─ Beranoor ─

「……あ、御免。でも、世界樹の葉なんて、どうやって扱ったらいいのか判らなかったんだ。普通の薬草みたいに煎じていいのかどうか、とも思ったから、いっそ、生のまま飲ませてしまった方が効くんじゃないかって、ここへの道すがら、ローザと……」

「御免なさい。飲み辛かったでしょうし、不味かったでしょうけど、下手に手を加えたくなかったの。だけど、伝説通り、ハーゴンに掛けられた貴方への呪いは解けたみたいだから、許して?」

もう自分は大丈夫だと態度で示す風に、むくりと寝台から起き上がったアーサーが、複雑そうな声を出して顔一杯に苦笑を浮かべたので、「はは……」とアレンとローザは誤魔化し笑いを拵え、己達の所業の言い訳をしてから、

「乱暴なことをして、悪かったと思ってる。思ってるけど……。……良かった…………。アーサー、良かった……っ!!」

誤魔化しの笑みを湛えた面を、一転、アレンは泣き笑いで歪めて、強い力でアーサーを抱き締めた。

「本当よ……。どうしようかと思ったのよ…………。貴方に、もしものことが遭ったら、って…………っ」

「…………有り難うございます、二人共。僕は、もう大丈夫です。心配掛けて御免なさい」

ローザは、刹那の顔を見られたくないのか、二人に背を向けつつも涙声を洩らし、互いの無事を確かめ合うように、アレンと長らくの抱擁を交わしつつアーサーは明るく言った。

「……うん。…………心配した。本当に、心配した……」

「私もよ。私だって…………」

「アレン。ローザ。本当に本当に、御免なさい。────二人のこと、信じてましたから。言われた通り、諦めないで頑張りました。アレンとローザは、絶対に諦めないでくれるって、信じてたんです」

「ああ。けど、アーサー。もう、詫びたりしないでくれ。悪いのは君じゃない」

「そうよ。貴方の所為じゃないわ。皆々、ハーゴンの所為なのだから」

ありったけの親愛の情を込めて抱き締めてくれたアレンを、最後に一際強く抱き返してから身を起こし直したアーサーが、整った面に穏やかな笑みを刷いたから。

アレンも、その頃には涙を堪え切ったローザも、数日振りに晴れやかな笑みを浮かべた。

そののち

未だ、直ちに今まで通りの旅に戻れる程ではなかったが、すっかり体調も調子も取り戻したアーサーと、安堵で腰が抜け掛けたアレンとローザは、食事と湯浴みを済ませるや否や、寝台に倒れ込んで死んだように眠った。

そして、その夜、アレンは。

──又、あの夢を見た。

デルコンダル王城で見て以来となる、久方振りの夢。

五度目の夢。

ここ暫く聞くこと無かった正体不明の声『達』が、何となく懐かしくさえ感じられた。

……五度目の夢の中で、声『達』は、これまで通り、ひたすら名を呼び掛けてきた。

だけれども、声『達』の呼び掛けは、四度目の時のように、何処か遠かった。

遠くて、どうしてか、申し訳なさ気な気配すら帯びていた。

某かを詫びたそうにしていた。

だから、詫びないでくれ、と言おうとした。

『知らぬ者達』に詫びられる覚えなど己にはない、そう告げようとしたけれど。

思いを、言葉を、音にするより早く、声『達』の気配は、すっと掻き消えてしまった。

気分の良い、爽やかな目覚めを迎えた翌朝、三人は早速、荷物の中から引き摺り出した、どうやら紋章の在処を教えてくれる神具らしいと判ってきた山彦の笛を鳴らし、ベラヌールの街に紋章が隠されているかを確かめた。

奏でてみた山彦の笛は、ぽぴ、との、間抜けな音しか返してくれなかったので、折角、期待して水の都を訪れたのに、目論みが外れたばかりか、とんでもない目に遭っただけだった、と落胆した彼等は、街を発つ支度を整え始める。

元気になったとは言え、アーサーは、もう数日は休養が必要そうで、しかし、ハーゴンの邪悪な手が伸ばされた街に滞在するのは、却って誰もの気が休まらなかった為、以前訪れた際、アーサーが帰還魔法の契約印を結んだままにしておいたザハンヘ向かい、外洋船と落ち合いがてら、暫しの休息を取ろう、と決めたので。

「お世話になりました。随分とご迷惑をお掛けしてしまいまして……。色々と、有り難うございました」

「お陰で助かった。本当に感謝している」

「お世話様でした。先のことになってしまうかと思いますけど、改めてお礼に参りますので」

────全ての支度を終え、後は宿を引き払うだけとなって、帳場に向かった三人は、見送りに出て来てくれた宿の主や女将に礼を告げ、やはり見送りに出て来てくれた、自身も今日の内にはローレシアへ帰還する例の兵へと向き直る。

