますよね。拍子抜けだったからかな……」

アレンがベギラマを一発喰らっただけで、残り二人に至っては手傷さえ負わず、本当にあっさり勝利を収められたのに、少年達が剣を納めて後も、三人は、何処か釈然としない顔になる。

──未だ、それなり、としか言えぬやもだが、確かに自分達は或る程度以上強くなったし、マヌーサやラリホーが上手く作用してくれたのもあったのだろう。

苦心して造り上げた魔法具も、存外の働きをしてくれたのかも知れない。

だから、災いを齎す魔王にもすんなり勝てたことは、余り気にならない。

これまでの戦いの勝利も、この戦いの勝利も、自分達の力で以て得たのに違いはない。

だが、どうしても訝しみは残った。

何故、召喚され降り立った、この世界での今際の際、バズズはああも愉快そうに嗤ったのか。

「もう随分前に、少なくともハーゴンを倒すまでは、何も彼も、気にするのも思い煩うのも考えるのも止めよう、と決めたんだが……。気になる……」

「気にするな、と言う方が無理ですよ、アレン」

「私は、気になる……と言うよりは、気味が悪い、の方が強いかしら……」

「うん。気味が悪くもあるかな。……まあ、でもそれも、相手が魔王とすら言われている魔物だったからかも」

「それに……。……うん。それに、メガンテやベホマを唱えさせずに済んだお陰で、バズズは、アトラスよりは手応え無かったのも確かですもんね」

「そうね。私達、本当に拍子抜けしてしまっただけなのかも知れないわ。……それよりも。終わったことは忘れて、次を考えましょう。──アトラス、バズズと倒せたから、次はベリアルよね」

けれども、三人はやはり、今は悩むのを止めた。

思い巡らせた処で、どうしようもないから。

「最も穢れた魂を持つ悪魔、だったな」

「はい。種族の系統から言って、アークデーモン達の親玉みたいな奴だと思うんですよね。イオナズンは使うと見ていいでしょうし、炎の息も吐くでしょうね」

「後は、治癒魔法を使うかどうかね」

「となると……、定石通りにいくしかないかな。マホトーンはアークデーモンにも弾き返されたから、スクルトとルカナンを多用して、効きそうだったら、マヌーサを掛けて」

「うーん……。……ですね、それが良さそうです」

「私も賛成。その線でいきましょう。治癒魔法は、使えないか、使わないかを祈るしかないわ」

その代わり、残り一匹となった邪神の僕──ベリアルを、どのように討ち取るかに考えを傾けた彼等は、「あ、定番の方法でやるしかない」と言い合いつつ、六階へ昇った。

五階と六階を繋ぐ階段を昇ったら、今までと同じ石壁に囲まれた、狭い場所に出た。

東側にのみ出入り口が開いていて、その先には、右の塔に続く、宙を行く通路が伸びていた。

甚く強い風が吹き抜ける通路を辿り、右の塔へ戻る以外の道は無く、そこの中程から既に、左の塔の六階部分と対の形をした、石壁に囲まれた狭い場所に設えられた階段が見えた。

「ベリアルの召喚魔方陣は、やっぱり、あの階段の手前かな」

「はい。そこです。魔法具も、もう使えるように持ってますよ」

「ええ。構えてるわよ」

「…………さっきから、ずっと疑問だったんだが。どうして二人共、宝珠をぶん投げるんだ……? 投げなきゃ駄目なのか?」

故に、直ぐにも戦いになる、と三人は身構え。