心身の疲れは増すばかりだったが、不本意ながらも合流を果たしてしまったからには、きっちり話し合わなくてはならないと、アーサーの人となりに喰らわされた脱力から何とか立ち直ったアレンは、未だ彼が部屋を取っていないのを確認してから、宿の一室を確保した。

安いだけが取り柄の、飾り気もない粗末な二人部屋では、自身とは違う意味でまことに王族然としている風情のアーサーから不満が出るのでは、と懸念したが、室内に入った彼から出たのは文句や愚痴でなく、

「清潔な、いい部屋ですね」

との感想で、ちょっぴりだけアレンは反省する。

彼とて、父王や臣下の反対を押し切って単身旅立ち、勇者の泉やローレシア王都を経つつ、サマルトリアとローレシアの間を渡っていたのだ。

野宿の日もあっただろうし、今更、王族特有の我が儘も言わぬだろうし、何より、一人発つだけの気概のある人物だった、と。

「そうですね。……処で、アーサー殿下」

……きっと自分は人を見る目を曇らせる程、先程までの彼の態度や、「捜しましたよ」の一言に憤慨を覚えているのだろう、と自らを叱って、アレンは、笑顔を浮かべてアーサーを見た。

「はい。何でしょう?」

それまでの彼は厳しい顔付きばかりでいたので、若干お愛想気味ではあったが漸く見られた彼の笑みへ、アーサーもにっこり笑み返す。

が、二人共に、笑顔を見せ合っていたのはそこまでだった。

「殿下が、何の為にサマルトリアを発たれたのかを、お聞かせ頂きたい」

「……恐らく、ですが。私が旅立った理由は、アレン殿下に同じくだと思いますけれども。ローレシア経由でしたがムーンブルク王城陥落の報せを受け、私一人でも、一つでも、出来ることがあるならと思ったのです。正直悩みはしましたが、殿下がローレシアを出奔されたとの噂に、背中を押されました。こんなご時世でも、噂が伝わるのは存外早いものですね。…………ご質問は、それだけですか?」

「いいえ。……アーサー殿。この先、貴方はどうされるおつもりです」

「…………何処までも、殿下と同じくです。尤も、噂通りなら、の話ですが。……私は、ムーンブルクへ向かうつもりです。叶うなら、アレン殿と共に」

清潔で手入れが行き届いていても、平民層が相手の宿のこと、相部屋仕立ての室内に、優雅な語らいを、と洒落込める調度などある筈も無く、互い、それぞれに近い方の寝台を椅子代わりにして腰掛けてから、拵えたばかりの笑みを引っ込め真顔で問うてきたアレンに、アーサーも真顔で答える。

「何があろうとも? その目で何をご覧になられようとも? ……失礼ですが、殿下に魔物が討てますか?」

「あー…………。……まあ、そう思われても仕方ありませんね。ローレシア人でいらっしゃる貴方には、私など、ひ弱に見えますでしょうし。────隠しても詮無い話ですから、打ち明けますが。サマルトリアを出てから今日まで、私は、一度も魔物と戦っていません。……アレン殿下。殿下もご存知ですよね。サマルトリアの別称を」

「……サマルトリア。信仰と『技』の国」

質問攻めにした挙げ句、我ながら随分と失礼なことを尋ねている、とアレンは内心で苦笑したが、アーサーは気を悪くした風もなく何故か少しばかり話を変えて、訝しみつつも彼は、アーサー曰くのサマルトリアの別称を告げた。

彼の言葉通り、ローレシアが『武』の国と呼ばれるように、サマルトリアは、信仰と『技』の国、と呼ばれる。因みに、ムーンブルクの別称は『魔』の国。

サマルトリア王国の初代国王となった勇者アレフの次男は、兄妹の中で最も信仰深く、又、やけに手先が器用だったそうで、そんな彼の人となりが、国柄や国民性にも反映されたらしい。

ローレシアが名高い騎士や剣士を多く輩出するように、高名な司祭や神父の出身地は大抵がサマルトリアで、他国では真似出来ない細かい細工仕事が得意な職人達も多い。

……だが、だから何だと言うのだろう、がアレンの正直な感想だった。

「その通りです。サマルトリアは、信仰と『技』の国。……そういう国に生まれ付いたからでしょうか。私の夢は、司祭になることなんです。立場が許してくれませんから、叶わぬ夢ですけれども。……アレン殿下」