「アレン様。皆様。どうか、お気を付けて。ローレシアにて、無事のお帰りをお待ちしております」

「うん。僕達に代わって、アーサーの看病をしてくれて有り難う。そちらも、気を付けて国に戻ってくれ。それから、王都に戻ったら、父上や母上や爺やには、三人共、元気でやっているとだけ伝えてくれないか。ベラヌールでのことは、父上達には内密にして欲しいんだ。心配を掛けたくないから」

「はい。承知致しました。では、陛下や宰相閣下には、皆様、恙無く、とだけ。──私のことはお気遣いなく。ローレシア王都へは、キメラの翼で帰還致しますので。一足飛びですよ」

「そうか。……あ、そうだ。尋ねようと思っていたのに、うっかりしていた。父上達に変わりはないか? 城や都の方は?」

「ご心配には及びません。陛下も王妃殿下も宰相閣下も、お変わり一つなく、王城も王都────。…………ああ、そう言えば一つだけ。先日、気になることがありました。気になると言っても、殿下に申し上げるのは憚れるような、本当に些細なことなのですが」

『王子殿下』へ注がれる兵士の相変わらずの熱烈視線に、ちょっぴりの苦笑が浮かびそうになったのを堪えながら、アレンが、ローレシア宰相の命を帯び、遠路遥々ベラヌールへ赴いてくれたにも拘らず、幾日も看護師代わりに使ってしまったと、詫びと礼を告げつつ別れも告げれば、兵士は、今の今まで忘れていたけれど、一つ、国許で気になることがあったのを思い出した、と言い出した。

「気になること?」

「はい。先日、アレン様がローレシアにお戻りになられた少し前のことなのですが、城下にて、邪神教団の神官と名乗る者と、信者一名が捕縛されたのです。何処からやって来たのか、どうやって城下に潜り込んだのか、未だに皆目見当も付かぬのですが、その者は、或る日突然城下に現れ、共に捕らえた信者を従えつつ、昼夜の別なくあちこちの辻に立っては、邪神教団の教えを説き、大神官ハーゴンの話を語り……、としていたらしいのです。ですが、そのような不埒者がいるとの一報が王城に届けられて直ぐ、陛下のご命令に従い捕らえましたので、一先ずは一件落着となりましたし、故に誰も、この件は殿下のお耳には入れなかったのですが……」

「ああ。そんな輩の話は、今初めて聞いた。……それで?」

「その…………、このような話で殿下のお耳を汚すのは、どうにも気が引けてならんのですが。──殿下方がサマルトリアへお発ちになられて半月程が経った頃から、捕らえた神官や信者を繋いだ地下牢の番に立った兵達が、次々、体調を崩して寝込み始めたのです。その所為か、今の地下牢はどうにも薄気味悪くていけないだの、幽霊のようなモノを見ただのと、噂する者達まで出始めまして……。宰相閣下も、私自身も、今の季節に地下の牢屋で夜番を務めれば、風邪を引く者の一人や二人、出てもおかしくなかろうし、気味が悪いとか、幽霊が、とか言った噂をする者達は、臆病風に吹かれただけのことなのだろうと思ってはいるのですが、やはり、気にならぬと言ったら嘘になりまして…………」

「………………成程な。そんなことが。……幽霊がどうのこうのは兎も角、牢番の兵達が、と言うのは確かに気になるし、捕らえた相手が、邪神教団の神官と言うのも気になる。……でも、もしかしたら、その辺りのことに関する手掛かりも、旅の途中で拾えるかも知れないから、気に留めておく。何か判ったことがあったら報せを入れると、父上と爺やに伝えてくれ」

兵士の彼が語ってくれた、国許で起こった些少だけ気になる話は、アレン達の知らぬ間にローレシア城下で捕らえられていた、邪神教団の神官に関わることで、確かに、些細と言えば些細な話だが、気にならないと言ったら嘘だな、と頷いたアレンは、聞いたばかりの話をしっかりと頭の片隅に留めてから、待たせてしまったアーサーとローザを促し、ベラヌールの宿を出た。

「何はともあれ、ローレシアの王都にまで、邪神教団の神官が出没した、と言うのが深刻ですね」

「そうね。ローレシアは、ロト三国の盟主国なのに。…………でも、と言うことは、この間、私達がローレシアを訪れた時にはもう、その神官は地下牢にいたことになるのよね」

宿を発ち、市門目指して街の通りを進みながら、アーサーもローザも、聞かされたばかりの話に関する物思いに耽る気配を見せ始めたけれど。

「そうなるな。……まあでも、今は、ザハンでアーサーを休ませるのが先だから、ローレシアの話は一旦忘れよう」

「そうですね。このことは、又、後で考えましょう」

「……ええ。先ずは、ザハンに行かないと」

今、この場で悩んでもどうしようもない、とのアレンの言葉に二人も頷き。三人は、揃って水の都を後にした。