─ Northern Sea〜Zahan ─

俄に降り出した雨も、吹く風も、瞬く間に酷くなったばかりか、腹の底に響くような雷鳴すら轟き始めて、嵐の海の逆巻く高い波に、小型ながらも外洋を行ける船でさえ、木の葉のように揉みくちゃにされた。

嵐に出会してしまったばかりの頃は、アレン達も、一刻も早く嵐を抜けなければと船中を駆けずり回る水夫達の手伝いをしようと足掻いたが、厳しさを増す一方の嵐を前にしては、素人の彼等が手を貸すのは却って邪魔で、船長達に言われるまま、三人は船室に避難した。

部屋の隅に三人揃って固まり、じっとしていても、雷鳴の轟きは幾度も耳に届き、床はぐらぐらと波打って、立つことすら困難になり始めた頃、

「アレン坊!!」

船員の一人が、怒鳴りながら船室に飛び込んで来た。

「何だ!?」

「地図貸してくれ、あの不思議な地図!」

「あ、ああ、判った」

「後でちゃんと返すからな!」

もしや浸水でも、と血相を変えている彼へアレンが怒鳴り返せば、水夫は手を伸ばし、地図を! と叫んで、慌ててアレンが鞄の中から引き摺り出した羊皮紙を引っ手繰るように受け取った彼は、走って去って行った。

「何でしょう?」

「判らないけれど、この嵐の所為で、ルプガナには向かえなくなったのかも知れない。一先ず、何処かの港に避難するつもりなんじゃないか」

「何処でもいいから、早く、揺れない所に行きたいわ。……きゃっ!」

船室の扉を閉める間も惜しんで駆けて行った彼を見送り、アーサーとアレンは顔見合わせ、もう、揺れるのは嫌、とローザが呟いた時、船は一際大きく揺らぎ、

「怖いっっ」

「うわわわっ」

「危ないから立つなっ」

悲鳴を上げたローザとアーサーの腕を引っ掴んだアレンは、庇うように、部屋の角に押し付けた二人に覆い被さった。

息を詰め、身を縮めるアーサーとローザと、両腕で抱いた二人を庇うアレンとが、激しい嵐に翻弄される船の揺れに耐え始めてより、どれ程が過ぎた頃か。

何時しか船は、嵐を抜けたようだった。

轟く雷鳴も、風雨の音も絶えていて、立てぬ程だった揺れもピタリと収まり、三人は、そろりと甲板に上がってみた。

外の様子を確かめたくもあったし、余りにも揺れが酷かった所為で、アーサーやローザは言うまでもなく、アレンも船酔いになり掛けていたので、新鮮な風に当たりたくもあり、揃って覚束無い足取りで甲板に出てみれば、頭上には輝く朝日と青空があった。

怖かった、としか言えない嵐に巻き込まれた割には船も傷んでおらず、帆柱が少々だけヤられた程度で済んでいて、三人は、ほっと胸を撫で下ろす。

「おーい、お前達。大丈夫だったか?」

「あ、船長。ああ、僕達は、少し気分が悪い程度だ。そっちは? 船は?」

「見ての通りだ。ちょいと帆柱が痛んだが、まあ、何とかなる。──そりゃそうと。ほれ。有り難うよ、そいつのお陰で助かったぜ」

と、良かった、と一様に安堵した彼等の傍に船長がやって来て、水夫に貸した世界地図を手渡してきた。

「役に立ったなら良かった。処で、ここは? 何処に向かってるんだ?」

「ザハン、って小さな島だ。そこくらいしか当てがなかったんでな。漁師島なんて渾名されてるくらい、漁師ばかりの何にもねぇ島だが、船の直しと食料や水の調達くらいは出来んだろ」

「ふうん……。ザハン、か。初めて聞く島だな」

「そりゃそうだろうよ。おかのモンなお前さん達が知ってる訳ねえさ。俺達だって、噂に聞いてるだけで行ったことのねぇ島だ。てめぇの居場所を光で教えてくれる、その不思議な地図を頼りにしなけりゃ探し出せなかっただろうぜ。──そろそろ、見えてくるんじゃねえか?」

