そんな出来事の翌日。

アレン達三人は、村の最も北側にある礼拝堂を訪れた。

勇者アレフがタシスンと言う男の先祖に託した金の鍵を、アレンへと『戻した』尼僧のいる、あの礼拝堂へ。

あの時は、何が何やら判らぬままに、魔法具である金の鍵を押し付けられたようにしか感じられなかったが、帰還したローレシアにて父王より事情を打ち明けられた今は、あの成り行きにも納得がいっているので、改めて、あの尼僧に礼を告げたい、とアレンが言い出したから。

尤も、それだけが理由ではなかったけれど。

余り根拠はないが、初邂逅の折の言い回しが激しく謎めいていたあの尼僧は、ひょっとしたら、自分達は固よりローレシア王も報らされていない何かを知っていはしないか、と思えてならなく、その想像が外れだったとしても、少なくとも、この小さな漁師村には不釣り合いなまでに立派な、しかもロトの紋章を掲げる、どうにも精霊の為の物とは思えない礼拝堂の由緒くらいは語ってくれるだろうと、彼も、アーサーもローザも期待したのだ。

不可思議な礼拝堂の謂れを知れば、又、自分達の旅に役立つ手掛かりに繋がるかも知れない、と。

「失礼する」

「お引き返しあそばせ。この神殿を荒らす者には、災いが────。……あら。失礼致しました、アレン王子殿下」

そういう訳で、訪れた礼拝堂の入り口の、両開きの扉を叩いて三人は中へと踏み込み、堂の奥で祈りを捧げていた尼僧の背へアレンが声を掛ければ、バッと立ち上がった彼女は慌てて振り返り、きつい目をして拒絶の科白を言い掛けたが。

訪れた者達の先頭にいるのが、アレン──ローレシア王国王太子だと気付くや否や、表情も雰囲気も和らげた。

「いや。こちらこそ、祈りの最中に申し訳なかった。……尼僧殿。今日は、先日の礼を言いに来た」

「礼……ですか?」

「ああ。あれからローレシアに戻って、父上から金の鍵のことを聞いた。我々の曾祖父──勇者アレフが、このザハンに金の鍵を託した所以を。だから、あの時、鍵を渡してくれた貴方に、礼を言わせてくれ。再びザハンを訪れたのは、やはり偶然……と言うか、成り行きだが。金の鍵は役に立ってくれているから」

「そうでしたか。わざわざ、有り難うございます、殿下。タシスンさんは、もう二年も前に還らぬ人となってしまわれましたが、天上で、代々受け継いできた役目を果たせたと、喜んでいることでしょう。尤も、タシスンさんはとても生真面目な方でしたから、自分は、先祖がアレフ様に託された使命を守り通しただけだ、と仰るかもしれませんけども。私も、同じことを感じましたし」

「え? 尼僧殿、それは、どういう…………? この礼拝堂の方々も、彼の家の者達と共に、金の鍵を守ってこられた、と言う意味だろうか?」

厳しい顔付きを一変させ、三人へ、信者──がいるのかどうかは謎だが──の為の粗末な長椅子を勧めた尼僧は、タシスンも、自分も、受け継がれてきた使命を果たしただけだ、と告げ、故にアレンは、「ん……?」と首を傾げた。

尼僧の言葉の意味が、アレンには少し能く判らなかった。アーサーも、ローザも、彼と似たような面持ちをしていた。

勇者アレフが金の鍵を託した者の子孫であるタシスンが、自分の使命を云々、と言うのは理解出来るが、何故そこに、尼僧自身も加わるのかが、三人共にピンと来なかった。

ローレシア王の話には、ザハンの礼拝堂の者達も金の鍵の守護に関わっているなどと言うことは、一言も出てこなかったのに、と。

「………………もしかして、勇者アレフ様の後を継がれた代々のローレシア国王陛下も、ザハンに金の鍵が託された本当の所以も、この礼拝堂のことも、ご存知ないのですか?」

「礼拝堂……? 我々が父上から聞かされた話は────

すれば、彼等のように不思議そうな顔になった尼僧に、逆に首傾げつつ問われたので、アレンは、父王が打ち明けてくれた話を彼女へ語って聞かせた。

「それは、私が知る話とは違いますね」

少々長かった彼の話が終わった途端、彼女は、成程……、と軽く頷く。

「違う?」

「はい。確かに、陛下のお話通り、アレフ様には唯一の『道楽』があったと、私も聞き及んでおります。ですが。アレフ様は、『唯一の道楽』の為にザハンを『隠れ家の一つ』に定められ、ローレシア王城とザハンとを旅の扉で結ばれた果て、序でのように金の鍵の託し場所にも為されたのではありません。私の知る話では、アレフ様は始めから、金の鍵を託す先として、このザハンを選ばれた、とのことですが」

「だが……、だとしたら、曾お祖父様は何故、ローレシアからは遠く離れたザハンに?」

「それは、今の殿下のお言葉が答えです。ザハンが、ローレシアからは遠く離れた、絶海の孤島故に」

「いや、待ってくれ、尼僧殿。それでは辻褄が合わない」

「ですよね……。ロトの武具は、ロトの印がなければ封印が解けないようにされていました。そのロトの印を納めた箱は、金の鍵がなければ決して開かない。……そんな風に事を運んだのは、他ならぬ曾お祖父様自身です。なのに、ザハンに金の鍵を隠した理由が、ローレシアからは遠く離れた、絶海の孤島だったから、と言うのは……」

