歯痒くも、亡きムーンブルク王がこの世に残した想いの他には、ローザ姫の安否に繋がる手掛かりらしきものの収穫は得られなかった玉座の間を出た二人は、今度は、城深部に潜ってみることにした。

有事が起こった際にのみ使用される王族の為の脱出経路の一つや二つ、ムーンブルク王城にもあるだろう、と踏んだ為だったが、玉座の間より階下へと繋がる回廊を辿り始めて直ぐ、彼等の行く手を阻む者が現れた。

「何者だ!?」

「お前こそ何者だ」

潜んでいた、崩れた壁の影から飛び出して来たのは、今にも折れそうな槍を構え、あちこちが割れて剥がれた鎧を何とか纏っている、ムーンブルク兵らしき男だった。

……確かに武具はぼろぼろで、衣装は、ムーンブルク国軍の制服なのか否かも判らぬまでの襤褸切れと化していて、兜も盾も戦いの最中に失くしてしまった様子だったが、男は傷一つ負っておらず、又、惨状だけを晒す腐臭と腐りに満たされたこの城内で、嘘偽りない生者と巡り会えるとも思えず、切羽詰まった叫びを上げた男が槍を繰り出すより早く、アレンはその喉元に、抜き去った剣の切っ先を突き付ける。

「……私は、ムーンブルク王城の守りを預かる、近衛兵の一人。…………お前達は?」

「私は、アレン・ロト・ローレシア。こちらは、アーサー・ロト・サマルトリア殿下」

「………………ロト……。ロト……! ──大変、ご無礼仕りました! 同盟国の王太子殿下方でいらっしゃるとは夢にも思わず……っ。……殿下! アレン殿下! アーサー殿下! 後生でございます、何卒、わたくしの願いをお聞き届け下さいっっ。姫を……ローザ姫をお救い下さい!」

手負いの獣そっくりな目を見せていた兵士らしき彼は、二人の少年が誰なのかを知った途端、槍を放り出し、深く身を折り傅いて、強引に取ったアレンの手を両手で握り締めながら訴え始めた。

「姫を?」

「あの夜、襲い来た邪神教団の魔物勢によって、我がムーンブルク王城も、王都も陥落せしめられました。決死の覚悟で立ち向かうも我が軍は壊滅、王は無念のご最期を遂げられ、ローザ姫様も、彼奴等の神官共が操った邪悪な呪法より逃れ切れず、有ろう事か、畜生の姿に貶められ……っっ。……しかしながら! せめてもと、宮廷魔術師殿が、姫様をルーラの術で何処へと送り届けたことだけは確かなのです! ですから、殿下……!」

「……判った。いや、判っている。必ずや、私とアーサー殿下で、ローザ姫をお救いする」

「はい……! どうか、どうか姫様を……っ。姫様だけでも…………っっ。……ムーンブルク王家の家宝の一つに、ラーの鏡と呼ばれる物がございました。宮廷魔術師殿に曰く、ラーの鏡を用いれば、姫様に掛けられた呪いも打ち破れる筈だ、と。口惜しくも、ラーの鏡も魔物共に略奪されましたが、私は、この耳で聞きました。彼奴等が、自ら生んだ毒沼に鏡を隠す算段をしているのを。その毒沼の詳細な場所までは知れませんでしたが……。…………殿下。殿下…………、どうか、姫様、を…………ローザ姫様を…………────

「あ! おいっ!!」

痛いと感ずるまでの力で握り締めたアレンの手に縋った兵士は、訴えを終えるや否や頽れた。

途端、彼が身に着けていた物も、体も、砂だったかの如くさらさらと音を立てながら崩れ、アレンとアーサーの足許には、骸骨だけが転がっていた。

「…………アーサー」

「……何です、アレン?」

「今日から僕は、幽霊や霊魂の存在を認めることにする。…………人とは、こんな姿になっても、使命を果たせるんだな…………」

「ええ。この彼は、心の底からムーンブルク王家に忠誠を誓っていたのでしょうね。亡き後も、ローザ姫のことを伝えようと、生前の姿のまま王城を彷徨い続けて……」

「ああ。この英霊のお陰で、姫の無事も確かめられたし、呪いとやらを解く手掛かりも得られた。…………彼の名を知りたかったな…………」

出会した刹那疑った通り、彼は既に生者ではなく、が、英霊でもあったと知れ、その魂に黙祷を捧げてから、二人は城内を出た。

「アレン。少しだけ待って下さい」

もう、アレンは振り返ろうとしなかったが、アーサーは、西日が射し込み始めた前庭に佇み、崩れた王城へと踵を返し、

「何を?」

「自称ですけど。司祭として、謂れなく命を絶たれた人々に、祈りを捧げさせて下さい」

両手を広げ、心持ち上向けた面で空を仰ぎつつ瞼を閉ざした彼は、時を掛け、祈りの言葉を捧げ続けた。

西日を受けながら、ひたすら、亡き者達の魂の浄化を願う彼の姿は、アレンの目には、甚く神聖に映った。

長らくの祈りが終わる頃には、淀み切っていた辺りの空気も清められた気すらして。

「凄いな……」

ぽつり、本当に小さく、彼は呟く。

信仰を持ち、司祭となる夢を捨て難く思う身の上ならば、当然、とアーサーは言うのだろうが、彼の姿も、その行いも、行いを為した想いも、アレンの中に、羨ましい、との感情を僅かに生んだ。