戻された地図を仕舞いつつ語らった彼より、ザハンと言う島を目指している、と知らされ、聞き覚えのない名にアレンが首捻っていたら、ほれ、と海の向こうを船長は指差した。

────示された彼の指の先を目で追ったら、確かに、くびれ部分が切れている瓢箪のような形をした本当に小さな島が、波間に浮かんでいた。

船長や水夫達の話に曰く、ザハンは、南海に位置する孤島、とのことだったし、広げてみた世界地図も、彼等の話を裏付けていた。

だが、北海を更に北に進むと南海に出る、と言うのが、どうにもアレン達にはピンと来なくて、北へと突き進めば南に出るとは是如何に? と、ちょっぴり頭を悩ませもしたが、思っていたよりもローレシア大陸に近いとも判り、この分なら、予想よりも早くローレシア王都に辿り着けるかも、と期待しながら、ザハンに上陸して直ぐ。

「アレン。僕、一寸ルプガナに行って来ようと思うんです」

出し抜けに、そうアーサーに告げられ、アレンとローザは目を丸くした。

「は? ルプガナに? まさか、一人で? と言うか、何故?」

「貿易商の方の荷を、届けて来ようかと。あれの為だけにルプガナに戻るのは、手間だと思いません? この島からだってローレシアに向かえるのに、一々ルプガナに戻っていたら、時間が掛かり過ぎます。なので、ルーラを使って届けてしまえばいいかな、って」

「でも、戻りはどうするんだ?」

「そうよ。帰りはどうするつもりなの? アーサー。ルーラもキメラの翼も、一方通行のようなものなのに」

「ふふふふふー。……じゃ、種明かししますね。ローザが言う通り、ルーラやキメラの翼での転移は、一方通行みたいなもの、と言うのが常識ですよね。転移魔法や転移の術を使う為に必要な契約の印は、一つの土地にしか結べませんよね。例えば、ローレシア王都にルーラの為の契約印を結んでおいても、サマルトリア王都で契約印を結んだ途端、ローレシアには行けなくなりますよね」

何を考えてそんなことを言い出す? と驚くばかりの二人に、にこにこと笑いながら、アーサーは説明を始める。

「…………そうだな」

「……ええ、そうね」

「でも。ロト伝説の中に登場する、勇者ロトやその仲間達が使役していた転移魔法や技術は、僕達が使うそれよりも、遥かに融通の利くものとして描かれていますよね。制約はあったみたいですけど、複数の契約印を結ぶことが可能で、一度でも契約印を結んだ場所には何時でも行けた。……そんな技も、曾お祖父様の時代には、既に失われてしまっていましたけれど」

「一々尤もだが。で?」

「この間、ラダトーム王城の図書室で文献漁りをしたでしょう? 実はあの時、勇者ロトの時代のルーラに関して記載された本を見付けて、最初の契約印を壊さず、次の契約印を結ぶ方法の手掛かりが掴めたんですよー。で、二人には内緒で、僕、こっそり色々と試してたんです。その内、二人を驚かそうと思って」

「じゃあ……、まさか、その内緒の試しが上手くいった?」

「はい。少し前、やっと成功したんです。その為の契約印もルプガナに置いてきました。だから、この島での契約印さえ結んでしまえば、往復出来ます」

「一人でいきなり呻き出したり、趣味の書き物帳と睨めっこをしている貴方を見掛ける度、何をしているのかと思っていたけれど……、アーサー、貴方、そんなことしてたのね」

「そうですよー。僕の趣味は、古代の謎技術の解明や復刻ですもの。──そういう訳ですから。一寸、ルプガナに行って来ます」

話が進むに連れ、はあ? と益々目を丸くした二人を見遣り、脅かしが成功した故のニンマリ笑顔を満面に浮かべ、アーサーは。

ちょっぴりだけ、自慢げに胸を張ってみせた。