「その話が本当なら、曾お祖父様は、ロトの武具もロトの印も、後の世に伝えるつもりがなかった、と言うことにすらなってしまい兼ねないわ」

そうして、改めて三人へと向き直った尼僧は己の知る話を語り始め、だが……、と並び座った固い長椅子の上で、彼等は口々に反論する。

「ええ。この礼拝堂には、アレフ様は本当は、ロトの武具そのものを、この世から隠してしまいたかったらしい、と伝わっています。もう二度と、『伝説の勇者の為の武具』など必要とされなければいい──即ち、世界に齎された平和が永久とこしえに続くように、と願って。けれども、勇者ロトが大魔王ゾーマを討ち果たした数百年後、竜王と言う魔が現れたように、何時の日か、願い虚しく、新たな魔が生まれてしまう日を世界は迎えてしまうかも知れない。……そうも思われたアレフ様は、願う永久の平和の為に、ご自身が打ち立てた国──伝説の勇者の血を直系で繋いでいくローレシアから遠く離れた絶海の孤島に、わざわざ金の鍵をお隠しになりつつも、何時の日にかに備えて、ローレシア王城とザハンを旅の扉で繋がれたのだそうです」

「成程…………。確かに、曾お祖父様が齎して下さった平和が続く限り、ロトの武具が必要とされる日は来ない。だが、必要とされる日が来てしまったら……。…………絶海の孤島に住まう者に金の鍵を託したのは、曾お祖父様の──勇者アレフの、そんな葛藤故に、か……」

しかし、そこに矛盾はないのだと、尼僧は緩く首を振り、アレフの気持ちが判らなくもない、とアレンは呻くように言った。

「そういうことなのでしょう。私にも、恐らく、としか申せませんが。────この礼拝堂もそうです。ここを建立されたのはアレフ様なのです。アレフ様は、秘かに財を投じて堂を築き、精霊神ルビスでなく勇者ロトを祀られました。この礼拝堂に守りを託した品が、伝説の勇者ロトの加護を受け、何時までも眠りに付けるように、と」

「品? 金の鍵とは別に、曾お祖父様が託した品が、ここにあると?」

「…………やはり、そのことも、ローレシアには伝わっていないのですね。……実を申せば、先程、再びザハンを訪れたのは偶然、と殿下が仰られるまでは、殿下方が二度目の訪問を果たされた理由は、その品にあると思っていたくらいなのですけれど。あの後、殿下は金の鍵の所以のみならず、この礼拝堂の話も聞き及ばれて、だから、改めてザハンに……、と」

この僅かの間に知り得た、ザハンの礼拝堂にて語り継がれてきた金の鍵に関する『伝承』でさえ、アレン達には少しばかり衝撃だったのに、尼僧は、彼等も、アレンの父王も今尚知らぬだろう品に関する話を、畳み掛けるように。

「すまない。そのような話は初耳だ」

「いいえ。……この際です、全て申し上げましょう。────アレフ様は、このザハンで、タシスンさんのご先祖に金の鍵を、自ら建立された礼拝堂には聖なる織り機と呼ばれる物を、それぞれ託されました。聖なる織り機は、名の通り、布を織るはたです。アレフ様が、何時何処で、聖なる織り機を手に入れられたのかは判っておりませんが、この世界を守る力の一つとなる神具を生み出せるよう、精霊が加護を与えた機だと言われています。…………タシスンさんの家の者達が、代々金の鍵を守り続けてきたように、私共も、聖なる織り機を守り続けて参りました。アレフ様が願われた通り、聖なる織り機が必要になる日が訪れぬよう、日々、勇者ロトへの祈りを捧げながら。けれど、もしもその日が訪れてしまったら、アレフ様の血を引く何方かに、確かに聖なる織り機をお返しすべく」

「そう……だったのか………………。……尼僧殿、申し訳なかった。何も知らず……」

「殿下。どうぞ、お気に為さらず。宜しいのですよ。アレフ様にはアレフ様のお考えがあって、ローレシアには何も伝えられなかったのでしょうから。それに、この礼拝堂に伝わる話とて、全てが事実とは限りません。伝承通りなら、アレフ様がこの島に金の鍵や聖なる織り機を託されたのは、アレフ様のお子様達が成人為さった頃の出来事の筈ですけれど、礼拝堂が建立されたのは、ローレシアが建国されたばかりの頃なのですもの。……そうそう、それに。アレフ様は確かに、ザハンを『道楽の為の隠れ家の一つ』にされていたそうですよ。時にはお一人で、時にはローラ様と共に、ローレシアから逃げ出して、のんびり過ごされていたとか」

息つく間もなく、存在さえ知らなかった曾祖父縁の品──『聖なる織り機』なる機の話を聞かされて、アレフの血を引く一人であるにも拘らず……、とアレンは彼女に頭を下げ掛けたけれど、尼僧は彼を留め、最後に、勇者アレフが、ザハンを『道楽』を堪能する場所にもしていたのに嘘はない、と声を立てて笑った。

「…………そこに、間違いはないのか……。……曾お祖父様…………」

「そんな道楽癖があったから、ローレシア王家の方々は、ザハンに金の鍵が託された理由は、曾お祖父様の道楽の序で、と誤解されたのかもですねえ……」

「一寸、人騒がせよね、曾お祖父様も」

だから、アレンもアーサーもローザも、自分達が曾祖父の『道楽癖』に振り回されている事実は揺らがないんだ……、と疲れた風に肩を落とした。