「あの……。アーサー? ローザ? ええと……」

急変した二人の態度から、戯れ事にしかならないその場の思い付きにしても、自分は余程おかしなことを言ってしまったのだろうかと、アレンは心底焦ったが、

「そうね。その方が、話は早いかも知れない。魔術の使役対象を、生き物から生き物以外へ移すよりも、遥かに楽だわ」

「ええ。僕達は、目的──邪神の僕達を召喚した魔方陣を無効化しつつ、その場を聖なる力で抑え込む為にはどうしたらいいのか、と言うのを、少し難しく捉え過ぎていたんでしょう。……そうですよね。複合魔法、なんて難易度の高過ぎる術を開発しようとしなくても良かったんです。目的さえ達成出来れば、それでいいんですから。だから……。────ローザ」

「始めましょう、アーサー。上手くすれば、今日、明日中に何とかなるわ」

意表な所から手掛かりが勝手に転がり込んで来た! と俄然盛り上がったローザとアーサーは、アレンでは片付け切れなかった、故に未だに床の上に散らばっていた白紙の束を手繰り寄せ、猛烈な勢いで、思い思い、何やらを書き殴り始めた。

「……あーーー…………。うーんと。……うん。湯浴みと、夕飯の支度に行って来る」

だから、笑いの一つも提供出来れば、とだけ考えて口にしてみたいい加減な思い付きが、それでも二人の役に立ったと言うなら僥倖だけれども、或る種の殺気まで迸らせ始めたアーサーとローザの傍にいるのは、今は一寸……、と及び腰になったアレンは、殺気とも熱気とも付かぬもので満たされていくその部屋より腰を上げる為の口実を、敢えて声高に言いながら、そそくさと逃げ出した。

少し懲りたから、もう徹夜はしないようにする、と言った舌の根も乾かぬ内に、その夜も、アーサーとローザは夜明け近くまで喚き合っていた。

半ば尻尾を巻いて部屋より退散したアレンが整えた夕食には手を出したし、湯浴みもしたものの、とっぷりと夜が更けても、「もう少しで何とかー!!」と、延々。

喚く──と言うよりは呻く二人の手助けが、少しでも出来れば、との気持ちは相変わらずあったけれども、アレンには門外漢以前の専門用語と呻きばかりを洩らす彼等が相手では、意味不明な相槌と、至極適当な頷きしか返すことが出来ず、あっと言う間に助成を諦めた彼は、程々に、とだけ言い残してから寝床に転がって、そうしている内に子守唄に聞こえてきたアーサーとローザの声に耳傾けつつ眠りに落ちて。

────さて、翌朝。

又、アーサーとローザは幽鬼の如くななりでふらふらしているだろうか、と思いながら起き出したアレンの目に映ったのは、部屋の中央辺りの床で、見事に行き倒れている二人の姿だった。

紙とペンを握り締めたまま、薄い絨毯だけが敷かれた床の上に突っ伏して眠る彼等に、「懲りずに根を詰めたのか……」と呆れた彼は、一寸やそっとでは目覚めそうもない二人を順に抱き上げ、這い出てきたばかりの寝床に転がし、毛布を掛けてやってから、自分は何時もの支度を整え、慣れた足取りで部屋を出た。

但。

その日のアレンは、アーサーがルーラを自在に使役出来るようになっても、念の為、と最低一つは荷物袋に突っ込み続けてきたキメラの翼を携えており、雪原へは出掛けず、祭壇の間にて祈りを捧げていた守人の彼にキメラの翼の為の契約印を結んで貰うと、同じく祈りを捧げていた尼僧とも話を付け、ロンダルキア南の祠とベラヌールを繋いでいる旅の扉と混ざってしまっている、壊れ掛けで一方通行の旅の扉を躊躇わずに踏んだ。

…………そう、眠り続けるアーサーとローザを残してアレンが向かった先は、水の都。

昨夜、彼にとっては子守唄だった彼等のやり取りに欠伸を噛み殺しつつ耳傾けていた最中、目的の魔法具を造る為の媒体が足りない、と言う風なことを小耳に挟んだので、だったら、自分がベラヌールまで行って必要な物を調達して来よう、と考えたから。

半分寝ながら聞き齧った話では、武器屋や道具屋に並んでいる魔法具──魔導士の杖、隼の剣、光の剣、力の盾、これらの何れかなら流用出来る筈だ、とのことだったので、ロンダルキア北の祠に着いてからその日までに狩った魔物達より半ば条件反射で素材集めをしてしまった、己達の身に沁み着いた『貧乏性』に感謝しつつ、彼は収穫物の換金を終えると、武器屋の入り口を潜った。