清廉で、方正で、心根や志す道が示す通り、命を救い癒す魔術を操る彼を、ほんの少しだけ、アレンは羨んだ。

勇者ロトの末裔の一人に、この上無く相応しい姿であり、相応しい力だ、と。

ここで日没を迎える訳にはいかないと、急ぎ足で王都を後にし、更に南下した所に設けたその日の野営地で、二人は、今後を話し合った。

………………のだが。

ローザ姫に関する手掛かりは得られ、ラーの鏡を入手するとの目的も出来たが、肝心の、ラーの鏡の在処は謎のままであるばかりか、アレンに至っては、その方面に余り興味が無い故に、ロト伝説の中で語られていることと、ムーンブルク王家の家宝の一つとされている以外を知らなかったので、そんな彼を捕まえて、アレンとは逆に、その手の物に興味を持つ為、ラーの鏡にもやけに詳しかったアーサーが、それは如何なる物なのかを教える処から、彼等は始めなくてはならなかった。

────ラーの鏡と呼ばれる魔法具は、勇者ロトが、空の彼方の異世界より降り立った際、携えていた品々の一つだったと伝承は語っている。

空の彼方の異世界にて、彼が、人の姿に化けた魔物の正体を暴くのに使った物で、モノの真の姿を映し出す力を持つと言い伝えられてもいる。

当時、世界をおびやかしていた大魔王ゾーマを討ち果たしてのち、行方が知れなくなった勇者ロトが、ラダトームの城に置き去った物の一つでもあり、以降、ロト縁の品として、ラーの鏡はラダトーム王家の家宝とされてきたが、百年前、ローラ姫が勇者アレフと結ばれた際、時のラダトーム王ラルス十六世が、愛娘の輿入れ道具の一つにした──贈られたのは、ローレシアが建国された時だったが──為、一度ひとたび、ラーの鏡はローレシア王家所有の宝となり、先々代のムーンブルク王妃──アレンとアーサーの大叔母に当たる彼女の輿入れに伴い、ラーの鏡は再び、彼女持参のお道具の一つに選ばれ。

……長い歴史の中で、勇者達や王家の間を渡り歩くことになったラーの鏡は、ムーンブルク王家の家宝の一つに落ち着いた。

「ふうん……。……そういう訳で、ムーンブルクの物になったのか。勇者ロトの品だったのに、女性の化粧道具みたいな扱いをされてたとは……」

「あははー……。アレンの言いたいことは判りますけど、現実なんですよー。ロトの血を引く勇者だった曾お祖父様も、そんな曾お祖父様と結ばれた曾お祖母様も、人の子だったってことですよ。一人娘だった大叔母様が、可愛くて仕方無かったんでしょうね」

「かも知れない。まあ、今は、ラーの鏡の扱われ方を気にしている場合ではないしな」

「ですね。──何で、邪神教団が、ローザ姫に変化へんげの呪いを掛けたのかと言う辺りも気になりますけど、それも一先ず忘れるとして。教団の魔物達が、鏡を自分達が生んだ毒沼に捨てたと言うのは、まあ、判らなくもないです。聖なる力を持つ魔法具の破壊なんて、魔物が容易に出来ることじゃありません。時間を掛ければ別ですけど。その手の魔法具は、彼等にとっては猛毒に近いですから、持ち帰るのも危険です。だから、隠すしかなかったんだと思います。ラーの鏡が魔法具であるのも、その持つ力も、ロト伝説の中で語られていますので、彼等もそれは知っていた筈で、壊せないからと言って放っておいたら、姫に掛けた変化の呪いが解かれてしまいますから」

「とすると…………、奴等が生んだと言う毒沼の場所も、絞られてくるかな。例えば、余り人の行かない辺境とか。だが、ムーンブルク国内とは限らないし…………」

「……ですねぇぇ…………。ムーンブルク王家の家宝の中には、ロト三国が、ロトの盟約に基づき結んだ同盟の証代わりにその護りを託された、ロトの鎧もありますから。ラーの鏡を奪ったのにロトの鎧は見逃した、なんてこと有り得る筈無いですもの。……ラーの鏡よりも遥かに彼等が忌む、ロトの鎧と共に隠されたりしてたら、とんでもない所な可能性大ですよねぇぇぇ…………」

────焚き火を囲んで座り込み、ラーの鏡が辿った或る意味不憫な運命を憂いつつも、今後をどうするか決めるべく、懸命に知恵を絞ってみたものの。二人共に気が遠くなるような想像しか出来なくて、その夜の彼等は、ひたすら頭を抱えるしかなかった。