─ Beranoor ─

ロンダルキア大陸の南西に、ベラヌールの大陸はある。

三大大陸であるローレシア、ムーンブルク、ロンダルキアなどと比べてしまえば、島、と言いたくなる規模で、主立った都市も、水の都として名高いベラヌールの街しかない。

但、大陸唯一の大都市ベラヌールは、かつては三大大陸を行き来する定期船の中継地点の一つとして栄えていた街で、今でも当時の名残りを留めており、港には貿易船も能く立ち寄るので、物流に関しては、ともするとロト三国よりも豊かだ。

サマルトリアのように信仰心の篤い者達も多く、立派な教会や礼拝堂もある所為か、巡礼者の姿も頻繁に見掛けられるし、この御時世だと言うのに、観光客もそれなりらしい。

辺境が少なくない大陸なので、出没する魔物の質が悪いのが難点だが、ベラヌールやその近郊は気候も温暖なので、そこそこ暮らし易い辺りと言える。

────そんな大陸にアレン達が上陸したのは、聖なる祠を後にしてより、半月程が経った頃だった。

ベラヌールは大陸南西部の内陸にある、大きな湖の浮き島に築かれた街で、大陸沿岸の殆どが切り立った崖や浅瀬に囲まれている為、一つしかない港からは少々だけ遠い。

港からベラヌールの街は臨めるのだが、内陸側からしか浮き島への道が繋がっていないので、湖をぐるりと廻らなければ街に入れないのだ。

故に、三人は、港に到着した日の夜は船で過ごし、翌朝早くに出立した。

牧草地やサバンナが入り交じる一帯を貫く街道を辿る道行きは、始めの内こそ順調だったものの、大陸東部の山脈が見えてきた辺りから、雲行きが悪くなり始める。

手の形をした泥の化け物、マドハンドに足を取られ、魔術師や僧侶などの魔力を糧にしている人面樹にアーサーやローザが目を付けられ、大灯台でもやり合ったドラゴンフライや、イノシシに能く似た姿──但し、二足歩行──のゴールドオークに襲われた。

ドラゴンフライの吐く炎の息も、力の強いオーク達の一撃も、魔力を吸い取ろうとする人面樹達が伸ばしてくる枝も、少しでも対処が遅れれば次から次へと仲間を呼び寄せるマドハンド達も、どうにもこうにも厄介で、幾度も手子摺らされた。

…………だが。

アレンの知らぬ間に、アーサーは、火系の中位呪文であるベギラマと、死の呪文と言われるザラキ──敵の血を凍らせ、息の根を止める呪文を操れるようになっていた。

ローザも、それまでは使えなかった筈のキアリーやベホマを使役してみせた。

「二人共、何時の間に、そんな術を?」

五匹ものドラゴンフライと出会してしまい、渦巻く炎に焼かれながら剣を振るっていた最中、アーサーが静かな声で唱えたザラキが魔物達の息の根を止めるのを目にし、次いで、駆け寄って来たローザが唱えたベホマに瞬く間に傷や火傷を癒されて、アレンは驚きを隠せなかった。

「御免なさい、アレン。伝えなきゃとは思ってたんですけど、言う機会も、実際に使う機会もなくて、内緒にしてたみたいな形になっちゃったんですけど……」

「……実はね。アーサーも私も、デルコンダルの礼拝堂で精霊と契約を交わしたの。その……貴方が休んでいた間に」

ぱちぱちと目を瞬いた彼に見比べられ、何故か、アーサーもローザも歯切れを悪くし、彼から目を逸らす。

「何だ、そうだったのか。だったら、もっと早くに教えてくれれば良かったのに」

「そうなんですけど……。何と言うか、こう……言い出せなくって……」

「私もなの。切っ掛けが掴めなくて。……御免なさい」

「…………? どうしたんだ、アーサーもローザも。そんなに気にするようなことじゃないだろう」

「ええ。但、あの……」

「アレンが倒れていた間に、と言うのが、気が引けると言うか……」

「何故、引け目なんか? 僕の付き添いの合間に、そんな大変なことまでしてくれたのに。上位の術になればなる程、精霊との契約は大変で、回数も重ねないといけないんだろう?」

「それは……まあ。…………でも、そうですよね。気にすることでもなかったですね」

「御免なさいね、アレン。変なこと言って」

「いや、いいけれど……。……じゃあ、行こう。ベラヌールは直ぐそこだ」

どうして、アーサーとローザが揃ってそんな些細なことを気にし、申し訳なさそうな態度を取るのか、アレンには全く理解出来ず、頻りに首を捻ったが、仲間達の口は重く。

まあ、それこそ気にしても仕方無いか、と軽く肩を竦めた彼は、目指す都の方角へと向き直った。

野宿で数日をやり過ごし、三人が辿り着いたベラヌールの街は、噂やその渾名通り、素晴らしい水の都だった。

街中の至る所に運河が流れ、まるで、街そのものが水の上に浮かんでいるかの如くで、景観も美しかった。

運河を行く数多の平底舟も洒落た作りだったし、街の中央に鎮座する礼拝堂も瀟洒で、巡礼者や街行く者達の身形みなりもきちっとしていた。

商店の数も多かったし、神や精霊ルビスの教えを説いて歩く司祭達の姿も能く見掛けられる清らかな街で、三人共、ベラヌールに好感を持った。

特にアーサーは、ベラヌールの強い宗教色や信心深そうな街の人々が気に入ったようで、少々興奮気味に街を散策し、立派な礼拝堂や教会に目を奪われ一人長らく佇んだり、司祭達と擦れ違う度、足を留め、声掛けて熱心に話し込んで、神や精霊の教えを乞うたりしていた。