けれど、どの魔法具がその手の細工に最も適しているかはアレンには判らなかったから、購入後、自身で何らかの手を加えるとしたら、どれが一番扱い易いかと、怪訝そうな顔になって「妙なことを言い出す客だ」と言わんばかりの視線を寄越した武器屋の主を騙し騙し相談し、『懐具合』も検討して、魔導士の杖を二つ手に入れると、彼は武器屋を後にする。

…………不思議なもので、夕べまでは、もう一度竜王城へ行ってみるか? と言い出したアーサーに否と告げた時同様、ルーラを使えば簡単に行き来出来ると判っても、『下』へ戻るのは……、と感じていて、必要な物を調達する為とは言え、実際、その『下』へやって来たのに、別段、アレンの心は揺らがず、気構えも変わらず。

「僕は案外、現金な性格なのかなあ……」

少しばかり拍子抜けした彼は、小さく呟きながらベラヌールの市門目指して行き始めたけれど。丁度、午を少しばかり過ぎた頃だったからだろう、彼は急に空腹を覚え、通りの途中で立ち止まった。

食事を摂ってから祠に戻ろうかと悩み、チラリと周囲に目を走らせたら、以前、待ち惚けを喰らわせてしまったローザにねだられ、彼女の甘味堪能に付き合った店が目に入り、「もしかしたら、一寸した持ち帰り用の菓子が買えるかも知れない」と思い付いた彼は、手土産を求める序でに、昼食もそこで済ませてしまおうと決めた。

────立ち入った店内は、仕事の合間を縫って昼餉を摂ろうとする人々で溢れていて、空いていたのは、窓際の、長身な彼が身を置くには少々窮屈な感すらある一席のみだったが、空腹を満たせればそれで良かったアレンは案内されたその小さな席を占め、女中に幾つか見繕って貰った手土産用の菓子と共に運ばれてきた食事を黙々と腹の中に収めてから、窓辺より窺える街往く者達に目を走らせつつ、温くなり始めた紅茶を一口飲んで溜息を吐く。

以前、同じこの店で、アーサーとローザと共に似たような食事と紅茶を摂った時は、美味しい、と素直に思えたのに、何故か今日は間違っても美味いと言えず、料理人が変わったのかな、と悩みながら、んーー……? と盛大に首傾げた彼は、

「……あ、成程。重症、ってことか」

やがて、口付けるのを止めた茶器を手にしたまま、ぽつりと独り言を零した。

一人きりの食事などをしているから不味く感じたのだ、と。

三人旅が始まってから今日まで、一人での食事なんて初めてだったから、とも。

彼の父も母も、極力、食事は家族揃って、と努めてはくれたけれども、父は国王として、母は王妃として、常に国務に忙殺されており、王太子のアレン自身も忙しない日々で、祖国の王城で過ごしていた頃は、幾人もの侍従や女官に付き添われていても、実際は会話を交わす相手もいない食事時とて、決して珍しくはなかった。

だと言うのに、何時しか自分は、アーサーやローザと賑やかに過ごす楽しい食事、と言う『甚く贅沢なこと』を、贅沢とも思わなくなってしまっていた処か、一人きりの食事は詰まらないし美味しくもない、と感ずるまでの、逆の意味での贅沢に浸り切っていて、それは即ち、『重症』と言うことだ、と自分自身に苦笑した彼は、手の中の茶器を受け皿に戻し、静かに席を立つ。

「…………帰ろう。アーサーとローザが待ってる」

魔導士の杖を二本も押し込めた所為で口が閉まらなくなってしまった荷物袋を持って、手土産の菓子を詰めて貰った箱を持って。

もしかしたら、今頃は既に目覚めて、姿の見えぬ己に憤っているかも知れない二人の許に帰ろう、と店を出たアレンは、水の都の門を潜り、懐から取り出したキメラの翼を高く放り投げた。

宙を舞った、白い翼が目に眩しい魔法具は、瞬く間に風を呼び起こし、あ、と言う間もなくロンダルキア北の祠前に彼を運んだ。

肩の荷物を担ぎ直してから祠の扉を押し開け、地下の部屋へ戻ったアレンが目にしたのは、未だにそれぞれの毛布に包まり、微睡んでいる風なアーサーとローザの姿だった。

「アーサー。ローザ。──お土産。甘い物。食べたかったら起きる」

だから、何となく、良かった……、との気分になって、自然と笑みを零したアレンは、暖炉前の寝床に寄って枕元にしゃがみ込み、二人の鼻先に菓子の包みをぶら下げながら、小声でそうっと囁く。

「……お土産、ですか……?」

「甘い物って、何……?」

途端、誘惑の囁きを受けたアーサーもローザも、んー……、と小さく身動ぎつつ、重そうな瞼を開いた。