「あら?」

『厄介なお姫様』──デルコンダル王の娘の一人で、アレンにとっては従姉に当たる彼女は、彼の身動ぎと呟きに気付き、天蓋越しに寝台を覗き込むと、思い切り嫌そうな顔をした。

「お前達、効きの悪い眠り薬でも使ったの?」

「……いえ、そういう訳では…………」

「なら、どうして彼が起きているの。葡萄酒に混ぜたのでしょう、もう目覚めるなんて、おかしいじゃない」

「それは、その……」

けれども、一瞥したのみで彼に背を向けた王女は、二人の従者を叱責し始める。

「言い訳なんか聞きたくもないわ。使えないわね、お前達」

「…………申し訳ありません」

アレンを極力見ぬようにしながら深く頭を垂れる従者達へ、彼女は尖った声をぶつけ続け、彼女のみ声高だったやり取りから、「嵌められたみたいだな……」と彼は悟った。

何でこんなことを仕出かしたのかは判らない──と言うよりも、敢えて想像したくないが、彼女は、デルコンダル王太子の名を騙って眠り薬入りの葡萄酒を差し入れ、何も知らずあれを飲んだ自分達が寝入った頃を見計らい、自室に己を連れ込んだのだろう、と。

尤も、実際に手を下したのは、彼女に命じられた二人の従者だろうけれど。

「……姫……、どう、して……っ……」

しかし、何となく事の成り行きが読め始め、このままでは拙い、とも知れても、彼は起き上がれなかった。

身を擡げようとする度、只でさえ酷い頭の痛みがいや増し、視界が揺れた。

盛られた薬の所為なのか、寝台から薫る強過ぎる香の所為なのか、吐き気も増す一方で、彼に叶えられたのは、王女へ向けての細やかな訴えのみだった。

「全く……。……でも、ま、仕方無いわね」

小さな力無い声にての訴えは、それでも王女の耳に届き、が、彼女は、ちらりとだけ彼を見遣ると直ぐに従者達へ視線を戻して、顎での指図を始める。

「早く、次の支度を為さい。他にも薬はあるのでしょ。『そういうこと』も、お前達の仕事の内なのだから」

「それは……ございますが…………」

「だったら、早く出しなさい。何でもいいわ。彼を思う通りに出来る物なら、それで」

「しかし……。見た処、アレン様は、先程の薬がお体に合わなかったご様子です。この上、別の物をと言うのは、お命にも関わるやも知れません」

「だから? 死んだら死んだ時よ。お前達が、心の臓の病にでも見せ掛ければ済むじゃない」

「……姫様。アレン様は、勇者ロトの血を引く、ローレシアの王太子殿下であらせられるのですよ。どうか、もうお止め下さい。万が一、アレン様がデルコンダルで落命など為され──

──デルコンダルだろうと何処でだろうと、病で死ぬのは仕方の無いことでしょ。伝説の勇者の血を引いてるから何なのよ。ロト伝説なんて、只のお伽噺じゃない。勇者の血なんか受け継いでもいない成り上がり一族のくせに、偉そうに。彼にはね、私が嫁ぐに相応しい大国の王太子、と言う価値しかないの。でなければ、こんな手間を掛けてまで、成り上がり一族の若造と共寝なんてする筈無いでしょう、この私が。──兎に角っ。さっさと何か出しなさいっ。家族共々この国から叩き出されたいの!? 汚い仕事しか出来ないお前達の行き先なんて、何処にもないのよっ!」

苛々と、全てを己が思う通りに進めんとする王女と、そんな彼女を何とか思い留まらせようとする従者達のやり取りは、少々の間、続き、「今の内に何とか……」とアレンは足掻いたが、思うようにならぬ身での足掻きは無駄に終わり、

