腰下ろしたままこうべを垂れる風にしたローザに、改めてアレンとアーサーが名乗りを終えて直ぐ、気を利かせて席を外した元女官の気配が消えるのを待ち、三人の王子王女は、暫し無言のまま見合った。

「……姫。心苦しくは思いますが、ムーンブルク王都で起こったことの仔細を、お聞かせ願えますか」

何からどう語れば……、とのそれが、三人共にの本音だったけれども、こうして黙り込んでいても致し方ないと、アレンが口火を切る。

「…………ええ。もう、ローレシアにもサマルトリアにも報せが届いておりますでしょうが……。……あの日の、夜半が近付いた頃でした。突然、本当に前触れ一つなく、王都の空を、夥しい数の有翼の魔物が埋め尽くしたのです」

いきなり、こんな話から切り出したのは拙かっただろうか、焦りが過ぎたかも知れない、姫が取り乱さなければ良いが……、と口にしてしまってからアレンは悔やんだが、ローザは気丈にも、ムーンブルク王都陥落時の出来事を語り出した。

「我が身を情けなく思いますが……、正直に申し上げますと、何が起きているのか私には能く判りませんでした。会得出来ましたのは、魔物達が攻めて来た、それのみでした。城詰めの兵達も、ムーンブルク王も、突如の敵を迎え撃とうと致しましたが、時既に遅く、城内にまで、人に化けた魔物達が忍んで来ておりました。王は……お父様は……、お母様と私に、城を出るよう言い置くと、兵達と共に戦いに赴いて行かれ、お母様と私はお父様の命に従い、供の近衛兵達と、城より落ち延びようと致しましたが、王城の地下にも魔物達は潜んでおりました。お母様は、私を庇って命を落とされ……、私も、神官姿の魔物によって…………。…………それより先のことは、能く憶えておりません……。気が付いた時には、私は、仔犬の姿でこの街を彷徨い歩いておりました。我を取り戻せたのが、あの日からどれだけ経った時のことかも判りません。憶えていますのは、街中をひたすら彷徨っておりましたのと、少し前……だったと思いますが、殿下方に構って頂いたことくらいで…………」

「そう……ですか……。申し訳ありませんでした、姫」

「辛いお話をさせてしまいました。お許し下さい」

時折唇を噛み締め、俯きながら、ぽつりぽつりと語った彼女の痛ましさに、アレンとアーサーは詫びた。

「…………いえ。辛いからと黙しても、何にもなりません。この話が、殿下方の為になるのであれば、私はそれで。…………その……、処で、お二人に、お尋ねしたいことがあるのですが、宜しいですか」

けれども、ローザは首を振る。そんな場合ではないと。

「はい」

「何でしょう?」

「有り体にお訊きします。殿下方は、私をどう為されるおつもりですか」

「ご異存がなければ、我々は、姫を、ローレシア王城へお連れするつもりでおります。ロト三国の盟──

──では、その後は? その後、お二人はどう為されますか」

「……その、我々は…………」

「再び、旅立たれるおつもりですか? お二人が為されていた旅のことも、その理由も、この三日、私の面倒を見てくれたあの者より聞き及びました。私には、ご自身達のみでムーンブルクに駆け付けて下さった殿下方が、このまま、国許にお戻りになるとは思えません。…………ですから。もしも。もしも、私が思う通りのお考えでいらっしゃるならば、どうか、私もお連れ下さい」

俯き加減だった面を上げ、膝近くに置いていた両手を胸許で組み、アレンとアーサーの考えを見抜いていた彼女は、彼等を見比べつつ、己も共に、と言い出した。

「………………なりません」

が、彼女の願いを、アレンは即座に退ける。

「何故です……? どうしてです……? 別れの間際、お父様は、ムーンブルクに攻め入ったのは邪神教団の魔物達で、教団の大神官ハーゴンは世界を破滅に導かんとしていると、ローレシア王にお伝えせねばならない、と申しておりました。それは、殿下方もご存知の筈。故に、再びの旅を為さるおつもりでいらっしゃるのではないのですか? ローレシアとサマルトリア、それぞれの王太子として。……私とて、ロト三国の一国、ムーンブルク唯一の王女です」

