凡そにして、ローザの即位より一年程が経った、やはり、ムーンブルクの長い春が終わる頃。

今度は、彼女の二十一歳の生誕日がやって来た。

仮の王宮でその日を迎え、美しく着飾ったローザは、午後半ば、祝いの晩餐に招いたアレンを、館の談話室にて待ち侘びていた。

彼等の無二の親友であるアーサー・ロト・サマルトリアの主導で築かれた、ムーンペタとローレシア王城の一角とを繋ぐ旅の扉を伝って訪れる筈の彼は、きっと、扉を潜り終えた途端、出迎えの者達の多さや仰々しさや厳格さに、内心ではうんざりするのだろう……と、彼女が、こっそり忍び笑いながら彼の表情を想像していたら、その間の扉が叩かれて、静々と女官長が入室して来た。

「ローザ女王陛下。ローレシアのアレン国王陛下が御成りです」

「判りました。ご案内を」

室内には、ローザだけで無く幾人かの女官達も控えており、アレンに付き従っている者達も数多だろうからと、最大限畏まっている女官長にローザも畏まったまま応え、一礼した彼女が一旦下がって直ぐ、漸くアレンが姿を現した。

「ローザ陛下。本日は、光栄なお招き、有り難く」

「こちらこそ、わざわざのお運び、忝く存じますわ、アレン陛下」

それでも、控えている女官達も、彼に付き従って来た侍従達も部屋を辞そうとはせず、更には必要以上に突き刺さる視線を送って寄越したので、アレンもローザも、誰にも聞かれぬよう小さな咳払いをしてから、揃って内心では馬鹿馬鹿しく感じている、社交儀礼としか言えない言葉を交わし、

「お疲れでしょう、アレン陛下。どうぞ、こちらへ」

うんざりしつつも面には余所行きの笑みを貼り付けたローザは、彼に、賓客用の一人掛けの椅子を勧める。

…………彼女の生誕日だからだろうか、アレンは常よりも尚、ローレシア国王として一分の隙も無い正装で身を包んでおり、腕には大きな薔薇の花束を抱えていた。

薄桃色した花弁を持つその薔薇達は、一年数ヶ月前のあの日の朝、ローレシア王城の中庭にて、愛の言葉と共に彼が彼女へ贈った花で、臣下達の目さえ無ければ、そんな花束を携えている、今日は殊の外凛々しい彼の傍らに並び座ることくらいは出来るのに……、と寂しく思いつつも、アレンの顔を盗み見たローザは、微かに頬を染める。

「ローザ陛下。先ずは、生誕日の祝いにこれを贈らせて頂けるだろうか」

と、アレンは彼女の前に進み出て、跪き、恭しく花束を差し出してきた。

作法通り、敢えてローザから視線を外し、こうべを垂れて、捧げんばかりに。

「勿論、喜んで」

故にローザも、自ら受け取りたいのをグッと堪えて、女官を呼び、自身の代わりに花束を受け取らせた。

彼にしても彼女にしても、本当は、見詰め合ったまま直接やり取りしたかったけれども、ムーンブルク宮廷内の仕来りはそれを許さぬ為、致し方なかった。

それでも、些少だけ満足したような顔になったアレンは、彼女の再度の促しに従い豪奢な椅子へ腰下ろし、ローザは、綺麗な彫刻が施された一枚板のサロンテーブルを挟んだ椅子に座し、以降二人は、取り囲む臣下達に傅かれながらの、誠に堅苦しい茶の時間を過ごしたが、その最中、周囲の目を盗んだアレンが、こっそりと、人を下げて庭に出ないか、とローザを誘った。

「アレン陛下。宜しければ、庭の花をお目に掛けたく思いますの。綺麗に咲きましたのよ」

今日の彼は随分と積極的だ、と感じつつも、嬉しい誘いだったので、ローザも秘かに頷き、アレンをいざないながら立ち上がる。

直ぐさま付き従おうとした女官や侍従達には、手振りで控えるように伝え、最大限遠巻きにさせてから、彼と彼女は連れ立って、館の庭に出た。

ムーンペタを治める貴族の持ち物とは言っても、別邸でしかないその館の規模は小さく、庭とてそれ程広くは無いが、片隅には細やかな四阿があるので、季節柄もあり、先を争うように咲き乱れている庭の花々を眺めながら、二人は、その四阿へ向かった。