「お使いになるのは、少量に留めて下さいませ」

「本当に、愚図なんだからっ! 判ったから、一々指図しないでっ」

従者の一人が渋々懐より取り出した、何やらの薬瓶を引っ手繰るように取り上げて、王女は豪華なドレスの裾翻し、天幕を潜って寝台に乗り上げた。

「……姫…………っ。もう、話は……っ」

「そうね。目を覚ましたりなんかするから、覚えのない内に、私に手を付けたと貴方に思い込ませることは出来なくなってしまったけれど。辱められたことにすればいいわ。そこの二人に、私が貴方に辱めを受けたと、貴方に脅されてその為の手引きもしたと、お父様達の前で証を立てさせれば、万事上手くいくわ。……証人がいるのですもの、貴方が何を言っても、誰だって私の言葉を信じるに決まってる。そして私は、『貴方の所為』で、次代のローレシア王妃になるの」

「何、を……勝手なことを……っっ」

躙り寄る彼女が語る言葉の数々は、未だに頭がぼんやりとしているアレンでも耳を疑いたくなった代物で、身勝手の度を越している彼女を、彼は睨み付けた。

否、睨むしか出来なかった。

「ああ、もうっ。貴方もうるさいわね! 苛々させないで頂戴っ。前に対面した時に、大人しく私の誘いを受けておけば、こんなことにならなかったのだから。これも、貴方の所為でしょうっ?」

朦朧としつつも強さを宿している彼の碧眼に射抜かれ、勝手な苛立ちを募らせた王女──常の彼なら簡単に退けられる力しか持たない女性に、両膝で胸許を押さえ込まれても、頤を掴み上げられても、今の彼には抗えず、無理矢理に流し入れられた薬瓶の中身も、大半を飲み下してしまった。

「ぐっ……。ゲホッ…………」

「ふん。高が、成り上がり者の子孫が。同じ成り上がり者なら、未だ、顔が好みなサマルトリアの方が良かったけど、ローレシアよりも格下の国じゃね。……何で、ローレシアがロト三国の盟主なのよ、一族揃って魔力もないくせして、のさばって。どうせ、ローラとか何とか言うのが産んだ最初の子は、出来損ないの不義の子だったんだわ。ああ、嫌だ」

口許から滴り落ちるトロリとした水薬も拭えぬまま、苦し気に咽せるアレンを見下した態度で眺め下ろし、王女は、乱れてきた纏め髪を鬱陶しそうに掻き上げながら吐き捨てる。

「……ふざけ、るな……っ。その暴言は、許さな、い……っ」

「は? 許さない? 本当のことを言っただけじゃない。それに、貴方如きに、私がどうこう出来るとでも思ってるの?」

────! 姫様、まさか、それを全て……!」

次いで彼女は薬瓶を投げ捨て、床に転がり砕け散った瓶の中身が空になっていると知った従者達は、慌てふためいた。

「何よ、少し多かっただけなのに。死んだら死んだ時だと、さっきも言ったでしょうが。寧ろ、いっそ死んでくれた方が有り難いかもだわ。……そうよ、彼が死ねばローレシア王家は途絶えて、お偉い勇者様の血とやらを引く一族の筆頭は、サマルトリアになるじゃない。もっと早く気付けば良かった」

「姫様……。貴方は……っ!」

すれば王女は、良いことを思い付いたように笑い、

「………………っっ……。あ……。ひ、う…………っ」

「アレン様!!」

彼女と彼等の間に、主従の間柄を無視した言い争いが始まりそうな雰囲気が漂い出したその時、アレンは、まるで臓物が内側から焼かれるかのような痛みを感じ、呻きながら深く身を丸めた。

自由にならぬ体にすらそんな姿勢を勝手に取らせた程の痛みは、直ぐに彼の息を危うくし、目に映る全て、見えざる手に握り潰された風にぐしゃりと歪んで、主である王女を無視して従者達が駆け寄ろうとした時には、嘔吐が止まらなくなっていた。

「お前達! 私に逆らう気なのっ!?」

バッと天蓋を跳ね上げ寝台に身を乗り出し、アレンを抱き起こそうとした従者達へ、王女は怒鳴りながら手を振り上げたが。

「そんなこと、絶対に許さないわよ! お前達は私の言うことだけ聞いていれば──

──アレン! いるんでしょう、アレン!」

「返事をして、アレン!!」

激高した彼女の手が男達を打ち据えるより早く、高く軋む音を立てつつ寝所の扉が開け放たれ、アーサーとローザが踏み込んで来た。

デルコンダル王と共に。