「確かに我々は、この先も旅を続けんとしています。そう思い定めたのは、私達が故国の王太子であるのも理由の一つです。だからと言って、姫をお連れする訳には参りません。立場は同じくすれども、姫は王女──女性です」

「……それが、王妃殿下御自ら剣を取られる『武』の国ローレシアの、王太子殿下のお言葉なのですか。確かに私には剣は取れません。ですが、私には魔術があります。『魔』の国ムーンブルクの王女として、術を以て魔物を討つくらい」

「ですから、そういうことではなく……」

「では、どういうことですか? 何がいけないと言うのです? 女に生まれたのは私の所為ではありませんっ! 女の身でも、剣を持てずとも、私も旅立ちたいのですっ!」

「…………姫。どうか聞き分けて下さい。物見遊山に行くのではないのですよ。自らの足で野山を越える旅です。供など連れられよう筈も無い。来る日も来る日も、何時何時いつなんどき襲い来るかも判らぬ魔物と戦い、土や草の上で眠り、時には夜露で飢えを凌がなくてはならない。泥に塗れた体を拭う暇さえなく。命を落とすかも判らない。そして、何時終わるとも知れない。そんな旅に、男の私達と寝起きを共にし、尚、挑まれると? 我々には、貴方が女性であるが故のご苦労に気を配れるような余裕はありません」

ムーンブルクの王女を連れての旅立ちなど出来ぬと、きっぱりアレンが告げてもローザは引き下がらず、徐々に、アレンもローザも、声や態度を尖らせ始めた。

「判っていますっ! いえ、判っているつもりですっ!! 私では、お二人に付いて行くくらいが精々かも知れないことも……っ! でも、私は! 私は、お父様とお母様の仇を取りたいのですっ。城の、王都の、皆の敵討ちがしたいのですっっ。お父様もお母様も、城も、都も失った私には、それしか残されておりませんっ!! それ以外、私に何が出来ると言うのです!? ……それでもなりませんか? 女が敵討ちなどと、アレン殿下は思われますかっ!? 私は……私はっ! …………私とて、ロトの末裔の一人なのに…………っ……。私が、男だったら…………っっ」

……そうして、やがて。

我知らず立ち上がったローザは、詰め寄ったアレンの胸許を固めた小さな拳で叩き、懸命に堪えていたのだろう涙を溢れさせて、再び俯いた。

「その、姫……。ローザ姫…………」

「……アレン。一寸だけ、言い過ぎですよ」

己の胸に縋る風に泣き出してしまったローザにアレンは戸惑い、黙って二人の言い合いを聞いていたアーサーは、彼の耳許で、そっと小声の窘めをくれる。

「判ってる。自覚もある……。────姫。申し訳ありません。私の言葉が過ぎました。ですから、その…………」

「ローザ姫。こちらへ」

宥められても泣くのを止めない彼女を促し、寝台に腰掛け直させると、二人はその両脇を占めて、ひたすら彼女を慰め、

「…………私こそ、取り乱して申し訳ありません……」

どうしても、今宵は留められぬらしい涙を流しながらも、ローザは小さく詫びた。

「いえ、私の所為です。……但、男だからとか、女だからとかで差別しようとしているのではなく、区別と言いますか、その……」

「……アレン殿下が仰りたいことは判ります。ですが、それでも……それでも私は…………」

息を飲みつつ益々俯くも、意志を曲げるつもりはないらしい彼女と、その向こうのアーサーとを盗み見、眼差しに気付いたアーサーが、観念したら? とでも言う風に肩を竦めるを見遣ってから、

「………………姫。お覚悟は、変わりませんか」

アレンは、静かに彼女へ問うた。

「はい」

「……判りました。ならば、共に参りましょう。姫と、アーサー殿下と、私の三人で」

「…………はい……っ!」

その覚悟を変わらずに持ち続けると言うならば、と漸く頷いたアレンへ、パッと、泣き濡れた面を持ち上げたローザは、初めて、笑顔らしきものを見せた。