流石に弁えたのか、将又はたまた、事の展開上仕方無いと諦めたのか、彼等がそこへ踏み込んだ途端、付き添い達は足を止め、チロ……と、そちらへ視線を流したアレンとローザは、彼等と自分達の距離を測ってから、四阿の奥に並び座る。

「……やっと、落ち着いて話せる」

「ええ。何時ものことだけれど、折角貴方が来てくれたのに、余りにも窮屈過ぎて、正直、息が詰まっていたの」

「僕も。あの旅に出る以前は、さっきみたいな堅苦しさが当たり前だったけど。巷の慣らいを知ってしまうと、どうしても、な。────それよりも、ローザ。改めて。誕生日、おめでとう」

「有り難う、アレン。今年のこの日も、貴方と迎えられて嬉しいわ」

本音では、人払いをして二人きりになりたかったけれども、そこまでしてしまうと色々を勘繰られそうだったし、若干恥ずかしくもあったので、遠巻きにされているだけ良しにしようと妥協し、彼等はやっと、肩の力を抜いて語らい出した。

「それから…………」

「……アレン? どうかして?」

「これを、君に直接受け取って欲しくて……」

けれども、アレンはちょっぴり口籠りながら、正装の懐より取り出した箱を差し出し、

「…………開けてもいい?」

「ああ。……その……君の生誕日の贈り物なんだけれども……」

「まあ…………!」

両手で受け取ったそれの、綺麗な色紙とリボンの包みを早速解き、紺色の別珍で覆われた箱の蓋を開けたローザは、現れた中身に目を瞠る。

…………箱の中の、同じく別珍の台に納まっていたのは、金緑石の耳飾りだった。

金緑石の中でも、変彩金緑石と言われる、陽光の下では青に、灯りの下では紅にと、色の移ろう高価な宝石。

その上、猫の目と呼ばれる、中央に白い帯状の輝きが浮かび上がる最も希少な種類の石で、その耳飾りは造られていた。

「……どう、かな…………。気に入って貰えたら嬉しいんだが……」

「いい……の? こんなに素敵な物を……」

石自体は小振りで、意匠も控え目だったが、髪を結い上げても下ろしても邪魔にならぬような配慮があり、又、どんな装いにも合いそうで、目を輝かせたローザは喜びに顔を綻ばせつつも、ほんの僅か、申し訳なさそうな色を瞳の奥に掠めさせた。

その価値を知る故に、ローレシア国王と言えど、これ程希少な物を手に入れるには苦心しただろう、と思ったから。

「その……、ローザも知っての通り、僕はこの手の物に疎いから、悩んだのだけれど……。この石のことを知った時、どうしても、君に、と思ったんだ。夜は君の瞳の色に、昼は僕の瞳の色に、姿を変える石だから」

「アレン……。有り難う…………。凄く嬉しいわ」

すれば、アレンはモゴモゴと、どうしようもなく照れ臭そうに、金緑石を贈り物に選んだ理由を告げて、最後に、「気障だったかな……」と言い訳がましく呟きながら視線を逸らした彼へ、ローザは極上の笑みを向ける。

彼を能く知る誰も彼もが、奥手、と異口同音に告げる、色恋に疎いと評判のアレンが、彼なりの情熱や恋情をも込めた品を贈ってくれたのが、本当に嬉しかった。

今日は殊の外凛々しく見える彼が、照れで耳朶を赤くしているのも、彼女の胸を暖かくした。

「……ローザ」

「アレ──

──ローザ陛下。アレン陛下。本日の祝宴の用意が整いましてございます。間もなく、サマルトリアのアーサー王太子殿下がお越しになられる刻限でもございますので、お支度を」

彼女の、百花の王でも勝てぬだろう笑みを見遣ったアレンは、躊躇いがちに腕を伸ばし、ローザも、差し出された彼の手を取ろうとしたが、粛々と近寄って来た女官に水を差され、

「判りました。もう一度、アレン陛下に庭の花をお目に掛けてから向かいます」

邪魔が入ってしまった、とも、もうそんな時間? とも思いながら、ローザはドレスの裾を整えつつ立ち上がろうとしたけれど。

────ローザ」

腰を浮かせ掛けた彼女の左腕を、アレンは、クッと掴んで引き止めた。

 変彩金緑石=アレキサンドライト