これまでの旅の中で、個人的な情熱に走ってしまったアーサーは気が済むまで放っておくしか手がないと、嫌と言う程学習したアレンとローザは、「子供みたいにはしゃいで……」と苦笑しつつも彼を放置し、武器屋の下見をしたり、道具屋を覗いてみたりとして。

「はーーー……。有意義でしたぁ……」

「……良かったな」

「……良かったわね」

「…………う。すみません……。延々と、司祭樣方と話し込んじゃったりして……。……あ、でもですね、一寸した収穫もあったんですよ」

「収穫って、どんな収穫なの? アーサー」

「この辺りには、アレフガルドでも廃れてしまった樹木信仰が、色濃く残ってるみたいなんですね」

「樹木信仰……って、何だ?」

「巨大な樹木を神と見立てて崇める、ってあれですよ。その所為か、世界樹──ほら、ロト伝説にも出てくる、死者をも生き返らせる力を持った神木に関する伝承が、普通に、しかも詳細に伝えられていて、世界樹は、ベラヌール大陸からずっと東の海に浮かぶ孤島に今でも生えているんだ、って話が聞けました」

「まあ……。世界樹が」

「ええ。……と言う訳で。ベラヌールでの用が済んだら、世界樹を探しに行ってみませんか? 世界樹の葉は、死に瀕した者を必ず救ってくれる霊薬そのものですし、司祭様達の話では、命に関わる呪いや祟りを打ち消す力も持っているんだそうです。霊験あらたかな葉っぱですよねー。万が一の時に備えられますから、絶対、旅の役に立ちますよ」

趣味に没頭してしまった際の彼に慣れているアレンやローザをしても、その時のアーサーの『うろうろ』は、本当にうんざりする程長かったので、うきうきした顔で戻って来た彼を出迎えた二人の受け答えは、自然棒読み口調となり、「やっちゃった……」との顔して一瞬のみ項垂れたアーサーは、少々慌てた感じで、曰く『収穫』なネタを語った。

「ふうん……。あれが、本当に────。……ん? アーサー。勇者ロトが世界樹の葉を手に入れたのは、空の彼方の異世界でのことだった筈だ。なのに、どうして、僕達の世界にあの樹が?」

「……ああ。やっぱり、今し方、司祭様達から伺ったことなんですが。この辺りの伝承では、世界樹は、僕達の世界の大地に根を張っているとされてるんだそうです。僕達の世界の空──勇者ロトの世界の大地をも貫いて生えていて、要するに、世界樹は二つの世界に股がっている存在らしいんですね。だから、僕達の世界でも、世界樹の葉を手に入れることが出来るみたいですよ」

「成程。だと言うなら納得だが。そんな物が必要になるような『万が一』は、僕は御免被りたい」

「確かに私も、そんな事態は御免だけれど。手に入れてもいいのではないかしら。転ばぬ先の杖とも言うし」

「そうだな……。じゃあ、紋章探しを終えたら、世界樹を探しに行くとしよう」

「ええ! うわー、この目で世界樹が見られるなんて、楽しみだなー」

うきうき顔を取り戻したアーサーが語った話は、ロト伝説にも登場する神木に関する伝承で、世界樹を探しに行きたがっているのが透け見える彼の意を汲み、アレンが頷けば、アーサーは一層顔を綻ばせた。

そうと決まれば、さっさと紋章探しを済ませて、さっさと世界樹のある島へ……、とアーサーは弾む足取りで歩き出し、先立つ彼の後を追う格好でアレンとローザも進み始めたが。

「失礼だが。そこのお方々」

賑やかに通りを行く彼等と擦れ違おうとしていた一人の神父が、ぴたりと足を留め、三人を呼び止めた。

「はい? 神父様、何か御用ですか?」

「…………何と不吉な……。貴方々の顔には、死相が出ておりますぞ。とても邪悪な力が、貴方々に取り憑いています。恐ろしい……」

声掛けて来た神父と、真っ先に受け答えたアーサーとをこっそり見比べ、アレンとローザは、「又、足止めを喰らう……」と苦笑したが、代わる代わる三人の顔を覗き込み、眉間に皺を寄せ酷く深刻そうな面になった神父は、彼等へと、正しく不吉なことを告げた。