「…………はい」

「私は、神が好きです。神が好きで、精霊が好きで、神や、精霊ルビス様の教えを信じています。ですから私は、何かを傷付けたくはありません。例え、相手が魔物であっても。だから、サマルトリアを発ってより今日まで、私は魔物と戦いませんでした。逃げていました。信仰を尊ぶ国の王族の一員である私には、ローレシア人である貴方のような武も剣技も力もありませんから、一人では一匹のスライムが相手であっても手子摺る、と言う理由もありますけれどね」

「そうですか。だと言うなら、殿下。貴方は、サマルトリアにお戻りに──

──でも。嫌でも魔物を討たなくてはならぬならば、この先は、私もそう致しましょう。国を出てから、ずっと考えていたんです。確かに私は、魔物が相手であっても殺生はしたくありません。それは今でも変わりません。叶わぬと判っていても司祭を志す身で、殺生などと……、と思っています。けれど、私もサマルトリア王国王太子で、勇者ロトの末裔の一人です。私個人の思想や理想など、幾らでも二の次に出来ます」

ずれてしまったように思えた話は何時しか元に戻っていて、宿の食堂でアレンの目を留めさせた例の柔和な笑みを湛えたアーサーは、この答えで良いか、と小首を傾げた。

「…………魔物だけなら………………」

「え?」

「……あ、いえ。独り言です。申し訳ありません」

どうですか? と眼差しで問い掛けてきたアーサーの言葉は、数日前までのアレンだったならそれなりに納得を示しただろうけれど、『あの夜』を越えてしまった今の彼には、頷き難かった。

相手が魔物だけであるならば、アーサーのような考え方で充分だろう。でも、殺す相手が人だったら、彼は……、と咄嗟に思ってしまったアレンは、我知らず口を滑らせ掛け、慌てて取り繕った。

「…………。……それに。アレン殿下が嫌がっても、私はくっ付いて行きますよ? 私一人では難しくとも、貴方と共に行けばムーンブルクまで辿り着けるでしょうし。今は未だ、余り戦いのお役には立てそうもありませんし、足手纏いにならぬようにするのが精々でしょうが、出来る限りの精進はしますから。……あ、それに。私も、些少の魔術は使えますから、薬箱の代わりくらいにはなりますよ?」

そんな彼を翠眼でじっと見詰め、アーサーは物言いた気にしたが、瞬く間に雰囲気を塗り替え、駄目と言われても駄目です、と悪戯っ子のように笑う。

「判りました。では、共にムーンブルクへ参りましょう」

こんなことになるとは思わなかった、と胸の中で呟きつつも、アレンは、旅の連れ同士となるのを承諾した。

断られても付いて行く、ときっぱり宣言されてしまったし、それに、サマルトリアの王太子殿下は、その見た目を裏切る『強さ』を持っている方だ、と思わされたから。

当人の申告通り、戦いに於ける強さの持ち合わせはないのだろうが、心は強いのだろう、と。

あっけらかんと、しかもほぼ初対面に等しい相手に、己の弱さを打ち明けるなど、弱い者には出来ない。

「有り難うございます。そう言って頂けて一安心です。これから、宜しくお願い致しますね、アレン殿下」

「いえ、こちらこそ」

「で、ですね。早速ですが。長くなるのが目に見えている旅の連れ同士になったのですから、お互い、喋り方を変えません?」

「……喋り方…………? ああ、要するに、もう少し砕けろ、と?」

「はい、そういうことです。旅の間中、ずーっと、今までみたいな言葉遣いを貫いていたら、揃って肩凝りますよ? それに。殿下は、我々の身分は隠した方が良いとお考えなのでしょう? でしたら、二人して、殿下、と呼び合うのも変ですよね」

「…………それもそうですね」

「でしょう? こんなこと言い出したくせに、私……じゃなかった、僕は、誰が相手でも丁寧語な感じで会話しちゃうんですけど。殿下は──アレンは、どうか気にせずに」

「……若干、狡いような気がしなくもないけれども……判った。貴方──君がそれでいいなら。それはそうと、アーサー」

「はい?」

「いい加減、僕は食事がしたい。朝から何も食べてなくて…………」

「朝から? もう、夕方近いのに? うわー…………。……じゃあ、食堂行きましょう」

やっと、色良い返事をアレンから貰えた途端、アーサーは、にこにこと嬉しそうに笑いながら、親しく行きましょう! と始めて、「もしかして、彼は強いのではなく、単に、底抜けに素直なだけかも知れない……」と、つい先程の己の判断に薄らとした不安を覚えつつも、兎に角食事! とアレンは立ち上がった。